沙織さんと京介氏の場合



俺の名は高坂京介。しがない高校生で勉学はもちろんスポーツなどにおいて
平凡以下の能力であり、自己紹介などしたら嘲笑われること間違いなしだと自虐してもいいだろう。
そんな俺には自分とは似ても似つかぬ妹がいる。名前は桐乃。
こいつは憎たらしい事に俺とは全くの正反対で勉学、スポーツ、果てはモデルや携帯小説作家など有り余る才能の持ち主で常に平凡な俺と比べられてきた。
その上俺に対しては兄として敬うことさえなく、それどころか人間として見られているかどうかも疑問だった。

そう、そうだったんだ。あの日の、桐乃がドジ踏んで玄関にエロゲなんつー代物を落としたりするという、今思い出すと馬鹿馬鹿しく思えるあの出来事までは。
その出来事から沙織や黒猫などのオタク仲間の件、桐乃の友達のあやせのオタクへの偏見の誤解解き、携帯小説の時の事件、
長い間知ることのなかった桐乃の過去、後輩となった黒猫のお節介、そして海外でやつれてしまった大嫌いな妹を連れ戻した件。
その全てに俺自身の意志など関係なく巻き込まれていったのだ。
だが、不思議と嫌な気はしなかった。むしろ何か大切なことを脳天にぶち込まれた気がしてそれまでの自分が急に恥ずかしくなった。
いつか麻奈実に変わったと言われたのも今ならばわかる気がする。
……それでもやはり俺は妹の事が大嫌いだ。
今でも俺の事を兄だと思っているかは疑問だし、時々黒猫と一緒に弄りやがるし、相変わらず悪い口も直しやがらないし。
結局のところ、兄と妹など混ざり合うことなどないのだ。
でも、それでも、あいつが人生相談としてこの平凡な志しか持たない兄を頼ってきたのは……正直嬉しかった。
なんだ、こんなんでも何かしてやれるんだなってさ。
へっ、全く世話の焼ける妹だぜ。

感傷に浸かっているところ話は変わるが、現在俺はめちゃくちゃウッキウキな気分でいる。
何があったかというと、今日は久々に例のオタク仲間らと新作のエロゲをやることになったのだ。
受験生である俺はもちろんのこと、桐乃も他の二人も時間が合わない中での貴重なみんなで遊ぶ時間なのだ。
それに楽しみだったのは俺だけではなかった。

「ちょっとぉ~?何そんなとこでニヤニヤしてんの?すっごいキモいんだけど?」

早速来たコレ、妹からの罵倒。せっかく人が良い気分でいたのにこいつには空気を読む気はないのかね?多分ないだろうなぁ、主に俺にだけは。

「そんなとこでくつろいでいる余裕があるんだったらお菓子やジュースぐらい私の部屋まで持ってきて頂戴よね?」

「待て、まだ三時間も先だぞ?まだあいつらは来ていないのに持っていっても意味ないだろ?」

人をパシリとして使うのはもう慣れたから結構だが、もう少し時間を見て言えよな。

「はぁ?何言ってんの?もう先客が来てんじゃない?」

は?と意図がとれない俺。クイックイと二階を指差す桐乃。そっちへ行けってか。
俺は嫌な予感を抱きつつ二階の桐乃の…ではなく俺の部屋の扉を開くと、やはりいやがった。
俺のベッドには既に眠気を催すぐらいに解れていた黒猫の姿があった。



「あら先輩、どうしたのかしら?そんなに慌てて」

「どうしたじゃねえよ。お前何時間早く俺ん家に来てるんだ?あと何度も言うがいい加減桐乃がいるときに俺のベッドを使うな」

「ひどいわね、どうして早く貴方の家に来てはいけないの?私だって楽しみにしていたのよ?」

確かにそれは分からなくもないが……。
まあ、黒猫もいつも俺とは学校で会っているとはいえこうやって集まるのは本当に久しぶりだもんな。
俺みたいにようやく取れた休みなのだ。いてもたっても居られなかったのだろう。まさに俺のようにウッキウキだったってわけだ。分かるぜ、その気持ち。

「それに私が貴方のベッドを使うのはいわば習慣みたいなもの。私専用の椅子だと思ってもらえればいいわ」

だからそれが桐乃に大きな誤解を招くんだって前から言っているだろうが。つーかお前、面白いからってわざとやってるだろ、絶対。

「それはとりあえず置いとくが……黒猫よ」

俺は改めて問いかけたい事があったので、何時にも増して真剣な顔立ちで黒猫に話しかけた。

「な、なによ?」

不意を突かれて怯んだのか、黒猫は俺から後ずさった。



「この前の部室での話の続きなんだが、あの校舎裏の出来事について詳しく」

「っ!?あの……だからあれは……ブハッ!?」

黒猫が顔を紅く染めてたじろぎながら何かを言おうとしたところで、唐突にやってきた桐乃の豪快なヒップドロップが黒猫の背中に見事にクリティカルヒットした。
まあ、こうなると思ってたよ。だからあれほどどけって言ったのに。桐乃も、黒猫があり得ない声を出すくらい苦しんでいるだろうが。

