3.戦火を逃れてイスファハンへ
イスファハンは古くからの有名なモスクも多く、ミサイル攻撃も少ないと聞かされていうたからです。 ペルシア帝国最盛期サファビ朝時代に都があったこの地は「世界の半分」と詩われ、かつては多くのツーリストたちで賑わっていたところです。
しかし、この時ばかりははかの有名な王(シャー)のモスクも人の姿は見えず、絨毯、更紗、金属工芸などの工房が並ぶシャーの広場もひっそりとしていました。 ここ、イスファハンは西アジアのオアシス都市の中でも、ことに美しい町並みで知られるところで,町なかを流れるザーヤンデ川の水は清く流れ、美しいタイルで飾られた2本の橋は市民や旅人の心を癒す憩いの場所になっています。 橋の袂にあるチャイハネへむかう途中にある、すずかけの並木道を歩いている時でした。
前から歩いてくる若者、声を掛けてきました。立ち止まると、手にもっていたニンジンを差し出してくれました。イスファハンは、町並みは美しいが住んでいるで人には、注意したほうがいい、もちろんこれは絨毯商には、という意味なのですが彼にはとても安心してしまう何かを感じたのです。その理由の一つには彼の顔が日本人とそっくりで、堀の深いアーリア系のイラン人とは違っていたからかもしれません。
その時は、まるで友人から受け取るように自然に口に運びました。そのニンジンはとても甘い味がして、覚えたてのペルシア語で「ホシュマゼ」と答えました。彼もにっこり笑ってこんどは、英語でどこからきたのかと聞いてきました。 彼もこんな戦乱の中、明らかに外人それも東洋人がいることが不思議だったかもしれません。
事実多くのイラン人から「今こんなところで何をしているんだい?」と聞かれました。 当時はまだ若く、こんな向こう見ずな旅が出来たのでしょう。私が、水辺のチャイハネへ向かう途中だと言うと、彼も動向したいということで、一緒に川の水の流れを見ながらチャイを飲み、水パイプを吹かしてお互い片言の英語でしたが、すっかり仲良くなりました。
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