或る非日常1

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 桐乃が事故に遭った。
 俺がお袋からそう聞いたのは、リビングで呑気に漫画雑誌を読んでいた時だった。
 
「ど、どういう事だよ、お袋!?」

 電話の向こう側に居るお袋に向かって、つい問い詰めてしまう。
 桐乃が、事故に遭っただって? あいつが? おいおい冗談だろ?
 嫌な汗が背中から滲み出ている。
 じょ、冗談じゃねえ。……嘘だろ?
 
「わたしもまだ詳しくは分からないんだけど――」

 お袋の話を聞くと、こうだ。
 今現在、桐乃は強化合宿中であり、事故に遭ったのは合宿先である事。
 
 桐乃はどうもスランプを迎えているらしくて、無理をしている様子だったとの事。
 そしてある時、桐乃が道路の脇を歩いていると、そこで何かを見つけて飛び出して。
 
 そして車に轢かれたというのだ。
 
「ざっ――けんなっ! 引率の先生とかいんだろーが! そいつらは何やってんだよ、ええ?
 スランプ迎えてる奴を放ってんじゃねえよっ!!!」
「わ、わたしに怒んないでよ。それに、直ぐに救急車とか呼んでくれたりしたみたいだし、そう悪く言うものじゃないわよ」

 くっ、確かに。
 お袋の言い分で少し頭が冷えた俺は、冷静に状況を把握する事にする。
 
「……悪い。で、桐乃は今どこに? 容態は?」
「今、病院で検査してるみたいなんだけど、結果はまだ出てないって。
 取り敢えずお母さん、その病院に行くつもり。もしかしたら入院とかになるかも知れないし……」
「…………俺が行く」
「え?」
「俺が行く。その病院を教えろ」

 この時、俺は全然冷静じゃなかった。
 こうやってお袋と悠長に話している事自体にも苛々してきていて、あまつさえお袋に対してキレそうにすらなっていた。

「……あんた」
「……んだよ」
「ふふっ、なんでもない。分かったわ、あんたに任せる。……お兄ちゃんだもんね」
「はん、うるせえ……当たり前だろ」

 そう、俺は兄貴だ。であれば、妹が困っているならどうするか、なんて決まってるだろ?
 俺はお袋から桐乃が居る病院を聞き、必要なものを鞄に突っ込み、慌ただしくも家を後にした。

 桐乃が居るらしい病院は、俺の家から電車で2時間程掛かった先にある、山の中にある病院だった。
 決して軽くはない荷物を背負いながら、山を登っていく。

 どうせ、桐乃の事だ。やってきた俺の顔を見て、うんざりする事だろうよ。
 だが今の俺はその顔が見たくて、仕方ない。あいつの悪態が、聞きたくて仕方がない。

 俺ってもしかするとドMなんじゃねえのか。
 ……シスコンでドMってどんだけだよ。

 山を登りながら、俺はそんな事を考えていた。

 ……分かってる。どこかで最悪の可能性を想定してしまっている自分が居る。
 少しでも油断すると想像してしまうのだ、悪態すら付けないような状況の妹を。

 だから、悪態をつく桐乃の姿を脳裏に焼き付けながら、俺は山を登っていく。
 
 1時間程、歩いただろうか。
 どうやら目的地の病院に辿り着いたようだ。
 空は赤く染まっている。
 
 考えなしにここまで来たが、面会時間とか大丈夫なんだよな?
 最悪、忍び込むしかねえな。

 病院の構造を外見でひと通り観察し、非常階段の位置、下水パイプの位置、などを記憶しながら、病院内へ向かう。

「高坂、桐乃さんですね。はい、念の為、何か身分を証明出来るものを提示できますか?」
「が、学生証でいいっすか?」
「はい、大丈夫です。……はい、確認が出来ました。家族の方であれば、特に面会時間に制限はありません。必要があれば、毛布を貸し出しますので言ってくださいね」

 それは泊まっていっても大丈夫という事なのだろうか。

 ……まあ、そこまで長居はしないだろう。
 それにこうやって面会が許される辺り、どうやら最悪の事態では無さそうで、俺の目的の大部分は果たされたとも言える。

 つか、一応あいつの着替えとか適当に突っ込んできたけど、そこまで大事じゃなかったんじゃね?
 ちょっと突き指とかのレベルだったら俺、超恥ずかしくね?

 大体、これを用意したのが俺だってバレたら、あいつ絶対キレるし。
 何勝手に部屋漁ってんの、つかなにこれ、あたしの下着じゃん。な、何考えてんの! と台詞まで想定出来る。

 うっせえ、こっちも慌ててたんだよ。
 想像の妹とのバトルを繰り広げながら、俺は教えられた病室へと向かう。
 
 病室の扉を軽くノックして開ける。
 そこには、幾つものチューブが繋がれた姿があった。

「…………」

 え?

 なにこれ。え、これ、桐乃なのか?
 う、嘘だろ?

 こちらからだとよく顔が見えない。

 しかし確認をしたくない。

 俺がそんな葛藤をしていると、俺の気配に気付いたのだろう。
 チューブに繋がれた女の子が、俺の方へと振り向いた。

「あなた……、誰?」

 ……。
 あれ、俺誰だっけ?

 つか、目の前に居るこの女の子は……桐乃、じゃない。
 入ってきた扉を、数歩下がり、改めて病室を見る。

 306号室。

 俺が受付で教えて貰った番号は、305号室。

 ……。やっべ、部屋間違えた。


「す、すみません! 部屋、間違えました!」

 っかしーな、ちゃんと数えたんだけどな。

「……ふふ。なーんだ、残念」

 その女の子は、小さく笑う。何処と無く儚げな雰囲気を持つ女の子だった。
 桐乃より、年下だろうか。容姿だけで見ると、とても若い。けど、雰囲気は大人びていた。
 
 なんだか凄く恥ずかしくなってきたので、俺はもう一度謝罪を述べると慌てて部屋を出ていった。
 
 305号室。次はしっかりと目視して、部屋に入る。

「…………」

 部屋に入ってきた俺を、初っ端から睨みつけている桐乃。

「よ、よう」

 俺が呼びかけても、ガン無視で俺を睨みつけている。

 ……あ、あれ、なんでこいつイキナリ切れてんの? つか俺が部屋に入る前から切れてたよね?

「……部屋間違えるなんて、最ッ低!」

 いかん、バレてる!?