「だ・か・ら、人の兄貴の部屋で寝るなってあんたは何度言えば分かるのかなぁ~?」

「うぐっ……だから言ったじゃない。ここは私専用の椅子だと」

キッと俺を睨みつけ「あんたもあんたよ!ほんとサイッテー。はやく何とかしなさいよ」と眼で命令してやがる。
あ~また面倒臭いことになっちまったな。さて、どう切り抜けるかな……。
と困っている俺への援助か、玄関の呼び鈴が鳴り響いた。

「おっと、誰か来たようだ。様子見てくるわ!」

「あ!?兄貴逃げんな!」

そうはいかんのよ桐乃よ。待てと言われて待つ奴がいたらそいつは真性のドMか従順な飼い犬のどちらかだ。俺はそのどちらでもないんだよ、残念ながらな。
それに呼び鈴を鳴らした奴はもしかしたら沙織かもしれないというのも一つの理由だ。あいつが今日のオフを人一番楽しみにしていたからな。

玄関前に来て、ふと考えてみた。あいつはどちらの沙織で来るのだろうか。
いつもの典型的なオタクファッション姿の沙織か、はたまたあの日のコスプレと称した沙織の近所にあった女学院の制服を着たお嬢様姿か。
正直言うと、後者の方を期待している自分がいる。それでもあいつに対する態度は変わらないけどな。
さて扉を開けようとしたらピンポンダッシュでいたずらをするかのごとく凄まじい早さで何度も呼び鈴を鳴らしてきた。
うるせー!マジうるせー!!一回押せば十分だっつーの!!

「わかったからもうやめろー!!!」

怒りのあまり大声で怒鳴ってしまった。やばい、近所の人だったらどうっすっか……。
後悔の念が俺の頭に渦巻いていると、聞き覚えのある声がした。

「申し訳ありません!拙者が寝坊してしまったばかりに、他の方たちはどうなされているでしょうか!?」

沙織だ。間違いなく沙織の声だ。あぶねー、近所の人ではなくて。
安心したのもつかの間、俺は目の前の女の姿を見て茫然とした。
目の前にいるのは、オタク言葉を喋りながら花も恥じらうお嬢様の姿(伊達眼鏡付き)があった。




「姉さん、遊びましょう?」

「ごめんね――。私は結婚して海外へ行かなくてはならないのでもう遊ぶ事はできないのです」

「あぁ…………そうですか」

淋しそうに頷く女の子……のようなフィギュアがそこにはあった。
それだけではない。その女の子フィギュアを中心に周りに数体のフィギュアが囲んでいる。薄暗くて顔の表情が良く分からない。
姉さんと呼ばれたフィギュアはそこから離れて消えてしまった。

「皆さん、私と」

「ごめんなさい、オタクじゃない彼氏ができましたので」

「すいません、研究のために海外の大学へ留学するので」

「もっと面白い遊び場所を見つけたので」

「「「ここから抜けます」」」

一人、また一人いなくなっていく。いつの間にかそこには中心にいた女の子フィギュアのみになっていた。
下に俯くフィギュアは今にも泣きだしそうだった。静寂の暗闇の中で一人で。

……誰?貴女は誰なの?そんなに哀しそうな声を出さないで。私まで哀しくなってしまう。ほら、顔を上げて。

淋しそうに俯いている彼女の頭を優しく撫でてあげた。すると彼女は恐る恐る首を上げていき顔がはっきりと認識できるようになった時、私は愕然とした。
そこには、他でもない自分自身の泣き出しそうな顔画あったのだから。




