一つの恋が、終わるとき

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俺、高坂京介高校3年生は、平凡な日々を送る平凡な高校生だった。
だが、疎遠だった妹、高坂桐乃の隠れた趣味を知ってしまった時から、俺の日常は変わってしまった。
桐乃は、妹もののゲーム(18禁含むつーかそれ中心)やメルルという痛アニメをこよなく愛するオタクだったのだ。
それを知ってからというもの、人生相談と称した無茶ぶりを押し付けてくるわ、
オタク趣味に付き合わされるわと、散々な日々を送っていた。
だけど、悪いことだけじゃなかった。
桐乃のオタク趣味に付き合っていくなかで、今の俺にとっても大切な友達が出来たし、いいこともたくさんあった。
だから、今はむしろ感謝している。
俺に、人生相談を持ち掛けてきてくれた桐乃に。

と、前置きが長くなったが、実は今回話したいのは桐乃のことではない。
桐乃の表の友達、新垣あやせの話だ。
あやせは桐乃と同じ中学に通っていて、桐乃と同じ事務所でモデル(自慢ではないが、俺の妹はかなり可愛い)をしている可愛い女の子だ。
桐乃のことを親友として大切に想ってくれており(実は一時期桐乃と仲たがいしてしまったのだが、俺という犠牲を払って仲直りしたことがある)、笑顔が最高に可愛い天使の様な女の子なのだが、桐乃のことを想い過ぎるあまり、とんでもないことをしでかす女でもある。

ぶっちゃけて言おう。今まさにそのとんでもないことがしでかされている。
状況を説明すると、今俺は街道を全力疾走している。
一人マラソンをしているわけじゃないぞ、ちゃんと理由はある。

俺は、全力で逃げていた。
「待てぇぇぇぇぇ!!」
そう叫びながら走ってくる、新垣あやせから。

「待ってたまるかぁぁぁ!!」
「なんでですか!?やっぱりやましい気持ちがあったんですね!!」
「ちげーよ!!」
「じゃあなんで逃げるんですか!?」
そりゃあ逃げるよ。
そんな人を殺さんとするような顔をされながら走って来られてたら。

どうしてこうなったかというと、話は数分前に遡る。


今日一日の授業が終わり、ほっと一息つきながら学校の門をくぐった時、突然声を掛けられた。
振り向いてみると、そこにはあやせがいた。
最初はあやせが俺を待っていたんだと歓喜に奮えていたが、直ぐにその自惚れは冷めてしまった。
だってあやせの顔、口は笑ってても、目が笑ってないんだもん。
俺の天使は、悪魔に変わっていた。
そう、さっき言ったあやせがとんでもないことをしでかす時は、いつものあやせからは考えられない様な変化を見せる。
まさにブラックあやせ。まさに悪魔。
天使の中に悪魔の一面を持つあやせは、現代のルシファーそのものだ。

「な…なにか用ですかあやせサン」
今すぐ逃げ出したい気分だったが、後日何されるかわかったものじゃないので、
話を聞くことにする。
「そんな警戒しないで下さいよお兄さん。ちょっとお話があるだけですから」
そう言って見せた笑顔にはどす黒い何かが漂っている様に見えた。
「今日、学校で桐乃から聞いたんですが…」
嫌な予感がする。
「桐乃がトイレに入っているところにお兄さんが突撃、挙げ句の果てにはどさくさに紛れて桐乃を押し倒したって本当ですか?」
予感、的中。
「ち…違う!それにはちゃんと理由があって…」
「言い訳なんて聞いていません」
弁解をしようとしたところで一蹴。
つか、押し倒すことに理由があるっていうのもおかしいだろ、俺。
「私は桐乃から聞いた話が事実か、そうでないかを聞いているんです」
こうなったあやせには、もはや何も通じない。
唯一通じる答えは、イエスかノーだ。

「…ああ、本当だ」
嘘はつかない。正直に話す。
「…ですよね、桐乃が嘘をつくわけがありませんもんね」
あやせは嘘が人一倍嫌いな人間だ。特に、信頼している人に嘘をつかれると、ヒステリックになる。
だから、あやせの前では嘘がつけない。
もしあやせに嘘をついてしまったら、その火の粉は桐乃に向きかねない。そうなっては前に俺が体を張ってやったことも、なにもかもパーになってしまう。

「あれだけ言ったのに…。まだ桐乃に手を出そうとしているんですね…」
少し落胆した様な表情を見せた(恐らく気のせいだ)あやせは、手にさげていた鞄をゴソゴソしだした。
「そうだ、つねに手を出せない状態にしておけば、私がいなくてもお兄さんから桐乃を護れるんだ…」
「お、俺を殺す気か!?」
「やだなぁお兄さん。そんなことするわけがないじゃないですか」
そう言って、あやせが鞄から取り出したのは




手錠だった。
「つねに手を不自由にしておけば、さすがのお兄さんも桐乃に手を出せないでしょう?」
ふふ、と笑うあやせ。
やはり、悪魔の様であった。
いや、悪魔そのものだった。
「そんな日常の生活にも大いなる支障が出る状態にされてたまるか!!」
俺はあやせを背にして走り出した。

「あ…、待てえぇぇぇ!!」
間髪入れずにあやせも走り出す。
「逃げるなあぁぁぁ!!」
「ひいぃぃぃぃ!!」

振り返ると、射殺せそうな目つきで追いかけてくるあやせが見えた。
どこぞのホラー映画のような光景だ。
だってあやせの瞳、マジ光彩ないんだもん。
こえーす。あやせさんマジこえーす。
俺は走るスピードを更に上げた。



「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…」
と、まぁこれが事の成り行きである。
しばらく鬼ごっこをしていた俺達だが、あやせは中学3年生の女の子、それに比べて俺は高校3年生の男。結果は目に見えていた。

しばらく健闘していたあやせだったが、俺との距離はどんどんひらいて行き、遂には見えなくなっていた。
さすがに撒いたかと安心した俺は、近くの公園の木に寄り掛かって呼吸を整えていた。

「ここまで来れば、さすがのあやせも追ってこられないだろ…」

しかし、俺は忘れていた。
あやせはそんなもので諦めるような女ではないことを。

「ふふふ…、見つけ…ましたよ…お兄さん」
ゾクリと、背筋が震える。
声がした方をゆっくりと向くと、そこにはあやせが立っていた。
大分走って来たのだろう、呼吸が荒く、髪もボサボサだ。
「お、お前!なんで!?」

「お兄さんの…行動パターンなんて…把握済みです…。あそこから…走ったら…恐らくこの公園で休むだろうと…思って…先回りしたんです…」
呼吸を整えながら、途切れ途切れにあやせは言った。
「なんだそりゃ!?お前は俺のストーカーか何かか!!」
「な…!私はストーカーなんかじゃありません!!お兄さんが桐乃に手を出してないか、お兄さんの行動を調べていただけです!!」
あやせさん、それを世間ではストーカーと言うんですよ。口には出さないけどさ!