「いや、あれな、そのわざとじゃ、ないんだぜ? ちゃんと部屋を数えて入ったし?」
「あんた、こういう病院だと不吉な番号を敢えて抜いている事があるって知ってる?」
「…………」

 そういう事スか。
 つか、考えてみればそうだよな。おいおい、高校生しっかりしろよ、中学生に指摘されてどうする。

「……フン、どんだけあたしに会いたかったってのよ」

 どうやら妹の中では、俺が妹に会いたい余りに部屋番号の確認を怠った、と解釈されているらしい。
 
「けっ、言ってろ。ちょっと荷物が重くて疲れてただけだっての」



 正直の所、妹の解釈が当たっている気がしなくもないが、それを認めるの癪だったので、適当に誤魔化して、本題へと入る。

「で、……症状はどうなんだ?」

 そう言いながら、桐乃の姿を一瞥する。特にチューブとかには繋がられていない。
 一見して分かるのが、片腕を覆っている包帯。

「……別に、大したこと無いし」

 桐乃は何処か不貞腐れたように、唇を尖らせてそう返す。

「それ、……痛いのか?」

 視線で包帯を示して、桐乃に問いかける。

「んー。今はそうでもない、カナ。ちょっと挫いただけだし」

 ふむ、特に嘘をついているようにも思えない。別に入院とかそういうレベルの話じゃない、のかね?
 だとすると俺が必死こいて持ってきたこの荷物が無駄になる訳だが……。

「ただちょっと頭とかも打ったから、一日入院する感じ」

 なるほど。詳しくは知らないが検査入院とか言う奴なんかね。

「ま、元気そうで良かったよ」

 それは嘘偽りない本心からそう思った。

「元気じゃないっての。この怪我のせいで合宿無駄にしちゃったし、怪我治るまで、モデルの仕事も出来ないし、ホント、最悪……」

 桐乃が不満げに足をバタバタさせる。
 元気はありあまってるようだ。だが、スランプ気味だとも聞いていたし、ここで数日とはいえ大人しくさせておくのもいい機会かも知れない。
 
「……てかさ」
「あん?」
「なんで、あんたなワケ? てっきりお母さんが来ると思ってたんだけど」

 何故俺なのか。
 …………。
 特に理由はないな。
 
「別に俺でもいいだろ。なんだよ、不満なのか?」
「不満だっての」

 ……は、はっきり言い切りやがって。
 少し傷ついたぞ。
 
「あ……べ、別にあんたが来た事が不満なんじゃなくて、その……」

 俺の表情に気付いたのか桐乃が少し慌てたようにそう言い繕おうとする。
 
「へっ、別にいいっての。不満で悪かったな」

 おまえが俺の事を嫌ってるのは分かってるしな。不満なのは分かる。
 事故って心細い時に、嫌いな奴に来られてもそりゃ嫌だよな。
 不満だって言いたくなるだろう。
 
「ち、違うって言ってんのに。ふんっ……、で、どうするワケ?」
「どうするって?」
「これから。あたし、別に重症って程でもないし、正直一人でご飯とか食べれるし、大丈夫なワケ。
 一応服とか持ってきてくれたみたいだけど、それを置いていけばもう用無いじゃん?
 だから……どうすんの?」
 
 なるほど。桐乃は検査入院で一日泊まる。とはいえ検査であり、何か重症な訳ではない。
 身の回りの事は出来そうだし、もう帰って大丈夫なんじゃないの、という意味だろう。
 
 ……そんなに俺を早く帰らせたいのか。
 どんだけ俺を嫌ってるんだ、こいつは。
 俺だってな、貴重な夏休みをこんな事に使いたくねえよ。さっさと帰って、雑誌の続きを読みてえさ。

「……どうせ、あんたは……帰るんでしょ?」
「いや、帰らない。ここに泊まってく」
「えっ……?」

 桐乃が意外そうに目を見開く。
 うるせえな、俺も自分の答えにびっくりだよ。

 でもさ、何の役に立たなくてもさ、妹に帰れって遠回しに言われてもさ。
 検査入院ってのは、何かがあるかも知れねえから受けるんだろ?
 これで帰ってから実は何か見つかったなんて聞かされたら、俺は絶対自分を許せねえから。
 結果を聞くまでは帰らねえ、っての。
 あくまで自分の健やかなる夏休みの為にな。
 
「と、泊まるっていってもさ。ここ、ベッド一つしかないし、あああたし、あんたと寝るのはちょっと……」
「おまえは何を想像してんだっ!? 一緒に寝るなんて考えてねえよ!
 さっき、受付で毛布貸してくれるって話だったし、適当に椅子にでも座りながら寝るよ。
 この季節だし風邪も引かねえだろうしよ」
 
 相変わらずぶっ飛んだ発想する奴だな。
 おまえの脳内ではドラマでよくある家族が泊まっていくシーンはどうなってんだと言いたいわ。
 
「あ、ああ。そう。……で、でも椅子で寝るのも辛くない?」
「大丈夫だ、慣れてる。勉強しながら寝るなんてしょっちゅうだしな」

 おまえに借りたエロゲーをしながら寝ててノーパソの一部をよだれだらけにした事もあるぐらいだ。
 ……無論、内緒だけどな。
 
 つか、どんだけ俺を帰らせたいんだこいつは。お兄ちゃん泣くぞ。
 
 そんな俺の回答にそれなりに納得したのか、「あっそう」と簡単に言葉を切ると桐乃は俺から視線を外した。
 
「じゃあ……、なんかする? ここでぼーっとしてるのも何でしょ。
 あたしも暇つぶしの相手欲しかったんだよね。ここ、ケータイも繋がらないしさ」

 ん? と思い、ポケットから携帯を取り出してみる。
 確かにアンテナが立ってない。

「げ、マジだ。道理でお袋からの連絡が来ねえわけだ。悪い、ちょっとお袋に電話してくるわ。
 その間に何するか考えておいてくれ」
「あ、お母さんに心配かけてごめんね、って言っておいて」
「へいへい」

 お袋には素直なんね。ったく俺だって心配したんだっての。
 心の中で溜息をつきながら、部屋を出る。
 確か、受付の所に公衆電話あったよな……。
 
 お袋に報告を終えて、再度桐乃の居る病室の前まで戻ってきた。
 ドアをノックしようとした所で、視線を感じた。
 視線は、右の方から……さっき俺が間違えて入った部屋の方からする。

 視線の方へと向くと、その部屋から女の子が一人顔を出していた。
 さっきの女の子だった。
 
「…………」
「…………」

 無言で見つめ合う俺と少女。
 一向に何かを切り出す素振りを見せない少女。
 俺は頬をぽりぽりと掻いて、少女の方へと歩く。
 
 そして少女の視線の高さまで頭を下げて、聞く。
 
「どうした? 何か困りごとか?」
「…………」

 少女は何か言いたげな表情を浮かべるが、直ぐに首を振る。
 そうして、部屋の中へと戻っていってしまう。
 
 一瞬、後を追おうかと考えたが、しかし赤の他人がそうそう部屋に入っていいものじゃないだろう。
 やれやれ、年下の女ってのは何を考えてるのか分からねえな。

 桐乃が居る病室の前まで戻り、ノックをしながらふと思った。
 あれ、さっきの女の子、さっきまでチューブに繋がってなかったっけ? 歩きまわって大丈夫なのか?