嫌なくらいぱっちりと目が覚めた。思い出したくもない思い出を悪意でもって無理矢理ぶり返されるときのように気分が最悪なのにもかかわらずだ。
目覚まし時計を確認すると、午前四時半だった。起きる時間にしては早すぎるし、再び就寝するにしてもそれほど長くない。
まさに帯に短し襷に長し。先程見た夢と合い重なってやるせない気分になる。
仕方ない、展示してあるコレクションでも見に行くか。寝室を出て玄関、渡り廊下へと経て一つの部屋に辿り着いた。
ガラスケース内には百は超えるであろうプラモデル、本棚には千を超える雑誌やDVDが並べてある。
これだけではない。他の部屋にもゲームやコスプレ衣装、サバイバルグッズなどを展示している部屋があるのだ。
それらグッズをすべて合わせると膨大なものとなる。まさに博物館のように塵一つつけることなく手入れをして保管しているのだ。
これら全てが姉と姉の友人が遺したものなのだ。その全てを、私は譲り受けた。
遺されたモノたちはそのまま引き取られる先があるのならばまだいい。大抵はそのまま捨てられてしまうのだ。
それまで大切にされて使われてきたのに、ある日突然捨てられるもしくは全く知らない者の元に行く。それはあまりにも可哀相で――慕っていた主人がいなくなって――。
私はあの部屋は大好きだ。一つ一つのグッズに今までの思い出が溢れんばかりに詰まっているのだから。
ただ、これだけ多くの思い出たちに囲まれていても、部屋が広すぎる。広すぎて目の前にあるのに星に手を伸ばすように届きそうで届かない。
いつしか、自分の内で乾いた風が吹いてきていた。

……いけない、こんな夜中に感慨深くなってしまった。やはり寝室に戻って少しでも睡眠をとった方が良いだろう。
自らを急かすように部屋を出て寝室に戻り、寝床に転がり込む。
あの日から私は変わったのだろうか。不意の訪問とはいえ、京介氏やきりりん氏、黒猫氏には私が一歩踏み出す勇気を後ろから押してくれた。
そのおかげで私は隠していた素顔をみんなの前でさらけ出す事が出来たのだ。なのに、まだ私の中でしこりのように残っているものがある。
まだやり残したことがあるのだろうか?考えてもそれ以上わからなく、徐々にうとうとしてきて重くなった瞼閉じていく。


再び目を開いた時には、既に窓から日が射していた。これまた夜中に起きた時のように寝起きが良く、かといって良い気分では決してない。
それを紛らわすために猫のように思い切り背伸びをしていると、ふと何気なしに目覚まし時計に目がいった。

――P.M. 8:01

「……あら、もうこんな時間ですの。随分と眠ってしまったようですのね」

ははははは…………
…………。

ち、遅刻だぁーーーーーーー!!!
や、ヤバい……今日はきりりん氏たちと新作ゲームで遊ぶ約束をしていたのだ!
ただでさえ遊ぶ機会が少なくなっているのにさらに短くなってしまったら折角お待ちして頂いている京介氏やきりりん氏、黒猫氏に悪いではないか!
と、とにかく着替えをして化粧を施して……ってこんなにしていたら時間がなくなってしまう!
適当にこれを着て……あれ、眼鏡眼鏡……どこにもないっ!?
あぁーーーもう!これを付けてそれを着て鞄を持って準備おk!Go!
私は走った。何処までも走った。走行中に妙に強張った表情をしながら私の方を眺めている人がいたが今は気にしてなどいられない。
最寄り駅までまだ距離があるうえに次の電車を逃すと一時間以上は待たなくてはならないのだ。
それだけは絶対に許されない。きりりん氏たちとの約束のためにも。走れ、拙者。間に合え、京介氏たちのもとへ……!!


「……というわけでござる」

いや、というわけ、じゃねぇよ。お前おっちょこちょいっていうレベルの話じゃ済まないぞ?なんか色々とカオス何ですが?
つーかその伊達眼鏡はなんですか?最近の流行は伊達眼鏡ファッションなんですか?

「え……?」

ほい。俺ん家に置いてある鏡をお嬢様姿でオタク喋りの彼女に見せた。

「……きゃあ!!」

今さら気づいたらしく、体育座りをして顔を伏せてしまった。いきなり自分で確認させないで俺から口で言えばよかったか?
しかしあの沙織が自分の着た服を忘れて、あろうことかお嬢様姿でいつものオタク言葉を喋られるなんて思ってもみなかった。
あの日に披露したコスプレの時もあまりのギャップに俺の言動がおかしくなっちまったのに、今度は違う意味で調子が狂いそうだ。

「何今の声!? え? ……沙織?」

「全く、騒がしいわね。もう少し静かに……え?」

沙織の叫び声で二階にいた二人が気付いたらしく、急いで降りてくる桐乃とあくびをしながらゆっくりと降りてくる黒猫。
その二人とも沙織の姿を見て呆然とし、

「あんた……今度こそ沙織を……サイッテー」

「ああ、ついにやってしまったのね。いつか事を起こしてしまうとは思っていたけれど」

桐乃は半ば本気な顔で、黒猫は何があったのか理解したのか醜態ヅラで現在の状況を愉しみながら俺へ罵倒を吐いてきやがった。
だめだ、完全に誤解してやがる。このままでは黒猫はともかく桐乃に何をされるか知ったもんではない。
おい、沙織頼むよ。いつまでも恥ずかしがってないで誤解を解いてくれよ。