「さあ、おとなしくして下さいお兄さん。動かなければ痛くしませんから」
そういってゆっくりとこちらに近づいてくるあやせ。
「そう言われて、はいわかりましたとおとなしくする奴がいるか!!」
いたらそいつはドMだ、変態だ。
俺は再び走り出した。
「あ、待て!!」
そう言ってあやせも走り出す。

しかし、今度は先程と同じ様には行かなかった。
今まで走ってきて、まだ疲れているのもあるだろう。
もともと走りに向いていないローファーだったこともあるだろう。

ガツッ。

地面に出ていた木の根っこに引っかかり、あやせの身体がゆっくりと前に傾いていく。
「あやせ!!」
とっさにあやせの元に駆け出すが、少し距離が遠かった。
なんとかあやせの身体を抱き抱えたが、身体の傾きは元に戻せず、そのまま倒れてしまった。

ドンッ!!

ガチャ


幸い、コンクリではなく土の上だったので、あまりダメージはなかったが、そんなことはどうでもいい。
「あやせ!!大丈夫か!?」
腕の中に抱き抱えたあやせに呼び掛ける。
「は、はい…。なんとか…」
顔を上げて、応答したあやせを見て、安堵する。どうやらケガもないようだ。
「よかった…」
心底、本当によかったと思う。ケガなどしてしまったら、モデルの仕事にも支障が出てしまうだろうし、何よりこの年代の女の子が俺のせいでケガをしてしまうなんて、俺が許せなかった。

ガチャ


…ん?
なんか不吉な音がしたような…

頭の横にある右手に目を向けると、手錠がバッチリ付けられていた。
「あ…あやせ!!お前…!」
「ふふ…、油断禁物ですよ、お兄さん」
くそ!こんなことなら助けるんじゃなかった!
いや、助けるけどね!だって愛しのラブリーマイエンジェルだからね!
「さあ、左手も付けましょうお兄さん」
俺は覚悟した。あやせが上に乗っている以上、逃げ場はない。
あぁ、明日から学校どうしよう…

しかし、そんな心配も杞憂に終わってしまった。

いや、というよりも、両手に手錠を掛けられる以上に、大変なことが起きていた。

「「え」」
素っ頓狂な声を同時に上げた二人が同時に見ていた先にあったものは



手錠がついていた、あやせの左手だった。



「え…え…え…」
「な…な…な…」

「えぇぇぇぇ!?」
「なんじゃこりゃぁぁぁ!?」

つまり、あやせが持っていた手錠は、見事に俺の右手とあやせの左手についていたのだった。

「な…なんで…!?どうして!?」
今の光景が信じられないのであろう、あやせはパニックに陥っていた。
冷静ぶっているが、俺もかなりパニクっている。
「あやせ!鍵!!手錠の鍵は!?」
「!そういえば鞄の中に…!」
そういって、近くに落ちていた鞄の中を右手で漁るあやせ。
しかし、目当ての物は見つからないらしく、「あれ?あれ?」と言う声と、鞄を漁る音だけが響く。
「あやせ、何処か別の場所に入れたとか、そういう可能性は!?」
「そんなはずありません!ちゃんと鍵も鞄に…!」
そう言ったあやせは突然、ハッと顔を上げた。その顔色は、みるみるうちに青ざめていく。
「手錠を取り出した時…、一緒に鍵も取り出したんだ…。それを持って走って…」
「…まさか、あやせ…」
俺は、最悪の可能性を問う。
「走っている途中で、落とした…?」
あやせはぶるぶると震えながら、ゆっくり


コクン

と頷いた。

「!!おいあやせ!」
どうするんだよ!!とは、言えなかった。

だって、さっきまでのあやせと打って変わって、今のあやせ、「どうしよう…どうしよう…!」ってずっと呟きながら泣きそうな顔をしてるんだぜ?
そんな顔をしているあやせに、咎めることなんて、出来るわけがない。
それに、俺は一応年上だ。
俺が落ち着かなくてどうする?
考えろ、高坂京介。何か方法があるはずだ。何か…

「おい、あやせ」
あやせに呼び掛けるが、あやせは相変わらずブツブツ言っている。
「あやせ!!」
ちょっと強めに呼ぶと、ビクッと身体を震わせ、恐る恐るとこちらを見る。
スッと左手を出すと、あやせはまたビクッとして、目をつむった。
俺はあやせの頭にポンと手を置いて、わしゃわしゃと撫でてやる。
目を開けて、こちらを見たあやせは、不思議そうな顔をしていた。
「大丈夫だ。俺に任せろ」
出来るだけ優しく声をかける。

「大丈夫って…、何が大丈夫なんですか…」
「多分、なんとかなる。いや、なんとかしてくれる」
「は…?」
「とりあえず、俺ん家に行くぞ」
「な、なんでお兄さんの家へ…」
「このまま家に帰るつもりか?手錠をしたまま、俺を連れて。親御さんに何て説明するんだ?」
「そ、それは…」
「それなら俺ん家に行く方がマシだし、都合がいい」
「…どういうことですか…?」
「言っただろ?なんとかしてくれるかもしれないって」

そう、カギは身近にいた。
現役警察官で、恐らく手錠の扱いにもなれているであろう






ウチの、親父だ。



とりあえず、家に帰ってきた俺達は、一直線に俺の部屋に向かった。お袋は帰ってきているようだったが、リビングにいたので、見つからずに済んだ。
だが、問題は二人だ。
まずは桐乃。部活でまだ帰ってきていないが、この状況を見てどんな反応を示すか。
そして、最も問題なのは親父だ。親父には、この手錠も見せなければいけないし、この状況の説明もしなければいけないだろう。
しかし、ありのままを話してしまえば、親父のことだ、あやせは咎められるだろう。それはなんとしても避けたい。
となると…、方法は一つしかない。まあ、最初から覚悟はしていたが…

「お兄さん」
と、今まで口を閉ざしていたあやせが突然、俺を呼んだ。
「ん?どうした、あやせ?」
すぐ右にいるあやせの方に顔を向ける。しかし、あやせは前を向いたままだった。
「せっかくなので、ハッキリさせて下さい」
「?何を?」
「桐乃から聞いた話です」
「ぶっ!!」
とっさに首を曲げたため、あやせに吹きかかることはなかった。
つか、まだ解決してなかったのねその話!!
「桐乃から聞いた話は本当だと言いましたよね?」
相変わらずあやせは顔を前に向けたままだ。表情もいつになく真剣味を帯びている。
これは、さすがにふざけるわけにはいかない。
「…ああ。本当だ」
「それは、わざとだったんですか?わざと桐乃の」
「それは違う」
言葉が終わる前に否定する。
「その…、昨日ちょっと寝るのが遅くなってな…朝起きてもまだ寝ぼけてたんだよ。それで確認もせずにトイレのドアを開けたら…」
「桐乃がいた、というわけですか?」
「ああ、その通りだ。つか、あいつもトイレに鍵を掛けないで入ってたのも悪いだろ。…まぁ、だからって俺が悪くないとは言うつもりはないけどよ…」
「じゃあ、押し倒されたというのは?」
「さっきのあやせと同じようなもんだ」
「は?」