「遅い! いつまであたしを待たせるわけ? さっさと入って来なさいよ」

 そんな思考は、妹の文句によって打ち消された。
 はいはい、ったくうちの妹様はワガママなんだからよ。
 
//

 ふと、外を見るともう暗くなっていた。
 ……山の中の夜って何だか、少し怖いよな。
 夏だっていうのに、少し背筋が寒くなる。

「ちょっと、あんた、ちゃんと聞いてるワケ?」

 よそ見をしている俺に対し、妹の不満が飛んでくる。
 
「へいへい。聞いてるっての」

 あれから、部屋に戻ってきた妹が提案した、二人でやる暇つぶしとは何だったか。
 なんと、妹の合宿話を延々と聞かされる事だった。
 というか初めはエロゲートークを始めようとしてきて、流石に病院でそんなトークはやめろ、公衆の場だぞと必死で窘めた。
 そんで無難な話として合宿話になった訳だが。
 
「でね、リカがー、こう地元の彼氏に――」

 自分と面識がない人物の話を聞かされても、全く面白くない訳で。
 せめて、あやせとか加奈子が出てくるならもっと聞く気になれるんだけどな。
 そんな訳で適当に相槌を打ってやってるのが今だ。
 
「そういえばさ」
「ケータイで夜中に話してて……なによ、せっかく良い所なのに」

 話の腰を折られた事に眉を顰めながら、俺を軽く睨んでくる。
 
「おまえ、スランプなんだってな」

 どうせ、合宿話を聞くなら、知っている奴、つまりは妹の話を聞こうと思ったのだ。
 直接、スランプの当人にスランプなのかって聞いていいことなのか分からなかったが、このまま退屈な話を聞かされるのも苦痛だしな。
 
「べ、別にスランプじゃ……」
「じゃあ絶好調だったのか? 今は満足の行く結果を出せてると?」
「それは……違うけど」

 結果を思い出したのだろう。悔しそうな表情を浮かべている。
 
 しかし、こいつがスランプねえ。何があったんだか。
 
「原因は分かってるのか?」

 まあ、原因が分かってたらスランプとは言わないだろうが、一応聞いてみる。
 そして予想通りに首を横に振る桐乃。
 だよなあ。原因が分かってれば、とっくに自分で解決してるよな。
 
「……なに、あんた。なにかできないかって考えてるわけ?」
「ん? ……そうだな」

 お節介だとは分かっている。だが、妹が困っていて兄が何もしないのは違うだろう。
 ……昔なら、こうやって素直に考えなかっただろうな、と思う。
 こう、桐乃がスランプだと俺に八つ当たりされたりで被害を被るから仕方なくやっているんだ、とか言い訳してたかもな。
 
 今だってそういう考えもある。だが、俺は妹と仲良くしたいと思った。
 こうやって、物を解決して、少しでも仲良くなれるのであれば、それは悪くない事だと思ったんだ。
 だから、相手が迷惑顔をしてようと、俺は何かを手伝おうと決めた。
 
「俺、おまえが走ってる姿見るの、結構好きだからな。だから、なにか出来ることがあったら協力するわ」

 そしてそれも俺の本心だ。
 口で言うほど走ってる姿を見ている訳ではないが、リアとの闘いの時とか、純粋に魅せられた。
 走る姿を見て、綺麗だと思ったぐらいだ。
 
 ……絶対言ってやらないけどな。
 
「ふ、ふーん。そ、そうなんだ」

 俺から目を逸らして、そう返してくる桐乃。
 兄からそう言われても不快なだけか。
 仕方ない、いつかはこういう事を言って喜んで貰えるようになれればいいんだがな。

「そうなんだよ。で、原因が分からないまでも、こう心当たりっていうかそういうのはないのか?」
「心当たり……って訳じゃないケド。こう……もやもやしてるのは、あるかな」

 お、それじゃね?
 そりゃもやもやしてるものがあったら、練習にも集中出来ないだろうしよ。
 これは案外早く解決できそうだしな。
 
「よしっ、そんじゃそれを言ってみろよ」
「い、言えるワケないでしょっ!」
 桐乃が顔を真赤にして俺を怒鳴ってくる。
 ええ、理不尽じゃね!? 何、そんな恥ずかしいもやもやなの?
 
 …………。
 
「そうだな、お兄ちゃんが悪かった」
「あ、あんた今なに想像した!?」

 いや、だってねえ。こう恥ずかしいもやもやって。
 こういう発想になってしまうのは男だけかも知れないけどさ。
 
「あ、あたしがもやもやしてんのは、そういう変なのじゃないからっ!」
「んじゃ何故言えねえんだよ」
「そ、それは……」

 桐乃は、顔を横に背けて、チラとこちらを見やる。
 
 ん? もしかして、……俺が原因なのか?
 俺が気付かない内に、桐乃の邪魔をしちまってるのか。
 
「悪い、桐乃」
「え?」
「俺が原因だってなら、出来る限り治すからよ。ちゃんと言ってくれよ」
「…………」

 俺なりに誠意を込めた台詞だったが、桐乃は俺の言葉に何か呆れたようなそういう表情で俺を見ている。

 なんだよ、何か間違えたってのか?
 実は俺、まるっきり関係なかったとか? ただの自意識過剰?
 …………うわ、恥っず。
 
 自分では見れないが、俺、今顔赤くなってね?
 うわうわ、そうだよな、妹のもやもやの原因が兄なワケねえよな。
 あー、やっちまった。
 
 桐乃の顔を真っ直ぐ見れず、つい顔を背けてしまう。
 
「あ、あんたさあ」
「……な、なんだよ」

 罵声っすかね? 分かってます、今の俺はキモかった。
 
「察しがいいんだか、悪いんだか……分かんないよね」
「ご、ごもっともです」

 遠回しに察しが悪いのよあんたは、と言われてるんだろうか。
 
 桐乃は、そういって窓から外を見やる。
 俺もその視線を追って、外を見る。
 
 外はもう真っ暗だ。
 そう言えば、夕飯はどうするんだろう。
 桐乃の分は出てくるとして、俺の分は無いんじゃね?
 
 この辺、コンビニとか無いだろうしな。
 最悪、飯抜きか……。
 
「高坂さーん」

 部屋のドアがノックされ、女性の声がドア越しに聞こえた。
 看護士だろう。
 入っていいですよ、と返事をすると二十代半ば程の看護士姿の女性が入ってきた。
 
 こういう格好の女性を見ると何故か胸がときめくのは俺だけじゃない筈だ。
 
「お風呂空きましたが、入りますか?」
「あ、はーい。入ります」

 桐乃が余所行きボイスでそう答える。
 
 へえ、病院って風呂あるんだ。
 俺も入れんのかな?
 山登ってきて、こう汗だくなんだよね。
 
「なあ、風呂って俺も入れんの?」
「ちょ、あんた、何いってんの?」

 俺の純粋が疑問を、桐乃が慌てて返す。
 何か不味いことを言っているんだろうか。
 
「あら、お兄さんもお風呂に入りたいんですか?」
「そ、それなりには。こう、汗を掻いてしまいまして」
「ふふっ、それは助かりますね」

 え? 助かるって?
 俺が汗かいてるとこの看護士さん的に助かる事があるのか?
 ……極度の匂いフェチとか?
 