「……ふぇ?あぁ!!きりりん氏、黒猫氏!遅刻して申し訳ありませぬ!拙者のせいで貴重な時間を無駄にして……!」

「ちょ!キモい!いきなり抱きつくな!ていうかなんか色々とおかしいんだけどあんた!?」

「……ふっ。これはいつもは見られない貴重な光景だわ。ゆっくりとここで見させて頂こうかしらね」

「ちょっと何遠いとこで眺めてるわけ!?さっさと助けろこの邪気眼厨二病娘!」

「なっ……!?言わせておけば油断ならないとこで邪気眼邪気眼って……!
いいわ、貴女にたっぷりと真の恐怖ってものをみさせてあげる。今更後悔するのはもう遅いわよ……!!」

ああ、もう何が何だか。沙織の次はお前らがカオスになってどうする?……だめだこりゃ、しばらく落ち着きそうにないな。
まあ沙織への誤解がとりあえず解かれたみたいだし、居間へ戻ってお菓子や飲み物を準備しておこうかね。

「……兄貴。あとでこのことについてきっちり説明してもらうからね」

ちぃ!解けてなかったか!あとでどう説明をしておくか考えておかなくてはな!
俺はそそくさとこの場を去ったのであった。

小一時間経過…………

「えっと……まず申し訳ありません。何とお恥ずかしい事を私は」

沙織には悪いが全くだ。あの後お菓子や飲み物を準備して遊べる体制にして再び玄関に行ってみたらまだごちゃごちゃしてるんだもんな。
その時間、実に三十分以上だ。これだけでも沙織(あいつら二人もな)がどれだけ混乱した状態だったのかが想像できる。

「まああんたが盛大に遅刻した理由は詳しくは聞かないけど、遅刻しそうだったら予め連絡してくれてもよかったんじゃない?そんな恰好で、汗までダラダラかいちゃって」

桐乃が不満そうな顔で沙織に問いかける。まあ、久しぶりに全員が集まるオフだから分からんわけじゃないが、そう厳しくするのは可哀相じゃないか?
むしろ俺たちのために時間を惜しんで我が家に汗水たらして足を運んできてくれたんだろ。まさに一刻千金という言葉が似合う行動じゃないか。

「い、いえいえ!これは私が寝坊したばかりに起こした所為ですので、まさにきりりんさんの言うとおりですので、あの、そのう……本当に申し訳ありませんでした」

はぁ~……。だからお前は謝らなくてもいいんだってば。
桐乃の言った事はこれからやるオフを楽しみにしている裏返しみたいなものだから気にしなくてもいいのに、
そのことさえも気付かないでただただ謝る沙織を見ていると俺まで胸が痛くなってくるっつの。



「チィ。わかってるってば、そんなの。ていうかあんたあの日以来妙に沙織に優しくない?」

桐乃が俺の言うことを認めたと思ったら今度は何だ?俺が沙織と何かやましい事があると思ってんのか?

「そうね。やはりあの日以来かしらね?鼻の下を伸ばしてニヤニヤしながら沙織の事を視姦しているのは」

テメー黒猫、これまた愉しそうにペラペラと喋ってくれているじゃねぇか。
確かに今までの沙織の姿と比べればそういう風に見ていないとは断言できないが、もう少し言葉を選んでくれ。

「お、お二人とも!京介さんは貴女がたが思っている以上に真面目な方ではありませんか!?
……最近は少しアッチ方面も好まれるようにはなられましたが」

「そうそう、俺はアッチ方面も……てちょっと待て!そのアッチ方面っていう単語、
下手をすると俺が皆には言えない性癖を持っているド変態ととらえられてもおかしくありませんよね!?」

「へぇ~、あんたそんなことまで。……沙織、その話を詳しく教えてくれる?」

「それは是非私にも聞かせてほしいわね。一体何があったのかしら。……ねぇ、京ちゃぁん?」

こ、こいつら、俺を挟み撃ちしやがって……。おい沙織、何とかしろよ?
そう彼女に願うも、口をωにして小悪魔のように楽しそうな顔をするだけだった。
……お前って、その格好でそんな表情も出来んのな。

「そうですね。何処から話せばよろしいでしょうか?
ではまず私と京介さんがぶつかり合った時の出来事について話しましょう」

なにその俺も知らない話?捏造疑惑で警察に訴えるよ?
心の中での思いもむなしく、沙織は次々と身に覚えのない話を続ける。
もうやめて!お兄さんのライフは0よ!