「あいつ、トイレから出るなりそこら辺にあるものを俺に投げつけてきてさ…堪らなくなった俺は逃げようとしたんだよ。それを追いかけようとした桐乃が足を滑らせてな…。庇おうとしたら俺も足を滑らせて、まるで押し倒したような状況が出来たってわけだ」
「…」
「ていうか、その後おもいっきり頬にビンタ噛ましやがって、昼まで跡が消えなくて学校で笑い者にされたんだぜクソ…」
「自業自得です」
「…ですよねー…」
相変わらずあやせは俺に厳しい。そして桐乃に甘い。

「お兄さんの言い分はわかりました。でも…」
あやせは一息ついて、二の句を告げる。
「でも、完全には信用できません。お兄さんは…」
「近親相姦上等の変態鬼畜兄貴だからな、信用できないのも無理はないよな」
「…自分で言ってて虚しくないんですか?お兄さん」
「…スマン。正直泣きそうになった」

そう、故あってあやせは俺の事を『近親相姦上等の変態鬼畜兄貴』と思い込んでいる。
それにいたるまで色々あったのだが…今回は割愛する。

正直、あやせにこう思われるのは辛いのだが、今さら誤解を解くわけにはいかない。
解いてはならないのだ。
この誤解を解くことは、今の桐乃とあやせの関係を崩壊させることになる。そう
ならないために、俺一人が犠牲にならないといけないなら、お安い御用だ。
俺の妹である桐乃、そして桐乃を大切に想ってくれる、あやせのためなら。
「まぁ、どう思うかはあやせが決めることだしな。俺の言い分が本当とは限らないし」
「お兄さんは、それでいいんですか?」
「いいんだよ」

その道を選んだのは俺だから。

後悔なんて、ない。

会話も途切れ、じっとしていると、乱暴に階段を上がってくる音が聞こえてきた。
こんな音をたてるのは一人しかいない。

音はどんどん近くなり、ピタッと止まったかと思うと、今度は俺の部屋の扉が乱暴に開かれた。

開けられた扉の前で仁王立ちしている人物こそ、



俺の妹、高坂桐乃だ。



「桐…」
「どういうこと?」
言葉を紡ごうとしたが、桐乃はそれを遮った。
「なんであやせがいるのかはともかく…、よりによってなんであやせがあんた
部屋にいるの?なんでそんなに密着して座ってるの?それにその手…」
「桐乃、これは…」
「あやせは黙ってて」
あやせの言葉も聞く耳もたず。桐乃は、完全にキレていた。
桐乃は俺の部屋にズガズガと入り、(一応巻いておいた)俺の右手とあやせの左手に巻いてあるタオルをおもむろに剥ぎ取った。
隠れていた、手錠が表に現れる。
「…」
手錠をじっと見つめた後、俺に顔を向けた。
その表情は、蔑んでいるようにも見えるし、怒っているようにも見えるし、悲しんでいるようにも見えた。

「…桐乃」
「…ふーん、そういうプレイなんだ」
「…違」
「あんたもマニアックな趣味してんだね、普通のプレイはもう飽きるほどしたの?」
「おい、桐乃」
「しかも相手はバカ猫じゃなくてあやせ?女にも飽きたの?」
「桐乃!!」
「まぁ、私には兄貴が誰とイチャイチャしてても関係ないし!?勝手にすればいいじゃん!?」
「いい加減にしろ!桐乃!!」
「うるさい馬鹿!黙れ!!」
「いいや、黙らねえ!お前は勘違いしている!!」
「はぁ!?どう見たってそういう状態じゃん!!何が違うのよ!!?」
「全部だ!」
ガツッと、俺は桐乃の肩を左手だけで掴む。
「ッ!離せ!離せ馬鹿!」肩の手を振り切ろうと、身体をブンブン動かす。
だが、離さない。
今にも泣きそうな顔をしている妹を離せるわけがない。

「聞け!桐乃!」
今までの中で最も大きな声を張った。さすがの桐乃も、ビクッと身体を強張らせ、俺の方を不安げに見る。
クソッ、こいつのこんな表情、二度と見たくなかったのに、また俺のせいで桐乃は辛そうな顔をしている。
こんな表情、早く止めさせないといけない。

「何故こんなことになっているのか、事情は親父が帰って来てから話す!ただ、
誓ってお前が考えてるようなことじゃない!!俺はあいつも!!お前も!!!何一つ裏切っちゃいない!!!!」
そこまで言って、一息つく。もう一度桐乃の顔を見ると、まだ少し表情は不安げだ。
「…信じてくれ…」
最後の言葉を振り絞る。これで失敗したら、後は殴られることも覚悟しないといけない。
しかし、その心配も必要なくなったようで。
「…わかった…。信じる」
桐乃は、呟くように言った。
「サンキュー。桐乃」
肩に置いていた左手を桐乃の頭に動かし、そのまま撫でてやる。
「な…。こ、子供扱いすんな!!」
そういいながらも、振り払おうとしない桐乃。1年前だったら間違いなく蹴られていたシチュエーションだが、随分と丸くなったもんだ。
「ごめんね、桐乃…」
「ううん、ロクに話を聞かないで勝手に暴走した私が悪いんだから、あやせは謝らなくていいの。…わたしこそ、ゴメン」
「ううん、桐乃は悪くない。連絡も何もしなかった私が悪いの」
「そんな…あやせ…」
…このままいくと、キリがないので、ここは最年長の俺がまとめてやらないとな…
「まあまあ、ここはお互い様ってことで…」
「ていうかそもそもあんたが悪いんだけど」
「そもそもお兄さんのせいですよ」