「じゃあ、お兄さんもお風呂に入ったらいかがです?」
「え、いいんすか?」
「ちょ、ちょっと――!」

 何か桐乃が慌てている。なんだって言うんだろう。
 
「ええ。それでは、妹さんはお任せしますね」

 何か含み笑いを浮かべて、看護士さんがそのまま部屋を出ていく。
 
「ま、待ってください、看護婦さん!」

 桐乃がその背に呼びかけるが、気付かなかったようだ。
 
「おい、桐乃。今は看護婦じゃなく、看護士って言うんだぜ?」
「そんなのどうだっていいっての! あ、あんたね、何とんでもない事してくれちゃってるワケ?」
「んだよ、俺が何をしたってんだ?」

 さっきから桐乃が慌てている理由が全く分からない。
 俺が風呂に入ると不味いのだろうか。
 
「ここの風呂は、一つだけなのっ! つ、つまり、あんたが風呂はいってあたしも風呂入るってのは……そういう事なワケ……!」

 …………。
 今、こいつ、なんつった?
 
「は、ははは、何言ってんだよ、そうだったら看護婦さんが許すワケねえだろ。幾ら兄妹だって言ってもよ」
「看護婦さんじゃなくて、看護士さんだって」

 いや、どうでもいいだろ、それ。つかさっき俺が指摘したことじゃん。
 
「だ、大体、もしそうだとしてもよ、別々の時間帯で入れば良くね?」

 別に一緒に入らなくちゃいけない理由なんてない。
 入浴時間が決まっているのであれば、一人頭の入浴時間が減ってしまうが、俺としては汗を流せればいいので、3分もあれば充分だし。

「あ、あんた。このあたしを一人でお風呂に入れる気?」
「いや、一人で風呂ぐらい……あ」

 そこでようやく気付いた。
 そうだ、今の桐乃は片腕が包帯で巻かれている状態。
 一人でお風呂に入るってのは中々どうして大変な事なのだろう。

 ――ふふっ、それは助かりますね。
 
 あ、あの看護士、だからあんな事を言っていたのか。
 つまり、自分の代わりに俺が、片手が使えない妹の風呂の手伝いをしてくれるから。
 
 ってそれって問題じゃね? いや色んな意味で! 職務放棄じゃねえか!
 
「わ、悪い。今から看護士さん呼び戻してくるからよ」

 慌てて椅子から立ち上がり、看護士さんを追おうとした所で、桐乃に裾を掴まれた。
 
「……いい」
「いいって……んなワケあるか!」
「いいって言ってんでしょ!」

 な……なんだと?
 こいつ、今自分で何言ってるか分かってんのか?
 俺と一緒に風呂はいる事に対して、いいって言ってんだぜ?
 
「……あんた、言ったでしょ。なにか出来る事があったら協力するって」
「それは言ったけどさ、これとは話が別だろ」
「ふーん……、嘘つくんだ」

 そういう問題じゃ、と桐乃に言い返そうとしてようやく気付いた。
 桐乃の奴、目が据わってやがる。
 もうどうにでもなれと覚悟を決めちまった目だ。

 こうなった桐乃は、頑固だ。
 俺の中に絶望が生まれる。
 
 おいおい、嘘だろ?
 なんで高校3年にもなって、中学3年の妹を風呂に入れなきゃならねえんだよ……。
 
//

 脱衣室。
 沢山の人が入る事を想定はされてない為か、銭湯ほど広くはない。
 しかし、看護士と二人で入ることを考えてか、一般的な家庭よりは広い脱衣所。
 
 そこに、俺と桐乃は居た。
 
「な、なあ、今ならまだ引き返せると思うぞ?」
「……うっさい。やるって決めたの。ほら、さっさとやる」

 さっさとやるって言ってもな……。
 今、何をやる事を強要されてるのかって?
 
 妹の服を脱がす事を強要されてんの。
 はは、笑えちまうよな。
 
 ……はあ。なんでこんな事に。
 言っておくが全然嬉しくないぞ。ただひたすらに気まずいだけだ。
 やれやれだぜ。
 
「……んじゃ、手を上げろよ」
「う、上から脱がすんだ」
「し、下からの方が抵抗あんだろうが……!」

 上だけ着たまま下だけ脱がすなんて……いやそういう趣味はあるけどな?
 恐らく世の中の男性の多くが共感してくれる筈だ。
 だが、だからこそここでそんな選択肢を選ぶ訳にはいかないんだよ!
 
「ん」

 そういって手を上げる桐乃。
 ……合宿に来てただけあって、脱がしやすい服を着ている。
 上着の裾に手を掛けて、上に持ちあげていく。
 当たり前の事だが持ち上げればそれだけ、服の下から桐乃の肌が覗く。

 …………。
 はっ! だ、駄目だ。肌なんて見ている場合じゃねえ。
 俺はただ黙々と任務を遂行してればいいんだよ。
 
 心を無にして、ゆっくりと上着を脱がしていく。
 途中でブラジャーとかが見えて激しく動揺したが、表向きは非常にクールだった筈だ。
 包帯に当たらないように上着を抜いていく時が中々スリリングだったが無事クリア。

 一仕事終えた気分だが、その結果、上半身がブラと包帯だけになった妹が目の前にあった。
 
「…………」
「…………」

 背中ごしとはいえ、こう、なんていうか、……なんていうかだよな。
 何だかもどかしい気分になってくる。
 
「つ、次は下を脱がすからな」
「う、うん」

 桐乃が履いているのは、ホットパンツ。
 この時点でもう下着みたいなもんだ。今度はそう抵抗が無いだろう。
 
 ホットパンツのボタンを、背中から抱きつくような形で外してやる。
 
 ……嘘、全然抵抗あるわ。
 なんだかさっきより脱がしてる感覚が艶かしい。
 それに背中から手を回しているせいで、こう背中が目の前にあって。
 あ、コイツ、肌綺麗だな、とか思ったりしちゃったりして。
 
 何度か格闘しながら、ホットパンツのボタンを外し、チャックを下げて。
 ようやく下ろす段階になる。
 
 ゴクリ。知らずに喉が鳴る。
 緊張で喉がカラカラだ。

 よし、や、やるぞ……!
 
 決意を固めて、ホットパンツを下げていく。
 そしてすぐに現れるのはピンク色の下着。

 …………。

 色々と思考がパニックになりそうなのを我慢しつつも、ホットパンツを下げていく。
 無事、足元まで下げた時は目を瞑ってたぐらいだ。
 
「ほ、ほら、足上げろ。取るから」
「う、うん」

 最後は足首から抜き取って……よし、終了。
 
「よ、よし、じゃあ入るか」
「え……ま、まだ下着があるんですけど?」

 下着まで脱がせって言うのかよっ!?
 勘弁してくれ。
 
「し、下着のままじゃ、風呂入れないか?」

 水着みたいな感じでさ。
 
「は、入れるケドさ」

 じゃあ、それでいいじゃねえか……!
 つかこの台詞は俺から言うもんじゃねえだろ!
 