その後沙織の捏造談を止め、桐乃や黒猫に理不尽な尋問が続いたが
これから行うオフの時間が無くなる事への危機感を真剣に語ると、渋々ながら納得したようであった。
そこから先は今までと同じく桐乃の部屋でいつものようにアニメを見たり
エロゲをしたり沙織のプラモ講座を特に桐乃に徹底的に教え込んだり、普通に楽しかった。
またさっきの続きなのか、黒猫が俺の部屋に行こうとしたことを再び桐乃に咎められたり(一応俺の説明によって納得はさせた)
桐乃と黒猫との猫を連想させるじゃれ合いが見られたりした。

それにしても、あの日から沙織もやっと普通に戻ったかと思ったんだがやっぱり少し変なんだよな。
以前と比べれば確かに落ち着いたようだけど、沙織らしくない行動や発言が多いんだよ。
体調面では問題ないみたいだけど、これは精神面でなにかあったのか?何事もなければいいんだけどな。

「ところで、京介さんのベッドで寝転がるのは程々にしましょうね、瑠・璃・ちゃん?w」

「う、うるさい……ていうかその姿でその顔はやめなさい、私の調子が狂うわ」

うん……まあ、大丈夫そうだな。あまり気に病みすぎたみたいだ。
あと黒猫よ、俺からもベッドに寝転がるのは自重してもらいたい。主に桐乃が何かとうるさく言うからな。

「……そう。残念だわ、先輩」

憂いを帯びた表情で返事をする黒猫。そんなに残念だったのか?

とりあえず今日の出来事はこんな感じだ。
沙織がお嬢様姿で登場した事には驚かされたが以前の様な厄介な出来事もなく終わる事が出来た。
こんなにも跡を濁す事もなく終わったのは今まであったのか?俺以外の三人も満更でもなさそうだったし。
……ただあえて気になる事を挙げるとしたら、やはり沙織の事か。暇があれば聞いてみようか。
気になると言えば黒猫もだな。あいつについては近いうちにあの校舎裏での出来事について詳しく説明してもらうよう白状させたほうがいいな。


とある電車内での出来事……

「ヒソヒソ……ヒソヒソ……」

周りからの視線が異様に痛い。
別に嫌悪感を持たれたりいかがわしい眼で見られているわけではないが、彼ら――ごく普通の過程で生まれた方々――が
何故このような場所に私―― 一般人とはかけ離れた存在――がいるのか疑問に感じているのは典型的な差別であろう。
それにはとうの昔に慣れたはずなのにいつもよりも肩身が狭く感じてしまっている。
無理もない。今日のオフの様に自分らしくないミスを犯した理由は、既に自分自身理解しているのだ。
それに立ち向かわなければいけないのに何の行動も起こさないでいる。私の中で、みんながいなくなった日から時間が止まっているのだ。
京介氏やきりりん氏に励ましてもらったはずなのに、未だに素顔を晒すことに抵抗を感じているのもそのせいだ。
なんというドジ、グズ、マヌケ。自分自身で立ち向かう勇気もなく、ただ誰かに助けてもらう事しか考えない能無し。
……でも。

でも、やはり怖い。彼らは多分信頼するに値する人物だ。そうは思っててもどうしても恐怖の方が勝ってしまう。
また一人になってしまうという恐怖が。実際にきりりん氏がいなくなった時は本当に世界に自分だけが取り残された気さえした。
荒れた大地に吹く乾いた風が再び私の内にも流れ込んだ気がした。

このままではいつまでもこの恐怖を抱き続ける事になるだろう。
あの日、きりりん氏や京介氏、黒猫氏は隠しているもの全てが私自身であると認めてくれた。この時はそれで良かった。
だが隠しているだけではいつまでたっても変わる事は無い。それではいけないのだ。
一度目の勇気はSNSでのコミュニティの幹事を務めた時。あの時に合わせた衣装は京介氏たちと遊ぶ時のあのオタクファッションだ。
二度目の勇気はあの日、みんなでコスプレを披露した時。殆ど京介氏たちのおかげではあるが、ここでようやく自分の素顔を晒す事が出来た。
二度の勇気では足りない。今一度、なけなしの勇気を奮い立たせて。


――ツーツー

またか。溜息をついて携帯電話を切る。俺はとある友達に電話をかけている。何の用かって?簡単な励ましだ。
あの後も何事もなく帰って行ったがやっぱり様子がおかしかったからな。
お節介かもしれないけど友達が何かあったら見過ごすことはできないんだよ。
んでさっきから電話してるんだけどずっと話し中で繋がらないんだよ。いくらかけてもこの音だ。
仕方ない、少し待ってからもう一度かけ直すか。
携帯電話を机の上に置き、受験勉強の続きをしようとシャーペンを取ると突然携帯電話の着信が鳴った。
確認すると、沙織からだった。