「…ハイ、スミマセンデシタ」
わかってるさ。俺はこういう役回りだってことぐらい…。

その後、あやせと桐乃は他愛のない話をしながら、時間を過ごしていた。
やっと、あやせの笑顔が見れた。
少し、心の枷が取れた気がする。
が、問題はここからだ。

『帰ったぞ』

親父が帰ってきた。俺達は急いで部屋から出ていき、階段を下りる。
「親父!待ってくれ!!」
荷物をお袋に預け、リビングに入ろうとしていた、まだ仕事着の親父を止める。
ゆっくりとこちらを向いた親父の顔は、相変わらず怪訝そうな表情をしていた。
あやせと桐乃が強張っているのがわかる。
親父はただじっとこちらを見ている。
俺はハッとして
「お、お帰りなさい」
と告げた。
「お帰りなさい」「お邪魔しています」
桐乃とあやせも続いて告げた。
「…うむ」
コクリと軽く会釈する親父。どうやら正確だったようだ。
「…で、どうした?帰ってきて早々引き止めるということは、何かしら大事な用があるのだろう?」
相変わらず親父は鋭い。俺とあやせはゆっくりと親父に近寄っていく。
「…実は」
再び巻いていた右手のタオルを外し、親父の前に突き出す。
俺の右手とあやせの左手に付いている手錠が表に出た。
「…なんだ、これは」
「事情は後で話すから…。とにかく、これ外せないか?鍵がないんだけど…」
更に怪訝そうな表情をしていた親父に内心ビビりながらも、とりあえず最優先の事項を告げる。
しばらく俺とあやせの手についている手錠を見ていた親父が、おもむろにポケットに手を入れた。
「三人とも、目をつむりなさい」
そう親父が言うと、誰も疑問を投げ掛けることもなく、目をつむった。
「私がいいと言うまでは決して開けないように」
そう言われた後、手元で何かカチャカチャと音がしだした。
ガチャ


少ししたら、手首あった重みがすっと取れていた。
「もういいぞ」
目を開けると、俺とあやせの手に付いていた手錠は、いつの間にかなくなっていた。親父の方を見ると、手にそれらしき手錠を持っている。
「どうやって…」
思わずあやせが呟いた。
「警察でも時折こういう不祥事が起きる。それの対策の一つだ」
親父はあやせの呟きに答えた。
「ただ、これはいわゆるピッキングに繋がることでな、やり方をお前達に見せるわけにはいかなかった」
相変わらず仕事と私情を一緒にしない親父だ。
それでこその親父なんだろうけどな。
「…京介」
ギロッとこちらを睨む親父の目は、あやせとは違う別の恐怖を感じさせた。
さっきまでの覚悟も、少し揺らいでしまう。
「…はい」
ここまできて、逃げられない。なんとか言葉を振り絞る。
「この手錠は、一体なんだ?どうしてこのお嬢さんの手とお前の手に付いていたのだ?」
「…えっと…」
しかし、肝心なことが言えない。
覚悟以上に恐怖が勝っている。
「…まさか、この手錠はお前じゃなくて、このお嬢さんが」
「違う!!」
とっさに反論する。
そうだ、何を迷う高坂京介?お前は守ると決めたんだろう。桐乃の親友を、新垣あやせを。
だったら怖がってる場合じゃねぇ。俺がどうこうなる以上に、俺はあやせが傷つくことが怖い!
だったら、言え!高坂京介!!
お前の選択肢は、最初から決まっていたはずだ!!
「それは、近くの公園で拾ったんだ!」
「公園…?」
「ああ、そうさ!」
ちらっとあやせと桐乃の方を見る。二人とも、とても不安げに俺を見ていた。
大丈夫、絶対に守ってやる。
声には出さない。そのかわり、気持ち悪いウインクをしておいた。
改めて、親父を見る。
「公園で手錠を拾って、興味本意でいじくってたんだ!それを見つけたあやせが止めさせようと俺から手錠を奪おうとしたんだ!そこで揉み合いになっちまって…」
「そうしている内に、二人の手に手錠が付いていた、といいたいのか…?」
「ああそうさ!」
我ながら、子供じみた理由を考えたものだ。
信じられるか?信じさせるさ。
「だからあやせは俺を止めようとしただけで、何も悪くない!むしろ巻き込まれただけなんだ!!悪いのは…全部、俺だあぁぁぁぁぁぁ!!!」

ここまで言い切って、少しの静寂に包まれる。
「…つまり、全てお前のせいなんだな…?」
静寂を断ち切ったのは、親父だった。
言葉は告げずに、頭を上下に軽く動かすことで、答えを出した。
「…そうか」
そう言って親父はゆっくり俺に近づく。


ゴッ


鼻先から思い切り殴られた俺は、支える間もなく、そのまま吹き飛ばされた。

「がぁっ!」


ゴンッと壁に頭が叩きつけられた俺は、少し呼吸が出来なくなっていた。
鼻が何だか熱い。床を見ると、ぼたぼたと血が落ちていた。
どうやら、鼻血が出たらしい。
「お兄さん!」「兄貴!」

今までずっと俺と親父の話を見守っていたあやせと桐乃が駆け寄ってくる。
あやせがポケットから出したティッシュを、有り難く貰う。
クソ、鼻は折れていないみたいだが、まだジンジンする。
心配そうに見ていた桐乃の顔が、だんだんと怒りに満ちていく。そして、おもむろに立ち上がり、ただこちらをじっと見ている親父のほうを睨んだ。
「お父さん!いくらなんでもこれは」
「桐乃!!!」
そんな桐乃を止めたのは、俺だった。
ハッとこちらを向く桐乃に、俺はただ首を横に振る。
これだけで、恐らく通じるだろう。
しばらく気に食わない様子の桐乃だったが、震えた手を握りしめ、歯を噛み締めながら、
「…雑巾とってくる」
と言って、その場を離れた。

「…今回はこれで、許す」
リビングのドアノブに手を掛けて、ゆっくりと親父が告げる。
「…サンキュー」
「お前の言ったことを今回は信じてやる。だが…次はないぞ」
「わかってるよ。二度としない」
「ふん…」
今度こそ、親父はリビングに入った。
どうやら手錠は没収のようだ。
今回もなんとか騙せたらしい。
…ん?親父のさっきの言葉…。
…まぁ、いいか。


「お兄さん…」
「すまんあやせ。手錠、没収されちまった」
「そんなもの、どうでもいいんです!お兄さんが…お兄さんが…!」
あやせの目に涙が溜まっていく。

ハァ、またこいつはこんな顔をしやがる。
俺がお前を庇ったのはなんでだと思う?
お前には、笑ってて欲しいからだよ。

ポンとあやせの頭の上に、解放された右手を載せる。
「違うだろ。あやせ」
「…え?」
「こういう時は、笑ってほしい」

しばらく硬直していたあやせだったが、おずおずと頭の上に載っている俺の右手を両手で握りしめ、ニコッと微笑んだ。

溜まっていた涙がこぼれ落ちていたが、



その笑顔は、今まで見てきたどんな笑顔よりも、綺麗だった。

その後、桐乃が持ってきた雑巾で床にこぼれた鼻血を処理して、俺の鼻血が完全に止まって、俺達もリビングに入る。

リビングに入ると、既にいつもの甚平に着替えていた親父と、「あんたも馬鹿ねぇ…」と俺の顔を見た瞬間にそんなことを言ってきたお袋が座っていた。
「…血は止まったか?」
おずおずと、親父が聞いてきた。
「ああ、もう完全に止まったよ」
「そうか…」
そう言って差し出してきた親父の手には、絆創膏が握られていた。
「一応、貼っておけ」
そんな親父の行動に驚きながらも、俺は絆創膏を受け取った。
「ありがと」
「うむ」
どうやら、少しは心配してくれていたらしい。
ある意味親父らしい、不器用な優しさが伝わってきて、嬉しかった。