 内心、そんな事を叫びつつ、俺は自分の服を脱ぐ事にする。

 ……あれ、俺はどうしよう。
 桐乃が入院するかもと服は持ってきているから濡らしてもいいとして。
 俺、自分の服は持ってきてねえぞ。
 さっき、患者用の服を貸して貰えたからパジャマとしては大丈夫だが……。
 下着までは貸してもらってない。
 
 …………。
 
「き、桐乃、こっち見んなよ?」
「え、う、うん」
「ってさっそく見てんじゃねえか!」

 油断も隙もない奴だな。なんでうんと言いながらこっちに振り返るかな。
 桐乃の姿を監視しながら、俺は服を脱いでいく。
 無論、下着もだ。
 
 下着まで脱ぎ捨てて、貸して貰っていた手拭いを腰に巻く。
 これで完璧だ。
 
 いや、超恥ずいけどね。これでも。
 
「も、もう見てもいい?」
「駄目に決まってんだろ、つか、風呂入ってる間はずっと見んな!」

 どんだけ見たがってんだよ、こいつは!
 
 双方の準備が揃ったので、早速風呂場に入る。
 予想していた通り、湯船もそこまで広くはなく、ただ二人が入れる程度には広めにとられている。
 患者によっては、横になった状態でしか入れない人も居るだろうからな。
 
 ……言っておくが、別に、桐乃と一緒に湯船に浸かろうなんては考えてないからな。

「よ、よし、ちゃっちゃと済ませるぞ」
「……ちゃんと優しくしてよね」

 ……こいつはなんていちいち紛らわしい台詞を吐くんだ。
 周りに聞いている人が居たら誤解すんだろうが。
 まあ、誰も聞いてないとは思うけどさ。
 
「へいへい。んじゃ、早速だが、……ええと髪から洗えばいいか?」

 桐乃が普段、どういう順番で身体を洗ってるかなんて知らない。
 というか知っていたら問題だ。
 なので、桐乃に順番を聞く。
 
「うん。いつも髪から洗ってるかな。そっから上半身、下半身って感じ」

 なるほど。……なんだか徐々に難易度が上がっていく感じがするな。

 因みに今、桐乃の包帯はビニール袋で覆ってある。
 当然、濡らさないようにする配慮だぜ。
 
「冷たっ! ……うわ、次は熱ッ!」
 
 俺はシャワーの温度を手で確かめつつ調整していく。
 しばらく格闘しようやく納得の行く温度になった。
 
 よし、こんなもんだろう。
 若干温い気もするが、熱いよりはマシだろう。
 
 軽く桐乃の背中にシャワーを浴びせながら確認する。
 
「どうだ、湯加減?」
「ん、悪くないかも」

 妹様から湯かげんのお許しを貰ったので、次は頭から浴びせる事にする。

 こうやってると何だか昔を思い出す。
 本当に小さい頃、こうやって妹を風呂に入れた気がする。

 ……懐かしいな。あれから、随分と身体が成長したんだな、こいつも。
 
 そんな感じでしみじみと思い出を噛み締めていたら、気付いた。
 というか、気付いてしまった、というのが正しいか。
 
 ……下着、透けてんじゃん!
 
 考えてみれば当然だった。水着と下着は違うのだ。
 水に濡れれば下着は肌に張り付いて、透けてしまう。
 
 つまり、全身を今こうやって濡らしている以上、桐乃の下着が透けてしまっている訳で。
 何だかこう扇情的な感じをもたらしていた。
 
「……どしたの?」

 俺の動きが止まっている事に気付いたのだろう。
 桐乃からそんな声を投げかけられる。
 ……桐乃は今、頭から濡らされていて、まだ気付いてないんだろう。

「い、いや、なんでもナイヨ」
「…………?」

 めっちゃ訝しんでる。
 
「い、いいから、ホラ、このまま髪洗うからな。病院のシャンプーで良いよな?」
「……しかたないっしょ。そんかわり、丁寧に洗ってよね。デリケードなんだから」
「へいへい、任せろって」

 備え付けのシャンプーから適量を手に垂らすと、手で泡を立ててから、桐乃の髪を洗いに掛かる。
 
 ……こいつの髪、すげえ柔らかいな。
 泡立ちも凄くいい。これはシャンプーが良いからというより、髪がいいんだろうな。

「…………」
「…………」

 お互い無言で、俺は髪を洗い続ける。
 今のところ、不満は出てないからこの洗い方でいいんだろう。
 
「……あんたさあ」
「あん?」
「意外と、髪洗うのうまいじゃん」
「マジで? 美容師になろっかな」
「調子にのんなっての。あんたのセンスで髪切ったら大変な事になるっしょ」

 そんな他愛もない会話を続けながら、ひと通り髪を洗い終える。
 
 そろそろ洗い流すか、とシャワーに手を掛けたところで、桐乃が話しかけてきた。
 
「……ねえ?」
「ん、なんだ? まだ洗い足りないところあるか?」
「違くて。……あんたにとってさ、あたしって……」

 こちらに背を向けているから、桐乃の表情は見えない。
 
「あたしって……なんなのかな」

 …………。
 質問が漠然としすぎて、何を意図しているのかは分からなかった。
 俺にとって、桐乃が何なのか。
 すぐに回答は出た。だが、その答えを果たして求めているのだろうか。

「俺にとって、おまえは……」

 ザァアアアアア、シャワーを桐乃の頭から掛ける。
 
「――だぜ」

 丁寧に、髪から泡を流してやりながら、俺は答えた。
 
「ちょ、聞こえ、し、シャワー、止め」

 何か不満が聞こえるが、俺はシャワーを止めない。
 俺が止めないという事が分かったのだろう。
 大人しくシャワーを浴び続ける桐乃。
 
 綺麗に洗い流し終わりシャワーを止めると、それを待ってたのか桐乃が口を開く。

「……あとで、もっかい聞くから。聞こえなかったし」
「聞こえない方が悪い。何度も言わねえよ」
「あんたがシャワー浴びせるからでしょ……!」

 おまえが変な質問をしてくるからだよ。
 桐乃の文句を聞きながら、次の段階として身体を洗う。
 
 と言っても、洗ってやるのは背中ぐらいで、前なら片手で充分洗えるだろう。
 備え付けのスポンジに石鹸を擦りつけ、泡を立たせて、桐乃の背中にあてがう。
 
「ひゃん! ちょ、なに?!」
「変な声を出すんじゃねえ! ただ背中洗うだけだっての!」

 こっちが「なに?」って聞きたいわっ!
 髪と同じように優しくやろうとしたのが裏目に出たか。
 無造作に力を込めて、ごしごしと洗う事にする。

 何やら桐乃から、もう少し優しくだの要望が来たが無視。
 ひと通り洗ってやり、シャワーで洗い流してやり、そしてスポンジを桐乃に渡す。
 
「……なに?」
「スポンジだよ、見りゃ分かんだろ」
「じゃなくて、なんであたしに渡すワケ?」
「まだ前洗ってないだろ。前なら自分で洗えるだろうから、渡しただけだ」

 ったく察しが悪いやつだな。なんでこっちが気遣ってやらねえとならねえんだ。
 背中ならまだしも前は色々と不味いだろうに。
 
 と脳内で悪態をついていると、予想外の桐乃からの返しがあった。
 
「……洗って」
「…………はあ?」
「洗って、って言ってんの」

 あ、あのなあ……。
 
「桐乃、よーく考えろ。前を洗うってのはな、こうなんだ」
「なによ」

 あーもう、ホント察しが悪い奴だな……ッ!