「はーい、もしもし」

「京介さんですか?私沙織でございます」

「ぶっ!!」

まさかの不意打ちだった。一体誰があっちの沙織が出る事を想像しただろうか。
格好だけでなく声色さえ変わってしまうから恐ろしい。

「ど、どうしました!?お体の調子が優れないのですか!?」

「い、いや大した事じゃないから大丈夫だ。それより用があって電話したんじゃないのか?」

「そ、そうですわ。……京介さん、貴方に頼みたい事がありますの」

沙織の口調が一段と真剣なものになった。

「私と付き合って頂けませんか?」

――午前八時頃

最寄駅近辺の某所。日曜の昼過ぎだというのに人の動きがまばらである。
本格的な夏が近いためか梅雨であるにもかかわらず晴れ晴れとした気候となった。
ただじめじめしているのは変わらないため不快度数は高めだ。
待ち合わせ時間から数十分過ぎたところで聞き覚えのある声をかけられた。

「も、申しわけありません!先日に続いて待たせてしまって……」

そう声をかけたのは、清楚という単語が似合うと誰もが思うであろう、沙織の姿だった。
麦わら帽子に白いワンピース……伊達眼鏡付きで。

「……」

「……え?」

近くのビルのガラス窓があるところへ移動して自分の姿を再確認させた。
途端、沙織は顔を赤らめてそのまましゃがんでしまった。……やはりデジャヴか?

「もう私お嫁に行けませんわ……」

「ま、まあそんなに気を落とすなって。どうせだれも見てねぇよ」

そう彼女を励ますも、どう見ても(特に男性に)一目おかれる格好であるからしてこの存在に気付かないアホはいないだろうなぁ。
俺は彼女の肩を軽く叩いてやり、近くの小さな公園に向かった。

そう、見れば分かる通り俺と沙織は付き合っt……ということは一切無く、そんな色恋話とはほど遠いものだった。
一週間前。沙織からの電話。
あのストレートすぎるお願いの先は、相談したい事があるから次の週の休みに付き合ってほしいというものだ。桐乃や黒猫には内緒で。
何故あいつらに相談しないでこの俺なのか。わざわざ俺ん家ではなく人気のない公園での相談なのか。
そしてこいつが相談したい事とは何か。その時に全て話すと。
しばらく歩いていると目的の公園に到着した。
このような場所には大抵我らがお婆ちゃんこと麻奈実さんと散歩するくらいしか行かないから妙な新鮮味がある。

「も、もう京介さん私の身体をじろじろと見ないで下さる? 恥ずかしいですわ……」

えーと。突然のことで何の事かわかりませんが何を勘違いされていらっしゃいますのでしょうか?
あなたは俺をどうしてもド変態と決めつけたいのでしょうか?

「そんなこと……さっきだって私の肩を叩いて……もう、スケベ、ですわ」

……肩を軽く叩いたくらいで変態呼ばわりかよ。
しかし実際待ち合わせで顔を合わせた時から気になってはいた。
いや、気にならないっていうのがおかしな話だろうよ。
いつもはぐるぐる眼鏡をかけてオタクファッションを着て飄々と話す姿しか知らなかったんだ。
それが、実は本当に小心者で、おっちょこちょいで、でも根っこの部分は何一つ変わらなくて。
そんな奴が優しいお嬢様のように接してくるんだぜ?
はっきり言おう。さっきからずっとドキドキしているさ。
他の誰かにいかがわしいと言われようがこれが男の性なんだ。否定する事の方が無理な話だよ。

「せっかくなけなしの勇気を振り絞ってこんなにもエロエロな格好とシチュエーションを選びましたのに、流石は京介お兄様ですわね……」

もう分かっちゃいるが、やっぱりあんた根っこの部分は何一つ変わんないのな!
仮にそんな趣味の持つお嬢様がいても、目の前の男にそんな台詞言わねぇよ!
色々とツッコミを入れるのが疲れてきたので、そろそろ本題に入ろうか。


「沙織、お前俺に話があるんじゃなかったのか?」

「……っ」

途端、沙織の表情がエロ親父の表情から一変して焦燥に似たものになった。
何かにオドオドしているようなそんな感じがした。

「……そ、そうですね!とりあえずあそこのベンチに腰掛けましょうか」

まあ立っているのも疲れるので沙織が見つけた比較的小さなベンチに座った。
あらかじめ家で用意しておいた冷やしておいた飲み物を沙織に渡してやる。

「えっ!?申し訳ありません、わざわざ冷たい飲み物まで頂いて」

「いいんだよ、今日は暑くなるって言ってただろ?俺が飲みたかったから持ってきたんだよ。それに、」

「それに?」

「なぜかお袋に弁当まで持って行けと渡されてな……」

とうのお袋にはいつもの友達と会うとは言ってあるのだが、その友達を麻奈実と勘違いしたらしく
いつも世話になっていて悪いからこれでも持って行きなさい!と半ば強引に手渡されてしまった。
その時の桐乃の鋭い視線がたまらなく痛かった気がする。