「あ…あの、わ、私…」
「あやせちゃんも食べるでしょう?そこに座って」
いつものテーブルに、今日は食器が一組多い。
あやせの分も、用意してくれていたようだ。
一応お袋には桐乃づてであやせが泊まっていくと言ってあるし、あやせの親御さんにも許可は取っていた。
「ほら、遠慮せず座れよあやせ」

絆創膏を貼り終えた俺は、親友とはいえ、他人の家の食卓だからだろうか、少し恐縮しているあやせを促す。
「そうそう!遠慮なんていらないから早く座りなよ、あやせ」
桐乃も続く。
「じゃ…じゃあ…、し、失礼します…」
ゆっくりと椅子に座ったあやせを見届け、俺達も座る。

「それじゃ…」
「…うむ」
「「「「「いただきます」」」」」

いつもより少し多い食卓は、いつもより賑やかな時間が過ぎていった。

「…ふぅ…」

風呂から上がって、布団の上でただボケーっと座っている。
こういう時間を利用して勉強しろよ受験生、と自分に毒づくが、今日は色々あって疲れた。もう何もする気は起きなかった。

「はぁ…、もう寝るかな…」
誰に言うでもなく、一人呟く。

「桐乃ー。上がったよー」
と、隣の桐乃の部屋からあやせの声が聞こえてきた。
どうやら風呂に入っていたらしい。
風呂上がりのあやせたんをこの眼に刻みたいとも思ったが、ある意味マジで刻まれかねないので、その衝動を抑える。
「ん、わかった。ちょっと待っててね、あやせ」
そう聞こえて、桐乃の部屋のドアが開く音がする。次は桐乃が風呂に入るみたいだ。
パタパタとスリッパの音が聞こえていたが、突然俺の部屋の扉がドンッと叩かれる。
「今から風呂入ってくるけど、私がいないからってあやせに何かしたら殺すから」

「しねーよ!!」
お前何言ってくれてんだ!?
せっかく今日上げたあやせの好感度が一気に下がっちまうだろうが!!
「え、しないの?あ、なら私が風呂に入っているの覗く気!?このシスコン!!死ね!!」
「覗きもしねーよ!!さっさと風呂入れ!!」
ホントやめて!!
あやせさんに殺される!!
つかマジで意外そうに言うんじゃねぇ!!

満足したのか、階段を降りていく音がする。
クソッ…言いたい放題言いやがって…。こうなればマジで風呂覗いてやるか…?

…って、あぶねぇあぶねぇ。本当に犯罪者の道を歩むところだったよ。
つか今日そんなことをしたらマジで殺されるよ、あやせさんに。

ブルル!ブルル!

唐突に鳴り出した携帯を手にとり、画面を開く。
液晶画面には着信を示す番号と、見知った名前が表示されていた。
通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。
「…もしもし」
『やっと出やがったわね、このクズが』
そう一言目からいきなり罵倒してきたこの携帯越しに聞こえる声は、間違いなく桐乃のオタク友達であり、俺の後輩である五更瑠璃、通称黒猫だ。
罵ってくるのはいつものことなのだが、今回は何か様子がおかしい。
「…あの、黒猫さん?」
『なにかしら、クズ介』
ひでぇ!マジひでぇ!!いつもはクズなんて言わないのに!!
「お、怒ってらっしゃいます…?」
『この物言いで怒ってないと思えるのなら、とんだ阿波擦れね、あなた』
どうやら、マジギレしているみたいだ。
「な、なんで怒ってらっしゃるのでしょうか…?俺、何かしました…?」
『…覚えてないの…?』
さっきまでの怒った口調から一変、とても悲しそうな口調で黒猫が聞く。
「え、えっと…」
しかし、どんなに頭を振り絞っても、思い当たることがない。
『…今日、学校へ行く途中で約束したわよね…。放課後、一緒に…』
「…あぁ、あああ!!」
思い出した!学校に行く途中で黒猫に会って、黒猫が欲しいものがあるからって
放課後一緒に秋葉原へ行く約束してたんだった!!
『やっと思い出したみたいね…』
「すっ、すまん黒猫!!」
『放課後校門で1時間以上待ってても来ないし、何かあったのかと連絡してもメールの返信もないし、電話には出ないし…。結局秋葉に行けずに目的の物は手に入らなかったし…』
「すみませんでした!本当にすみませんでした黒猫さん!!」
その場で土下座をしながら必死に謝る俺。
電話越しに土下座しても無駄だとわかってはいるが、しないと気が済まない。
『一種の羞恥プレイか何かと思ったわ…』
「それは違う!」
『それとも、愛想尽かされたのか、嫌われたのかと思ったわ…』
「それはありえねぇ!!!」
ズバッと言い切る。
お前を嫌う?ふざけるな。
「俺がお前を嫌いになるなんて今までも、そしてこれからもありえねぇ!!俺はこれからもずっとお前を好きであり続ける!」
『…そ、そんな大きな声で言わなくても聴こえてるわよ…。恥ずかしくないの?
あなた』
「…すまん、冷静になると凄く恥ずかしくなってきた」
『全く…。相変わらずの愚鈍さね…』
そう罵る黒猫の声も、恥ずかしがっているのがよくわかる声だった。
『…で、単純に忘れてしまっていたの?』
「いや、校門に出るまでは覚えていたんだが…」
ちなみに嘘ではない。あやせに会って逃げるまでは本当に覚えていた。
「そのあと色々ありまして…」
『…相変わらず、いろんな問題に突っ込まされているのね…』
「…すまん」
『…それはともかく、何故電話にも出なかったの?』
「学校でマナーにしてそのままにしてしまってて…。マナー解除したのもついさっきでしかも中身確認するの忘れてて…」
『もういいわ。…バカ』
「…本当にすまん。今度一緒に行こう。今日の埋め合わせもする」
『当たり前でしょ、バカ』
さっきから馬鹿バカ言われまくっているが、仕方がない。それでも足りないぐらいのことをしてしまったのだ。

俺と黒猫は、色々あって付き合っている。
彼女を傷つけるのは、彼氏としてあるまじき行為だ。

『…ねぇ、先輩』
「…ん?」
『あなたが誰を助けてもかまわない。むしろ、あなたはそうあってほしい、でも…』

『…お願いだから、心配させないで。私の知らない内にいなくならないで。
私はあなたがいるから今の私がいるの。それなのに、あなたがいなくなってしまったら、私どうすればいいの?
あなたがいなくなるなんて、私嫌よ。一生怨むわよ。一生泣きつづけるわよ。
だから、お願い…、私が追いつけなくなるような所に、行かないで…』

それは、いつもの黒猫には似つかわしくない、弱音だった。
でも、そんな弱音を吐かせてしまっているのは、紛れも無い俺だ。
だから、俺は黒猫を安心させる義務がある。
義務?違う。
俺は俺のエゴで黒猫を安心させたい。

「どこにも行かない」

ハッキリと、伝える。

「俺はどこにも行かない。つねにお前といる。だから、お前もずっと一緒にいてほしい」

『…フフ、何を今さら…』

くすり、と黒猫が笑った。
どうやら、俺の答えに納得してくれたようだ。

『私もずっといるわ。ずっと、あなたと一緒に…』

顔が綻んでいるのがわかる。
そりゃあ、愛しの彼女からこんなことを言われりゃ、にやけてしまうのも仕方がないだろ?