「……おまえのおっぱいとかそんなのも洗う事になっちまうだろうが!」
「……ッ!」

 桐乃は俺の言葉に息を飲む。
 ったく、直接的に言わないと分からねえのか、想像力ねえんじゃねえのこいつ。
「だから、前は自分で洗えって言ってんだよ」
「……知ってるし」
「あん?」
「それでもいいから洗えって言ってんのよ、馬鹿兄貴ッ!」

 ………………へ?
 
 気付けば桐乃は、こっちに振り返っていた。

「あーもう何意識しちゃってるワケ!? いいから妹の胸ぐらい洗いなさいよ、男でしょ?」

 …………。
 
「な、何黙っちゃってるワケ? つーか、何処見てんの?」

 …………。
 
「…………」

 お、俺は悪くないからな?
 振り向いたのは桐乃だし? 急に振り向くもんだから、こっちだって対応出来ねえし?

 だから桐乃の透けてるブラに目が釘付けになっちまったとしても、俺は悪くないハズだ。
 
「…………見たいワケ?」

 俺が脳内で必死に言い訳をしていると、桐乃からそんな提案がなされた。
 
「み、見たくて見てるワケじゃねえよ?」

 なんて言うか男の性っていうか。つい、目が行っちゃうんだって、ホ、ホントだよ?
 
「……確かに透けちゃってるケドさ。肝心なところとかは全然透けてないワケだし? それでも釘付けになっちゃうワケ?」

 確かに、肝心の胸のところは厚い生地なのか、まるで透けてない。
 だが、そこ以外は容赦なく透けていて、なんて言うか実にエロい。
 それが妹であっても同じ事だ。
 
「というか、これじゃおっぱい洗えないよね……?」

 そう言いながら、桐乃が手を後ろに掛ける。
 
 お、女の子がおっぱいなんて口にするんじゃねえよ、と突っ込もうとして桐乃の行動における意味を察する。
 
「ま、待て、桐乃、おま、何をするつもりだ……ッ!」

 俺の質問に、桐乃は顔を赤くしながらも、不敵に微笑む。
 
「なにって? ……こうするに決まってるでしょ!」

 そう言って、桐乃は自分の背にある何かを外した。
 はらりと、背中に回っていたブラの紐が前に降りてくる。
 ブラ自体は、桐乃の胸に吸い付いているのか、落ちる事は無かった。
 
 実際、先ほどと見えている場所はそう変わらない。
 だが、状況はまるで違った。
 
「……お、俺、そろそろ上がるな?」

 ヘタレと言われても構わない。
 つーか妹とこんな雰囲気なんてオカシイだろ。
 
「……逃げるんだ?」

 桐乃は目の前のブラを手で抑えるようにして、そう言ってくる。
 
 逃げるに決まってんだろ。
 
「お、おまえな、そういう冗談は俺だけにしておけよ?」

 そう言いながら、去ろうとする俺の足を桐乃が掴む。
 
「おわっ、あ、危ねえだろっ!」
「逃げんなっ!」

 ブラを抑えていた手で俺の足を掴んでる訳だから、当然ブラがゆっくりと肌を滑るように落ちていく。
 
「お、おい、ブラ落ちんぞ?」
「そんなのどうだっていい! いいから、あんたは逃げんな! あたしを置いていくな!」
「……桐乃?」

 俺の足を掴む手が、強い。そして桐乃の言動も何故か必死だった。
 
「あんたにとって、あたしが妹だってなら、変に意識しなければいいでしょっ!?
 妹の裸なんて見たって、あんたは何とも思わないんでしょ?
 だったら逃げないでちゃんとあたしを見て」
 
 ……それは、そうだけど。
 妹の身体なんて見ても、別に何とも思わない。それは、確かに俺の中の回答だ。
 実際、今にも落ちそうなブラを見たところで、俺の海綿体は起き上がろうともしていない。
 
 俺は去ろうとする足を止めて、真っ直ぐと桐乃と向き直った。
 その態度を見て、桐乃も俺の足から手を離す。
 
 俺の足から離れた手は、それでもブラを抑えようとはしない。

「……分かった」
「え?」
「見てやる。おまえの事をちゃんと。……それが俺の答えだ」

 俺の言葉に、桐乃は目を少し見開いた。
 それが傷付いたような表情に見えたのは俺の気のせいだろうか。
 桐乃はそのまま僅かに俯いて、手で拳とキュッと作る。
 
「……じゃあ、見なさいよ」

 落ちきらず、ただ桐乃の胸に乗っているような状態だったブラに手を掛けて、一瞬だけ躊躇した後、あっさりと桐乃はブラを取った。
 
「……っ」

 ブラの下には、まだまだ成長途中の、それでも確かに存在を主張している胸があった。
 穏やかでなだらかな膨らみ。そして、その頂上でつんとしたピンク色の乳首。
 
 俺はその姿をじっ、と見やる。
 桐乃はただ俺の視線を受け止める。
 
「……なんか、感想とか……無いワケ?」

 俯いたまま、桐乃は俺にそう声を掛ける。
 
「成長したな、桐乃。俺が前に見た裸はもっともっと餓鬼っぽかったよ」
「……それだけ?」

 がっかりしたような声音で、桐乃はそう呟く。
 全く、どんな回答をおまえは俺に求めてるのか。
 
「……綺麗だ、と思った」
「…………」
「まだまだ成長は足りねえけど、女神のようだと思ったよ」

 それは俺の偽りのない感想だ。
 ただまだ女神と形容するには成長が足りないけど。
 言うなれば、まだ子どもの女神を見ているようだった。
 
「……そう」

 喜んでるのか落ち込んでるのか、複雑そうな声音。
 まだ桐乃にとって満足の行く回答では無いらしい。
 俺を目を閉じて、そして、一番初めに感じた感想を言う事にする。
 
「あぶねえ、と思った」
「え?」
「後、数年経った時のおまえの裸じゃなくて良かったと思った」
「……なんで?」

 そこでなんでって聞くかね。
 
「餓鬼の頃より、ずっとずっと色気があって。正直さ、少し興奮しちまった。
 あと数年後のおまえの身体だったら、きっと欲情してた。
 おまえを襲っちまってたかも知れねえぐらいに」
 