「まあ、良い母様なのですわね」

「色々と抜けている母親だけどな。そういえば沙織は両親とは別居してんだけ?どんな人なんだ?」

「そうですね、母様も父様も厳しい方です。幼い頃から言葉をきちんとしろ、礼儀は正しくしろ、等々徹底的に教え込まれました」

「そっか。そういやお前には姉が……あ」

「……」

やべぇ。触れてはいけないことを言ってしまったかもしれない。
こいつの思い出の中では姉にまつわるものは哀しいものでしかなかったはずだ。
その影響で遺されたアサルトグッズとかで一人で遊んだり、主に眼鏡を変えて自分自身を変えて人と接したりしたのだから。
謝った方が良いかもしれないか。

「なあ、沙織。その……ごめんな」

沙織からの返事は無い。ただ先程までのオドオドした様子はなく、むしろこいつの中で決心を固めたような表情だった。

「京介さん。長らくお待たせして申し訳ありませんでした。折り入って相談事があります」

「な、なんだ?」

「あの日……京介さんやきりりんさん、黒猫さんが突然私のマンションに訪れた時の事を覚えていますか?」

ああ、覚えているさ。忘れるわけがないだろう。
姉に変装した沙織、幾つもの部屋にあるコレクションの展示の紹介、全員でのコスプレ写真会、そして沙織の初コスプレ披露。
沙織を励ます目的からここまで発展するとは全く思っていなかったが、コスプレっつーのも案外悪くないものだったし、
何より沙織の別の姿とこいつの本心を聞く事が出来たことが何よりの収穫だった。
こいつも人には言えない事を幾つも抱えて、それをようやく吐きだすことができた。嬉し泣きされたときは我ながらむず痒かったんだぜ?

「はい、私もあの日は忘れる事が出来ない大切な思い出だと思います。ですが、」
「あの日から過ぎても、ずっと気持ちの悪くなるような夢ばかり見るのです」

そういえば、沙織が色々とカオスな格好で俺ん家に訪れた時に嫌な夢を見て朝寝坊してしまったと言ってた気がする。
もしかしてそれも何か関係があるのか?
その通りです、と沙織。その夢の内容も聞かせてもらったが……何だよそれ?寂しそうなフィギュア?
そのフィギュア、どうとらえても……。

「私の姉とその友人方との思い出は楽しかった。それと同時に私だけでは抱えきれないものを置いて行かれました」

そうか、大体読めてきたぞ。こいつは、沙織は未だにその過去を現在まで引きずって生きてきたのだ。
その消えない傷跡が、こいつが見た夢や最近様子がおかしかった原因だったのだろう。
さらに遡れば、桐乃が何も言わずに海外へ行ってしまった時も間接的な原因であるかもしれないのだ。
それまでは面白おかしいキャラを作り続ける事が出来たが、この日を境に今までの溜めてた感情が表へ出ていた。
こいつは……どれくらい苦労して今までやってきたのだろうか。姉や友達がいたときはまだ良かったかもしれない。
彼女らがいなくなった後、多分桐乃や黒猫と同じく自分の趣味を共有できる仲間がいなかったのだろう。
そうでなきゃ一人サバゲーごっこや、千は超えるコレクションにあったプラモなどのグッズの世話なんて普通やらねぇよな。

「正直言うと、あのコレクションたちを遊んであげないと寂しがるかな、と言ったのは嘘だったようです」

それでだ、俺がこいつにしてやれることはなんだ?

「寂しかったのは……私だったんですね。認めたくなかったんだと、思います」

桐乃や黒猫も呼んでパーティー開いて励ますか?駄目だ。
コスプレを披露した時に実行して沙織自身が現在の状態だ。効果がないのは明白だ。
同じ理由でいつもの三人でエロゲや秋葉原などへの買い物も同様だ。
ならば俺とこいつで……ってなんでそうなる!?
三人がだめなら二人でという発想をしてしまった俺自身を今すぐ蹴り倒したくなってきた!

