黒猫の幸福 02


 この部屋に来たのは何度目か。
 それはもう数えていられないくらい頻繁なこと。
 私はこの人のベッドに寝そべりながら、持参したノートPCを開く。
 ボレロの上着を脱いでいるのでノースリーブの脇がこの人には丸見えだろう。
 いつものような黒ストッキングではなくハイソックスを履いているので『絶対領域』も露になっているはず。

 この人が私の肌、とくに腋の下やふくらはぎに注目しているのは前から気付いていた。
 だから、今日はそれで勝負する。
 私の持っている数少ない武器で。


 私はこの人の視線にはそ知らぬ顔でノベルゲームのデバッグを続ける。
 時々感じる視線が嬉しい。
 それはこの人が、私のことを女だと意識してくれている証拠だから。
 私はふと、百人一首の歌を思い出す。

「逢いみての後の心にくらぶれば昔はものをおもわざりけり」

 この人を好きになる前には考えられなかった。
 好きになる前にはこんな感情があるだなんて知らなかった。
 好きになればなるほど嬉しくて苦しくなる。
 見つめれば見つめただけ。
 見つめられたら見つめられただけ。
 触れれば触れただけ。
 触れられれば触れられただけ。
 身体の奥底から幸せな気持ちが溢れてくる。
 それと同時に、どうしようもない渇望感が私を苦しませる。

 幸。
 好き。
 大好き。
 大切な人。
 近づきたい。
 キスされたい。
 キスして欲しい。
 もっと見られたい。
 強く手を握られたい。
 雄の匂いを嗅ぎたい。
 優しく抱きしめられたい。
 温かな肌をもっと感じたい。
 好きだと何度も言って欲しい。
 キス以上のことだってされたい。
 髪を優しい手で撫でてもらいたい。
 瞼の上に熱いキスを落として欲しい。
 もっと唇を貪られ唾液を飲まされたい。
 指と指を絡めながら、耳元に囁かれたい。
 真摯な瞳で胸の一番奥まで突き刺されたい。
 息ができないくらいに強く強く抱きしめられたい。
 顔のすぐ近くから可愛いよと褒めてもらいたい。
 耳たぶを甘く噛まれながら、好きだと囁かれたい。
 キスされながら、体のあちこちを撫でられたい。
 抱きしめられながら名前を優しく呼ばれたい。
 私の体の柔らかなところを全て貪られたい。
 愛してると囁かれながら、涙を流したい。
 私の刻印をこの人の肌に刻み残したい。
 長くて太いこの人の手指を舐めたい。
 この人に無茶苦茶に蹂躙されたい。
 この白い肌に印を刻んで欲しい。
 この人だけのものになりたい。
 この人の視線を独占したい。
 私に刻印を残して欲しい。
 耳たぶを噛んで欲しい。
 私の全てを捧げたい。
 腕の中で眠りたい。
 筋肉を感じたい。
 賞賛されたい。
 従属したい。
 愛したい。
 愛しい。
 好き。
 愛。



 その腕に抱かれるたびに浮かぶ、そんな際限の無い願望が私を酩酊させる。
 妄想の中では、全裸の私はやはり全裸のあの人の腕の中で幸せそうに微笑んでいる。




 でもそれは妄想に過ぎない。
 スカートから脚をこれ見よがしに出してみても。
 あの人に身体を押し付けてみても。
 どれだけ誘っても、あの人は私を襲ってはくれない。

 恋人同士になった後でも、あの人はキス以上のことはしてはくれない。



 だから私は奥の手を用いることに決めた。
 インターネットで綿密に丹念に調べた情報でもって立てた完璧な作戦。
 それが、この計略。
 場所はこの人の家のこの人の部屋。
 そして今日は桐乃は部活の記録会で不在なのは確認済み。

 私は武器を二つ持ってきた。ノースリーブのブラウスの胸の二つのポケットにそれは秘められている。

 私は第一の武器を使う。

「どうしたの、先輩」
 ずらした眼鏡のレンズの上からこの人を見つめる。
 そもそも度の入っていない眼鏡なのでその像はいつもと変わりない。
 ダテ眼鏡を掛けながら、私は愛しい人に声を掛ける。
 私は知っている。
 この人が眼鏡を掛けた女性に弱いということを。