 これは兄として失格なのだろうか。
 どうなんだろうな。成長した妹の身体に欲情しちまうのはやっぱアウトか。
 仮に親父がそんな事言い出した日には通報しちまいそうだもんな。
 
 俺は桐乃を女として意識している部分が、確かにあるという事だ。
 兄にも、関わらず。
 
 そういう気持ちに気付きたくないから、俺は早くここから逃げたかったってのに。
 うちの妹は酷な事をしてくれる。
 
「……そっか」

 妹は、端的に俺の感想に対してそう返す。
 まだ俯いた侭。
 
「じゃあさ、……改めて、あたしの身体を洗ってよ。こうして兄貴に身体を洗って貰えるのは……今だから出来る事なんでしょ」

 兄妹として、こうやって風呂場で居られるのは今だから。
 将来的にはこうやって風呂場で居られる事は出来ない。
 それでも二人、風呂に居るのであればそれはもう、兄妹としてではなく。

「……分かった」

 これが、最後だ。俺と桐乃が一緒に風呂に入るのは。
 兄貴として妹の身体を洗ってやれるのは。
 
 断る理由なんてなかった。
 だから、俺は頷く。
 桐乃は俺の返事に、こくりと頷く。
 
「そんじゃ、手で洗ってよ」
「おう……ってなんでだよっ!?」

 超ハードルあがってんですけど!?
 少ししんみりした空気を変えたかったのも知れねえけど、それちょっと方向性間違えてるから!
 
「妹の成長した身体、触りたくないの?」
「そういう問題じゃねえ! つかそこではいって言ったらそいつ兄貴超失格だから!」
「少し欲情した時点で、兄貴として失格だと思うんですケド」

 グサッ。
 今の桐乃の言葉、すげえ胸に刺さった。
 だよな、俺、兄貴失格だよな……。
 せっかくいい兄妹になろうと決意した矢先に……。
 
「ちょ、マジで凹まないでよ。じょ、冗談だってば。ほら、顔あげなっての」

 がっくり項垂れている俺の髪を掴んで、くいっと持ち上げる。
 
「ちょ、てめえ! 男のデリケートな髪になんてことをしてくれてんだっ!」
「あんたが項垂れてんのが悪いんでしょ。ほらほら、ちゃっちゃか洗いなさいっての」
「あー、もうヤケだ! わーったよ、洗ってやんよ!」

 石鹸で手をぐしぐしと泡立てて、準備OK。
 
 よし、と桐乃を向き直ったところで目が合う。
 
「……おい、背中向けよ?」
「はぁ? なんで。背中はもう洗ったでしょ」
「そ、それはそうだけどよ」

 こう背中から洗った方がなんて言うか健全かなあ、って思ったんだが。
 いや、寧ろその方が嫌らしいか?
 
「それにあんたの反応見てたいし」
「…………」

 ぜってえ動じねえと俺は心に誓った。
 
「ようし、やったろうじゃねえか!」

 スイッチが入ってる俺は、そんぐらいじゃ怯まねえぜ。
 早速俺は、桐乃の……腕から洗い始めた。
 ヘタレっていうな、畜生。
 
 腕、腹、脇腹、脇、肩……と黙々と洗っていく。
 その間、桐乃はニヤニヤと性格の悪そうな笑みで俺を観察していた。
 けっ、頬を真っ赤にしながらそんな表情したって無駄だっての。
 
「そろそろじゃん?」
「…………」
 なんでこいつはこんなに乗り気なんだ?
 おかしいだろ、いつも俺が裸みたらマジギレすんじゃん?
 理不尽に家を追いだそうとすんじゃん?
 
 くそ、ここで躊躇したら現時点でもガンガン意識しちゃってるって思われちゃう訳で。
 そうだ、目の前に居るのはただの妹。それ以上でもそれ以下でもない。
 おっぱいぐらい、洗っても何の問題もない。
 
 全然意識なんてしてねえよ、という感じで無造作に桐乃の胸に手を伸ばす。

「な、なんか嫌らしい手つきしてるんですケド」
「気のせいだ」

 そして、桐乃のおっぱいに手が触れた。
 ピクッ、と震える桐乃の身体。
 ビクッ、と震える俺の身体。
 
「わ、悪い、なんか変だったか!?」
「……あんた、びびりすぎ。少しぴくってしただけっしょ」
「…………」

 確かにどんだけビビってんだ俺は。
 恐る恐る犬に触っている赤ん坊みたいなリアクションしてしまった。
 
 コホン、胸の内で咳払いを一つし、冷静さを取り戻しながら再チャレンジ。
 
 …………ぷに。
 
 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!
 や、やわらけえ! なにこのやわらかさ! マシュマロ? 神のマシュマロ?
 でもこの肌触り、しっとりとして温かい、なんなのこれ。
 こんなのが地球上に存在してるなんて信じられん。
 
「ね、ねえ?」

 やべええ、超やべえええ、なにこれ! 信じらんねえ!
 押したら返ってくるぞ、これ! ぷるんってしてんの、マジぷるん。
 よく効果音でぷるんって使われてるけどマジぷるん。半端ねえ!
 
「ちょ、ちょっと……ん、……あ、あんた」

 女ってすげえ、こんな神秘を胸に備えてるなんてマジやべえ!
 想像以上のぷにぷにだわ、一日中触っててえぐれえだ……!
 
「す、すとーーーっぷ!」
「――ハッ!」

 桐乃に声を張り上げられ、ようやく俺は我に返った。
 
「あ、あんたねえ、なに妹の胸を夢中でもみくだいちゃってるワケ?」

 ぷにぷに。
 
「って揉むな! いったんあたしのおっぱいから手を離しなさいっての!」

 桐乃に手を叩かれて、名残惜しくも俺は妹のおっぱいから手を離した。
 
「すまん、余りの柔らかさにちょっと我を失ってた」
「そ、そんなに柔らかいっけ?」
「いや、ただ柔らかいワケじゃないんだ。こう適度に弾力があるっていうか、なんつうか凄かった。正直感動した」
「……あんたの言動に正直引くんですけど」

 おっぱいの素晴らしさを語ったら妹に引かれてしまった。
 当然ですよね。
 俺も桐乃にちんこの素晴らしさを語られたら引くもん。
 
「…………」
「……ん?」

 気付いたら桐乃が俯いている。
 もしかして俺の余りのキモさに身体を洗って貰ってる事に後悔してるのか?
 
 ……いや、これは俯いてるんじゃない。
 下を……俺の下を見てる!
 