「私は、今までの過去――姉さんとその友達との思い出――と決別したいのです。」

こいつは桐乃や黒猫ではなく、どういうわけか俺にこの相談を持ちかけたのだ。それは何故か。
あいつらに心配をかけたくないというのもあるかもしれないが、多分それだけではないだろう。
それほど俺は信頼されている……なんて考えるのは自分が天狗になっているだけかもな。

「しかし、恐い。恐いのです。どうしても過去を忘れて未来を見据える。そんな簡単なことが、私にはできないのです」

馬鹿野郎、何がそんな簡単なことだ。
俺だって忘れたい事なんて山ほどあるし、その中でも忘れたいと思って忘れたことはほんの一握りだよ。
俺だけでない。桐乃や黒猫だって同じことが言える。
まあ俺の場合はむしろその逆で悩んでいるんだけどな。

「私は……どうしたら……よろしいのでしょうか?」

それでもこいつにしたら深刻な問題なのだろう。こいつだって何も努力してないわけじゃない。
わかるさ、オフ会でのこいつの行動や言動を確認してればな。
桐乃と黒猫をくっつけようとした時、落ち込んだ俺を励まそうとパーティーを開いてくれたり。
むしろよく一人でやってきたと思うよ。

「……京介さん?」

そんなことは今はどうでもいいが……だめだ、良い案が思い浮かばねぇ。桐乃の人生相談の時はいつも出てきたのに。
いや、あの時は麻奈実や親父とかの力を借りたんだっけ。虎の威を藉る狐ってまさに俺の事じゃん。
……俺ダメ人間だな。今更だけど。

「……あの、大丈夫でしょうか?」

ちょ、沙織さん!?あまり顔を近づけないでください!?顔近いっすよ、顔が!?
沙織はずっと話しているのに返事がない俺を心配するような表情で覗いている。
しかし覗いてくる顔が近すぎて、焦り出した俺はさらにパニック状態になってしまった。
だめだ、頭の中が真っ白になってきた。……あれ、ていうかどうしてこうなった?
確か沙織が相談事を持ちかけて、話を聞いていない俺へ近づいて……ああ、そうか。

「沙織。どうしたらいいか、教えてやろうか?」

「は、はい!どんなことでもおっしゃってください!覚悟はできてますから」

俺は大きく息を吸い込み、そして吐く。

「お前はな、……て……なんだよ」

「はい?すいません、よく聞こえなかったので今一度」

「お前は男に対して無防備過ぎなんだよ!」

「え?」

「お前はいつもの俺たちと会っている時のオタク姿やサバゲーするときの姉と自称した姿のときは普通に付き合えていた。
それは何故だか分かるか?男が興味を引かないような格好をしているからなんだよ!今のその姿、いやその格好の時の
お前の性格自体が既に魅力的過ぎるんだ!だから……お前はこれから『恋』をしろ!
お前の姉の友達だって恋人が出来てオタク辞めちまったのもいるんだろ?
それぐらい『恋』をすると人間変わっていくってことだ、わかったかぁ!」

「……」

「……ハッ!?」

俺はようやく頭の真っ白な世界から脱出に成功したと思ったら、隣で座っている沙織が口を小さく空けて茫然としていた。
えっと、私は一体何を喋ってしまったのでしょうか……?
今思い出せることといったら「『恋』をしろ!」という部分だけなのだが……。
ちょっと何してやがんの!?一体何を言ってしまいやがったんですか、俺!?
もしかしてとんでもない事を沙織に口走ってしまったんじゃ……。


「……っぷ」

「?」

「あっはははは」

沙織さん、どうして笑ってしまっているのでしょうか?

「あはは……申し訳ありません。まさか京介さんがあんなにもマシンガンの如く力説していらっしゃったもので」

「は、ははは……」

「ですから、これからどれだけかかっても構わない。私自身を前へ押し進められるように努力していきますわ」

「お、おう!そう思ってくれて嬉しいわ!」

よ、よし!何を言ったか覚えていないが、どうやら良い方向には進んでいるみたいだ。



「さて、お前の機嫌も良くなったことだしそろそろ帰るか?こう暑くては身が持たないだろう?」

そう言って、俺はベンチから腰を上げようとした。
が、鞄を引っ張られている感じがして中途半端に立ち止まってしまった。
隣を見ると、沙織が不満そうな顔で見つめている。

「まだ、相談事は終わっていませんわ」

「へ?だってお前、」

「その前に、京介さんの母様がお作りになったお弁当を頂きましょうか。折角作って頂いたのに申し訳ありませんし」

そういえばお袋に手渡された弁当にまだ手を付けていなかったな。
なにかうやむやにされた気がするが、こんな小さな公園に来て食事をするなんて滅多にできないことなんだ。今は置いといていいだろう。
俺と沙織はしばしお袋の作った下手な手料理を食すのであった。





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最終更新:2010年12月31日 15:42
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