『とにかく、また秋葉に行く日を決めたら連絡するわ。明日土日は?』
「特に予定はないぞ」
『わかったわ。多分、どちらかで行くと思うから、予定はいれないでね』
「あぁ、わかった」
『それじゃあ…忘れないでね』
「わかってる、二度と忘れない」
『フフ…、おやすみなさい、京介』
「あぁ、おやすみ、瑠璃」
電話を切り、携帯を閉じる。
いまだに綻んだ顔が戻らない。
顔も心もニヤニヤしていると、コンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「お兄さん、ちょっといいですか?」
あやせの声だった。
「あ、あぁ。入っていいぞ」
頬を叩いて無理矢理顔を引き締める。
遠慮がちに入ってきたあやせは、桐乃から借りたのであろうパジャマを着ていた。やっぱりあやせはなんでも似合うな。

「どうしたんだ?あやせ」
「えぇ、ちょっとお話しが…」
と言って、部屋の真ん中辺りに座るあやせ。その前に俺も座る。

少しの間、静寂に包まれていたが、俺はあやせが話始めるまで待つことにする。

「…さっきの電話の人、お兄さんの大切な人か何かですか?」
やっと口を開いたあやせが放った質問は、予想外のものだった。
「…あー…、聞こえてたか…」
「えぇ。あんな大きな声を出していたら、隣にもうるさいくらい聞こえますよ」
「そりゃそうだよな、ハハハ…」
我ながら恥ずかしいマネをしたものだ。
「俺の彼女だよ」
あやせが一瞬、ピクッと身体を震わせたように見えた。
「…彼女、いたんですね」「あれ?言ってなかったっけ?」
「はい、今初めて聞きました」
そういえばそうだった。
というより、俺に彼女がいること自体、あまり周囲には知れ渡っていないことに気づく。
「…彼女さんは、どんな人なんですか?」
「んー…、どんな人って言われてもなー…」
少し考える。
黒猫の特徴ねぇ…
「…変な奴だな」
「へ?」
「時々何言ってるかわかんねーし、変な口調だし、よく人を罵るし、負けず嫌いだし…」

「でも、実は臆病で、怖がりで、一人が嫌いで…それを隠そうと強がるんだけど、みんなにはバレバレでさ。そんな奴なんだけど、俺には、そんなことを隠さずに話してくれるんだよ。そんな奴だから守ってやりたくなるし、手を引いてあげたくなる。そんなやつなんだよ」
「…そう、ですか」
一通り言い終わったが、よく考えたらこれノロケじゃね?クソ、今さら恥ずかしくなってきた。

「お兄さんは、その人のこと、本当に好きなんですね」
「は、はぁ!?なんでそうなる!?」
「だって、その人の話をしている時のお兄さんの顔、見たことがないような優しい表情でしたよ」
「マ、マジで?」
「マジです」
どうやら俺は、顔に出やすいタイプらしい。

「…遅すぎたのかなぁ…」
「?あやせ?」
顔を伏せていたあさせがガバッと顔を上げ、こちらをじっと見据える。その視線から逃げるわけにもいかず、俺も視線を合わせていた。

「お兄さん、あれは嘘だったんですか?」
「あ、あれって…?」
「私に結婚してくれって言ったことです」
「あ、あれはその場のノリに任せてしまったというか、っていうかあの時はまだ付き合ってなかったし…」
「じゃあ、お兄さん」
ズイッと身体を近づけるあやせ。俺は若干後ろに引いてしまう。
しかし、あやせの真っ直ぐ見据えた目は、逃げるなと言っているように見えた。
「な、なんでしょう…」
「もし、その時私がいいですよって言っていたら、結婚してくれたんですか?」
「…え?」
何を言ってるんだこの女は?
「どうなんですか!?」
「え、そ…そりゃあ…」
ここは、正直に答えておく。
「…結婚はともかく、お付き合いはしてた、と思う…」
「…そう、ですか…」

スッと元の位置に戻るあやせ。その表情は、俯いてしまっているせいで伺えない。
ブルブルと震えるあやせを、どうすればいいかわからない俺は、とりあえず様子を見ていた。
すると、何かを決心したようにカバッと顔を上げたあやせは、再びこちらをじっと見てきた。

「お兄さん!」
「は、はぃ!」
何を言われるかわからず、内心ハラハラしていたが、あやせが継いだ言葉は、予想だにしない、衝撃的な言葉だった。



「私はお兄さんが好きです!」



「…え?」





今、あやせはなんと言った?

好き?

え?

誰が?

…俺が?

…いやいや、気のせいだ。ありえない。
あやせが俺をなんと思っているか、俺が一番わかっているはずだろう?


しかし、あやせがさらに継いだ言葉は、俺の思考を覆す。


「お兄さんは優しい人です。だから、わかっていました。あの時、私に言ったことは、桐乃のためについた嘘だってことも…本当は、お兄さんは桐乃に手を出すような人じゃないってことも…」
「あ、あやせ…」
衝撃の事実を叩きつけられ、俺の思考はグチャグチャになっていた。
「今日だってそう。全部私が悪いのに、そんな私のために殴られて、庇ってくれて…」
「そんな優しいお兄さんがずっと好きでした!私とお付き合いしていただけませんか!?」
そういって、あやせは右手を差し出してきた。

だんだんと整理がついてきた頭は、今の状況を簡素にまとめる。

あやせが俺に告白してきて、ただ今告白の返事待ち

この右手を取れば、俺はOKしたことになるのだろう。

「…ありがとう、あやせ」

…でも、

「正直驚きまくってて、今もちょっと信じられない」

俺の答えは

「凄く嬉しいし、ありがたい。こんな俺にあやせみたいな女の子が好きになってくれたことに、内心歓喜している」

決まっていた。

「…でも、ゴメンな。俺は、あやせとは付き合えない」

ゆっくり手を下ろして、あやせはこちらに顔を向ける。
「…わかっていました。もう遅すぎること…」
その表情は、笑っているが、笑っていなかった。
「…でも、伝えたかった。伝えなきゃいけないと思いました」
震えた声を必死に絞り出して、続ける。
「伝えれて、よかった…。ずっと隠し続けなくてよかった…」