「……げっ!」

 俺の下、別にそそり立ってはない、すこし、ほんのすこーしだけ大きくなってる気がするが少しだけだ。
 問題はそこじゃない。
 こう手拭いが微妙にはだけて、その隙間からこんにちわしているという事が大きな問題だ。
 
 知らない内に、俺の海綿体と桐乃は顔合わせをすませてしまったらしい。
 
「ね、ねえ。あんたも触ったんだからさ、あた」
「却下!」

 おまえにちんこの素晴らしさなんて語られても困る!
 いや、語らないと思うけどさ。
 
「なんでよ、ズルくない? 散々触っておいて」

 言っておくが触らせたのはおまえだからな。
 
「俺が触ったのはおまえの胸だ。だから俺の胸なら幾らでも触っていいぞ」
「んじゃ触る」

 男の胸なんて触りたくないと突っ張られるかと思ったが、予想に反して桐乃は乗り気だった。
 
「へえ、やっぱ男の胸にも乳首あるんだ」

 そりゃあるよ。何を言って――ああ、確かにエロゲの野郎には基本乳首描かれてねえな。
 つか現実で男の水着とかで上半身ぐらい見てんだろ、なんでエロゲのが優先されてんだよ。

 ていうか、俺の乳首をそう興味津々で弄り回さないで頂きたい。
 別に乳首で感じるような事はないか、なんか擽ったいっていうかもどかしい気分になってくる。
 ……あれ、もしかしてこれが感じてるって事なのか?
 
「すとーーーっぷ!」
「ちょ、なによ!」
「うっせえ! 終了、ここまで!」

 危うく妹に乳首を開発されちまうところだったぜ……。

 そ、そろそろ次の箇所に行くとしよう。
 上半身は終わったし、次は下半身だな。
 
 あー、下半身な。
 下半身か……。
 
 チラ、とこれから洗おうとしている箇所を見やる。
 …………ッ!
 ばっちし透けてるよ! うわ、マジ勘弁してくれ!
 確かに肝心の部分は二重構造なのか丸見えって訳じゃねえけどさ!
 さっきのブラより比較にならねえぐらい透けてんだよ!
 分かるかな、分かるよな!?
 
「つか、今思ったんだけどさ、あたしの胸を触ったからあんたの胸を触らせるって事はさ。
 あんたのその、ち、ちん」
「言わんとしている事は分かったから今直ぐ口を閉じろ女子中学生」

 ちんこなんて女の子が口に出すんじゃねえよ。
 つか、俺のちんこがどうしたって?
 ちんこを触るならおまえのなんかを触らせればいいとかそんな話か?
 
 だが断る。
 正直に言おう。
 さっきのおっぱい触りからおっぱい触られで、俺の海綿体が目を醒ましかけている。
 後少しでもスイッチが入ったら一気に覚醒してしまうだろう。
 
 いいかね、あくまで今回は兄妹最後の入浴なのだよ。
 そういうしんみりとして切ないシチュエーションな訳だ。
 ここで、俺の海綿体がパオーンしてみろ、台無しだ。
 
「っておまえはなんで脱ごうとしているワケ!?」

 そういう俺の深遠なる配慮を無視して、あろう事か桐乃は自分の下着を脱ごうとしていた。
 
「え、だってあんたの見ちゃったし。あたしも見せた方が良いのかなーって」

 あっけらかんとそんな事を言い出す桐乃。
 こ、こいつ、羞恥心とか麻痺してんじゃねえだろうな。
 
「み、見せなくていい、大丈夫だ」
「でもパンツ越しじゃ洗えなくない?」
「洗える、マジ洗える、こう布越しに洗うから! つかやっぱそこも洗うの?」

 俺の主張そっちのけで、桐乃は脱ごうとしていたが、流石に片手で濡れた下着を脱がすのは難しかったらしい。
 じーっと俺を見る。
 
「ねえ」
「いやだ」

 どうせ、脱がして、とか言うんだろ? 分かってんだよ。
 
「いやだって言われても……、あんたのそれ、お、おっきくなってない?」

 …………。
 ソウデスネ。
 
 終わった……、俺の人生、終わった。
 そうか、あれか、そうだよな。女が下着を脱ごうとしているシーンってこう、なあ。
 そうだよなあ……。
 
 さようなら、兄としての俺。
 はじめまして、変態としての俺。
 
「……ふーん、欲情しちゃったんだ」
「…………」
「妹に対して、欲情しちゃうなんて、マジありえなくない?」

 侮蔑の言葉を俺に向けながら、しかし妙に嬉しそうに俺を見やる桐乃。
 
「う、うっせえな! 仕方ねえだろ、妹は妹でもな……、……ッ!」

 しまった、何か言ってはいけない事を言いかけた気がする。
 
「……妹は、妹でも?」

 ふざけていた声音から、一気に真剣な声音まで下がる。
 
「妹は、妹でも……なに?」

 ジリジリ、と桐乃は俺に近づいてくる。
 眼は真っ直ぐと俺の目を射竦めている。
 
 俺はそんな桐乃から逃げようとジリジリと後ずさる。

「なんで逃げるワケ?」

 そんな俺の行動を非難しながらも、桐乃は容赦なく俺に近づいてくる。
 対して俺は背後がもう壁になってしまいこれ以上逃げる事が出来ない。
 
「そ、それはな……」

 桐乃の動きを止めたくて何かを言おうとするが頭がまわらない。
 確実に俺との距離を縮めていく桐乃。
 俺を追い詰めておいて、尚も近づいてくる桐乃。
 
 こ、これ以上近づいたら――。
 桐乃の眼は、少し潤んでいる。
 その瞳に吸い込まれそうになりながらも、俺は必死で何か縋る物を探す。
 何か、この展開を脱出する方法は無いか――。
 
 ―――あった。
 
「桐乃」
「…………」

 桐乃は答えない。ただ俺に近づいて。鼻と鼻が触れ合うような距離。
 俺は言った。
 
「ここは、病院だ」

 ピタ、と桐乃は動きを止める。
 
「ここは患者とかが入る場所だろ……、そういうのは良くない」

 ホテルとかとは違うのだ。
 それに監視カメラはないにしても音声ぐらい聞かれている可能性もある。
 
 桐乃は超至近距離で俺を睨む。
 俺はただ真っ直ぐと桐乃を見やる。
 
 やがて、桐乃は俺から離れた。
 チッ、という舌打ちと共に。
 
「……まだ終わりじゃないから」

 桐乃はそう宣告する。

「今日はもう聞かない。でも、家に帰ったら、続き、するから」

 決して忘れたワケじゃないと。
 俺が漏らしてしまった失言。
 それを家に戻ったら改めて聞き出すと。
 
 やれやれ、と俺は思う。
 実のところ、俺も何を言おうとしていたのかは分からない。
 単純に考えれば、……なのだろうけど。
 そう言おうとしたのだろうか。
 
 けど、今はこうして結論までの時間を稼げたのでよしとする。
 そして、俺もまた聞かなくてはならないだろう。
 その聞かれたタイミングで、同じように。
 
 俺が止めなければ、おまえは俺に何をしようとしていたのかと。

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最終更新:2012年07月15日 22:38
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