中村克アーカイヴス
東村山在住の世界唯一の元GSSV、中村克氏の発表した文章のアーカイヴスです。
一応、引用元のURLを掲載しますが、中村克氏の気分により削除されることもありますのでご了承ください。
- 論談編
「最後のパレード」と読売の社会貢献妨害⑩【中村】
投稿者: 中村 投稿日時: 2009/06/09 15:39:32
本日、読売に公開質問状を送付した。明日には届くことだろう。
さて、今日はこの質問状と関連する「読売中学校生徒の盗用疑惑」について書く。公務員もそうだが、新聞をはじめとするメディアは物事を意識的に複雑化しようとする。物事は単純化した方が理解しやすいのを知っていながら・・・
<開始>
小沢二郎君の「盗用疑惑」が大々的に報じられてから一ヶ月が経ちました。冷静さを取り戻してきた読売中学校の生徒は、読売中学校の報道の仕方が正しかったのか疑問を持ち始めました。
生徒会でも問題になり、定例の委員会で小沢二郎君の疑惑報道問題が取り上げられました。
委員A:もう少し、小沢君や小沢君の家族のことを考えたほうがよかったと思う。
委員B:文章や商品を盗んだと他人を疑うには、確実な証拠が必要なんだと思う。学校関係者は、十分な証拠を示すことなく小沢君を疑い、小沢君は「悪者のイメージ」となってしまったね。
委員C:どうして学校関係者は、日曜日の夜に小沢君の家にいったのかな?
委員B:そうだよね。月曜日に学校で小沢君と一緒だった仲間から話を聞けば、小沢君の「盗用疑惑」は晴れたのかもしれない。
委員C:「疑わしきは罰せず」「泥棒にも三分の道理」ということも習ったわ。
委員A:そう、決めつけず相手を思いやること気持ちが大切だって、校長先生は何回も朝礼で話してくれた。
委員B:明日、学校新聞関係者に対し、なぜ小沢君と行動を共にした仲間の話を聞かないで疑惑を記事にしたのか、聞いてみる。
委員C:私は、泥棒を捕まえる「証拠」について調べてみるわ。
(そこに、学校関係者が現れる。)
関係者:大人の世界と子供の世界は違う・・・・つづく
<終了>
読売の記者が中国新聞の記者が書いた記事を盗用した事実が発覚したが、「最後のパレード」に対し、嘘の記事を書いた読売記者と読売盗用記者・・・「嘘つきは泥棒の始まり」とはよく言ったものだ。読売新聞の社員教育はどうなっているのか、あまりにも記者のレベルやモラルが低すぎる。
読売に送った「質問状」の内容はこちらの記事を見て欲しい。
「最後のパレード」と読売の社会貢献妨害⑪【中村】
投稿者: 中村 投稿日時: 2009/06/10 11:39:15
本日の投稿後、しばらくは論談に投稿しない。その理由は論談の場が誹謗中傷の場と化し、優良な投稿を少なくしてしまったと思うからである。
私は、以前にブログに「読売新聞社前で焼身自殺したい」と書いた。もちろん、この「ストーリー」を実行に移すことはない。しかし、である。このような気持ちになることは理解して欲しい。
昨年、韓国のトップ女優が自殺した。理由はネットでの誹謗中傷であった。
「同質社会」が前提の日本社会では、「異質」なものは排除される傾向が強い。私もその一人だ。
読売が「異質」と決め付け、「泥棒」疑惑を全国に発信した。大新聞が「グレー」と報道したことで、私への誹謗中傷攻撃のスイッチが入った。匿名の社会で活躍するネット族は皆この報道を「読売が『最後のパレード』の著者攻撃にGOサインを出した」というメッセージと受け取ったに違いない。
現状は最悪だ。ウィキペディアにも登場してしまった。経歴などその内容はひどいものであり、まさにデマ、虚偽の書き込みである。日本は法治国家なのかと悲しくなる。
洗濯物も監視されているようだが、このような行為も読売がGOサインを出したことに起因する。
「悪者」イメージの人間は決して許さないという強いメッセージを感じる。「監視されている恐怖」は当事者にしか分からない、筆舌に尽くしがたい苦痛である。
「崔さんが絶望したのは中傷そのものだけではなく、こうした悪意に満ちた書き込みを平気で行える「ネット社会の闇」に対してだったのかもしれない。」
絶望はしていないが理解できる。私は「悪者」イメージを払拭するまでは死ねない。全身全霊を注いで読売と対峙していきたい。
JR西脱線事故の真因 ① 【中村】
投稿者: 中村 投稿日時: 2009/07/09 11:59:34
JR西日本の社長が起訴されたが、無罪になる可能性が高いと考える。地検は「予測できた」としているが、事故を予測することは極めて難しい。
説明するまでもないが、直接の事故原因は運転手のスピード違反である。観光バスの運転手がカーブを曲がりきれずに、谷底に転落し多くの死傷者がでたことと同じである。
単純な事故ではあるが、それでも背景は実に奥深い。人間に例えると手足である「現場」が正しく動かなかったことに起因する事故ではあるが、その「現場」を正しく動かす「頭脳」である経営陣の「統治能力」や、血流や神経など現場に必要なものを届けたり、正しく動いているか確認したりする「仕組み」がしっかりと機能していたのか、事故の背景には3つの要因があるのだ。
つまり、この手の事故は個人的要因(ヒューマンファクター)としてとらえられるが、背景には統治の要因(ガバナンスファクター)とその間を取り持ち、現場を正しく動かす仕組みの要因(システムファクター)を同時に考えないと、事故の真因にはたどり着かない。
他の死亡事故との整合性を考えても地検の社長(事故当時は安全責任者)起訴は納得できない。
六本木ヒルズ回転扉死亡事故の際、運営本部長であった森稔社長は「事故を予見できなかった」として起訴されなかった。以下のように報道されていてもだ。
<引用開始>
事故自体がショッキングだったが、その後明らかにされた事実は、さらに大きな衝撃だった。まず事故はそれ以前からあったということだ。オープン以来、ほかにも三十二件の回転扉の事故があり、うち十件が救急車で搬送された。今回事故と同型の回転扉では十二件で七件は八歳までの子どもが挟まれ、三件が病院に運ばれている。
この事実には驚かされた。救急車で搬送されるような事故は、日常的にあるものではない。どうみても異常事態と受け止めるのが一般的だ。それを一年間も放置した。この対応はどうしても理解できない。その先にどのような結果が待っているかは、容易に想像できるはずだ。
<引用終了>
琉球新聞
遺族の気持ちはよく分かるが、日本社会に欠けている安全を確認、評価する仕組みであるシステムファクターの部分をしっかりと検証しないと事故は決して防ぐことはできない。
反対に、このシステムファクターの部分を深く掘り下げると脱線事故を起こした運転手と秋葉原連続殺傷事件の被告の心理的共通点が見えてくる。それを次の投稿で明らかにしたい。
最終更新:2009年07月11日 02:48