そこまで言ったあやせは唐突に立ち上がった。
「お話は以上です!ありがとうございました!」

そう言って、部屋の扉に向かうあやせ。俺は、止めることも出来ず、ただ見送るしか出来なかった。

「…お兄さん」
扉を開けたあやせが、こちらを向かずに言う。
「私、お兄さんを好きになったこと、後悔します」

今度こそ、あやせは俺の部屋を後にした。

俺は、何も考えられず、立ち上がって、ベッドの上に座って、壁にもたれる。
すると、桐乃の部屋から声が聞こえてきた。

一つは嗚咽交じりの、あやせの声。
もう一つは、そんなあやせをあやす、桐乃の声。

「…桐乃…私…私…!」
「うん、いいよ。何も言わなくていいから。今は泣いていいから」
「桐乃…桐乃…!」

声に鳴らない泣き声が響く。
俺は、その声から耳を離せず
あやせの泣き声が止むまで、俺は動けなかった。




しばらくして、俺はリビングに降りた。
親父達は、どうやら眠ったらしく、物音一つも聞こえない。

あまり音を立てないようにそっと冷蔵庫に向かい、麦茶を取り出す。
コップを一つ取り出したところで、リビングのドアが開いた。
入ってきたのは、桐乃だった。

「…」
桐乃はリビングに入って、身動き一つしない。

俺は、麦茶を桐乃に向けて
「飲むか?」
と聞いてみた。

「…うん」
桐乃はコクンと頷いた。


「…あやせは?」
「泣きつかれて寝ちゃった」
「そっか…」
「…ねぇ」
「ん?」
「…何をしたかなんて、聞かない。多分、私は聞いちゃいけないんだと思うから。でも…」
「どんな理由があっても、あやせを泣かせたことは、許さない」
「…」
「今回は見逃すけど…次は殺すから」
「…あぁ」
「…何笑ってんのあんた?」

笑ってたか。
ホント、顔に出やすいんだな俺。

いや、少し嬉しかったのさ。
こんなにも気にかけてくれる友達を持ったあやせを、目の前で泣いてくれる友達を持った桐乃を、見ていると何故か嬉しくなる。

同時に、羨ましくもなる。

本日何度目かわからない、桐乃の頭に手を載せて、撫でてやる。

「な、何よ急に!?」
「ありがとな、桐乃」
「は?」
「お前が、あやせの親友でよかった」
「…何言ってるかわけわかんないんだけど」
「桐乃」
「な、何?」
「あやせのこと、頼んだ」
「はぁ?」
バシッと桐乃の頭に置いた手が払われる。
「そんなのあんたに頼まれなくても、親友だし、ほっとくわけないじゃん」
「…だよな」
「てかもうこんな時間。あんたも明日休みだからって夜更かしし過ぎると、痛い目みるからね」
お前には言われたくないがな。
夜中エロゲーしながらキャーキャー悶えてる妹の声を聞かせられる俺の気持ちも少しは考えて欲しいもんだ。

「んじゃ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」

バタンッとリビングのドアが閉められる。
俺は、桐乃が置いていったコップも一緒に洗って、リビングのソファーに腰を下ろした。
何をするでもなく、ただボーッとするだけ。
眠くなったら、ソファーの上にでも寝ればいいだろう。





まぁ、一睡も出来なかったわけだが。

次の日の朝、俺はいつかの校舎裏に来て、そこにあるベンチに座っていた。
ちなみに、今は俺一人だか、もう一人がそろそろ来るはずだ。




「…呼び出したのはあなただけど…早いわね…」

声がしたほうを向くと、そこには俺の待ち人、黒猫がいた。
前までは黒猫がベンチに座って俺を待っていたのだが、逆となると、なんだか変な感じがする。
ちなみに、今は約束の時間の30分前だ。どっちも大概だった。
俺はベンチから立ち上がり、黒猫の方へ歩いていく。

「休日に、こんな朝っぱらから呼び出してゴメンな」
「それはいいのだけど…。どうしたのあなた?ひどい顔してるわよ?」
「…まぁ、色々あってな」
「…一体何があっ…!?」
黒猫の言葉は、突然遮られる。
無理もない。だって、突然抱きしめられたんだから。

「ちょ、ちょっと先輩!?どうしたのよ」
「ゴメン、黒猫」
顔を見せずに告げる。
「ちょっと、このままでいさせて」
今はただ、この温もりを、この気持ちを、感じたいから。

「…仕方がないわね…」
そう言って黒猫も、俺の背中に手を回す。
その優しさが、ただ今はありがたかった。

昨夜から今日の朝にかけて、俺はずっと思い出していた。
初めて会った時から、昨日の告白に至るまでのあやせを。
記憶はずっとループして、ひたすらあやせの記憶を再生していた。
なぜそんなことをしていたのかわからない。
だけど、一つ気づいたことがあった。

俺は、新垣あやせが好きだ。
好きだったじゃない。多分、今でも好きだ。
それに、Likeじゃない、Loveだ。

きっと俺は、初めて会った時からあやせのことが好きだったんだと思う。

…でも、そんなあやせの告白を、俺は断った。
何故か、理由は簡単だ。

あやせ以上に、俺はこいつを、黒猫を好きになっちまった。

だから、俺は黒猫を選んだ。

あやせじゃなく、黒猫を。


でも、好きな女の子を振るって言うのは、思いの外心に穴を空けたようで、その気持ちに気づいてしまったら、とても苦しかった。
泣きそうになった。
死にたくなった。


だから、俺は今黒猫を抱きしめている。
あやせ以上に好きな、黒猫の存在を噛み締めている。

その温もりは、思った以上に俺を癒してくれていた。


あぁ、間違っていない。
俺は、この子を選んだんだ。
俺は…

「…瑠璃」
「なに?京介」
「愛してる」
「なっ!?…ほ、本当にどうしたのよ!?」

質問には答えてやらない。

代わりに、更に強く抱きしめる。
「全く…」
そう言って、黒猫も抱きしめる力を強くし、
「私も愛してるわ、京介」

と、ポソリと言ってくれた。

「ありがとうな、黒猫」
「別になにもしてないけど…どういたしまして」
落ち着いた俺達は、先程のベンチに座っていた。

「ホントびっくりしたわ…。朝も早くから、しかも到着して早々に抱きしめられるなんて思ってもいなかったわ」
「いやぁ、ハハハ…」
「…でも、なんであれ私を必要としてくれたってことでしょう?」
「…まぁ、そういうことになる…かな」
「フフフ…。それならいいわ」
切羽詰まってたとはいえ、我ながら大胆なことをしたものだ。
朝早いとはいえ、誰かに見られていたかもしれないと考えると、顔が熱くなる。
「ねぇ、先輩」
ベンチに置いていた右手を、黒猫が両手で包みこんだ。
黒猫の方を見ると、頬を赤らめてこちらを見ている、黒猫の顔が目に入る。
あやせとは違う、吸い込まれそうな綺麗な瞳だ。
「昨日、電話でも言ったと思うけど…」
「私は、あなたがいないとダメなの。あなたのいない世界なんて、考えられない」
改めて直に言われると、恥ずかしいものである。
黒猫の顔も、赤みが増していく。
「…だけど、頼るばかりはいや。私が頼るだけじゃ嫌なの。だから、あなたにも私を必要としてほしい。私に、頼ってほしい」
「…さっきの…私、嬉しかったわ。私を必要としてくれて、頼ってくれて」
「だから、ゴメンだなんて言わないで。悪いことをしただなんて思わないで。理由が言えなくても、事情が話せなくてもいい。今日みたいに、ただ抱きしめてあげるだけでもいい。私を必要としてくれることは、私にとっての幸せでもあるのだから…」

「黒猫…」

あぁヤバい、マジでヤバい。

ヤバいぐらい俺はこいつが、瑠璃が好きすぎる。

こんなに俺のことを思ってくれる彼女がいるのに、それ以上何を求める?

何もいらない。
瑠璃がいれば、どんな困難でも乗り越えれる気がする。

スッと顔を近づける。

察したのか、黒猫は瞼を閉じた。

感謝してもしきれない、この気持ちを伝えるのは、これが一番だろう。

俺は瑠璃の唇に、唇を重ねた。

「「行ってきます!」」
朝食を食べ終え、俺と桐乃は玄関の扉を開ける。
最近は途中まで桐乃と登校しているのだが、今日はどうやらそうはならないみたいだ。というのも、玄関先に桐乃を待っていたのであろう、新垣あやせを見つけたからだ。

「あれー、あやせじゃん!おはよ!」
「おはよう、桐乃」
ちらっとこちらを見る。
「お、おはよう、あやせ」
「おはようございます、お兄さん」
「もしかして待っててくれたの!?ありがと!」
「うん、一緒に行こう?桐乃」
「当たり前じゃん!…ってあぁぁぁ!今日体育あったんだっけ!?」
「うん、4限目にあるよ」
「やっばー!忘れてた!体操服取って来るから待ってて!」
バタバタと家の中に戻る桐乃。
俺とあやせだけが取り残される。
…ぶっちゃけ気まずい…。何を話したらいいのかわからない…。
変な汗が流れる。
「お兄さん」
「ひゃ…ひゃい!?」
突然話しかけられて、素っ頓狂な声を上げてしまった。あやせは気にした様子もなく(何か虚しい)、話を続ける。
「私、お兄さんのことが、まだ好きです」
「そ、そっか…」
俺も好きですとは、さすがに言えない。

「でも、いつかお兄さん以上にいい人を見つけて、幸せになってみせます!そして、お兄さんが私を振ったことを後悔させてやりますから!!」

あやせはビシッと人差し指をこちらに向けて、宣言した。
それは、あやせなりの踏ん切りであり、宣戦布告なのだろう。

あやせはあやせのやり方で、前に進もうとしていた。

「…ふ、それは無理だ」
「!な、なんでそんなこと言い切れるんですか!?」
「あやせを最も幸せに出来るのは、今もこれからも…

俺だけだからだ!!」
「な、何を言っているんですか!?私を振ったくせに!!」
「大丈夫だ!妻には迎えられなくても、愛人枠はいつまでも空けておくから」
「変態!!やっぱりしねぇぇぇぇぇ!!!」


「きょうちゃん、おはよ~」
「おう麻奈美。相変わらずマヌケな挨拶だな」
「も~、朝一番の一言がそれ~?」
「ハハハ。スマンスマン」
「ぶぅ~!」
頬を膨らませても、可愛くないぞ。むしろ不細工になったぞ、幼なじみよ。
「きょうちゃん、なんだかご機嫌だね」
「顔に出てたか?」
「うん」
そっか、と呟いて歩き出す。

しばらく歩いていると、良く知った後ろ姿を見つける。
「スマン、麻奈美」
「うん、また教室でね」
麻奈美と途中で別れ、その背中に駆け寄り、声をかける。

「おはよう、黒猫」
「おはようございます、先輩」
昨日も会ったのだが、何度会っても嬉しいものだ。彼女と言うのは。
「昨日は付き合ってくれてありがとう。おかげで目的の物が手に入ったわ」
「俺はついていっただけだぜ?」
「それだけでも、嬉しかったわ」
そう言った黒猫の頬は、ほんのりピンク色に染まっていた。
「あんなことでいいなら、いつでも誘ってくれよ」
「あら、なら今日の放課後、早速付き合ってもらっていいのかしら」
「あー…、今日は…」
ゴソゴソとポケットを探り、目的のものを取り出す。
それを黒猫に差し出すと、黒猫は目を丸くして、驚いていた。

わかっている、俺らしくないことぐらい。

でも、たまにはいいだろう?

「今日は、俺が誘っていいか?」

そう言うと、黒猫はおずおずと映画のチケットを手に取った。






こうして、一つの恋が終わりを告げ、もう一つの恋は、より深みを増した。

これで、俺の日常が大々的に変わったわけではなく、相も変わらずの日々を送っているのだが、
俺にとって、それとあやせにとっての一つの終わり、そして新たな始まりが、確かに生まれたのだ。

深夜、俺は桐乃の部屋のドアをノックする。

「…なに?」
ガチャッと開いたドアの隙間から、怪訝な表情をした桐乃が顔を出す。
「これ、フルコンプしたぜ」
そういって差し出したのは、桐乃から無理矢理貸されていた妹物のエロゲー。
それを見た瞬間、桐乃の表情は一変し、キラキラしていた。
「クリアした?クリアした!?どうだった?神ゲーだったでしょ!?」
「ああ、さすが評価が高いだけあって、シナリオは良かったな。特にこんのルートは不覚にも泣いちまった」
「でしょ!?こんのちゃんマジ最高!!現実にいたら抱きしめてあげるのにぃー!!」
「現実で見知らぬ子供にそんなことをしたら犯罪になりかねないからな?」

最近は、桐乃ともこうしてクリアしたゲームについて語ることも多くなった。
…もう、あの頃の俺に戻るのは無理だろうな…
まぁ、戻る気はさらさらないが。
「まぁ、たしかにこんのみたいな可愛い妹がいたら、多分俺も可愛がりまくるだろうなぁー…」
「はぁ?あんたの目、節穴?」
「?どういうことだよ…?」
「目の前にいるじゃん」
「は?」
「可愛い妹」
「おいおい…」

後で罵られようが、蹴られようが、これは言ってやらないと気が済まない。

はぁ…とため息をついて、桐乃に告げる。


「俺の妹が、こんなに可愛いわけがないだろうが」




Fin.
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最終更新:2011年02月20日 23:25
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