 この人の様子がどこかおかしい。
 どことなく落ち着かないような。
 驚きつつも緊張してるみたいな。
 鼻息が荒くなってるのが可愛い。
 その表情を見ているうちに、なんだか私も嬉しくなってきてしまう。

 いつも通りのこの人なのに。
 普段と変わらないこの人なのに、なぜだか胸の内側がジクジクと熱を持ってきてしまう。

 いや、少し違う。
 いつもと同じというわけではないようだ。
 その輪郭がどういうわけかボケてきてしまう。
 優しい視線のこの人が、私の視界の中でじわじわと滲んでいってしまう。

 涙。
 私の目から涙が出ているのだ、ということを自覚したのと同時に。
 瞬間、想像もできないくらいに力強い腕力で、私は身動きが取れなくなった。

「黒猫…瑠璃。お前、俺のこと舐めてるだろ」
「…なにを…いうのよ」
 頭がうまく回らない。
 ベッドの上に寝そべっている私に、覆いかぶさるように抱きついてくるこの人の腕。
 ブラウスとシャツ越しに感じる肌の体温。
 それはまるで麻薬のよう。その腕の感触は私の脳を蕩かしてしまう。
「お前な、こんな可愛いカッコして、あんな目で見られたらガマンなんかできねえっての!
 ちょっとは自分がどんなに可愛いか自覚しろ」
 荒い呼吸が、私の首筋にかかる。
 この人の激しい胸の鼓動が、私の胸に伝わってくる。

『可愛い』
 その言葉が私の胸に染み入ってくる。
 どれほど大切にされているか。
 どんなに好きと思われてるか。
 理性が蒸発し、私は生のままの思考を口にすることしかできない。
「ガマン、なんか、しなくていいのよ」
 舌が口の中で上手く廻らない。
「わ、わたし…わ、私は、あ、あなたに、好きにされたいのだから」
 そう言ってしまった後の一瞬にも満たない刹那の間。
 私の心は千々に乱れていた。
 ココまで生の心をさらけ出したのは生まれて初めて。
 私の敏感な、薄い粘膜しかまとっていない生の心を晒してしまっていることに気付いた。

 本心。
 素の想い。

 もしコレが拒絶されたら、死んでしまうしかないくらいの純粋な想い。
 もしこの人に笑われたら、舌を噛んで死のう。
 ホントにそう思った私に、この人は優しい囁きをくれる。
 息も止まるくらいに強く抱きしめながら、その素敵な声で私の耳朶を嬲る。
「そんなこと言われたら、好きにしちまうけど、いいんだな?」


 兄さん。
 先輩。
 京介。

 この人に、私がどれだけ好きかを伝えたい。
 私の中で、この人がどれだけ大切で重要で貴重で愛しているかを教えてあげたい。

 でも。
 私の唇はうまく言葉を紡げない。
 こんなに好きなのに。
 これほどまでに愛しているのに。
 私の命よりも大切だと思っているのに。
 私の心の中の想いの1/100も伝わらない。
 そんなもどかしさが胸の中を焼く。
 好きだと言いたいのに。
 愛していると伝えたいのに。
 言葉がうまく出てこない。
 胸の中から溢れんばかりの好きという感情が、出口を失って破裂しそう。


 ちゅ。

 そんな私にこの人は、優しくキスをしてくれる。
 繋がる唇。
 伝わる体温。
 唇の内側の粘膜を通して、この人の想いが私の中に流れ込んでくる。
 ベッドの上で覆いかぶさるように抱きしめられながらキスをされる。
 優しく髪を撫でてくれる大きな掌。
 私の頬をくすぐるこの人の吐息。
 行き場を失っていた私の中の好きという気持ちが、繋がった唇と舌を通してこの人に伝わっている。
 言葉じゃなくても。声に出さなくても。
 気持ちを伝えられる。
 好きだという心をこの人の前に晒すことができる。

 私は口の中に差し入れられる舌に舌で触れる。
 熱くて、さらさらしたこの人の唾液が私の唾液と混ざる。
 その混ざり合った唾液を嚥下する。
 こくん、と喉が動いた音がする。
 身体の中を下っていく熱い液体。
 それはまるで酒精のように食道を焦がし、胃の中を焼く。
 火照りが全身に広がり、耳たぶから火が出そうなくらい紅潮しているのがわかる。

 唇は言葉よりももっともっと雄弁に、私の心を伝えてくれる。
 この人の唇に自らを奉げることができる喜び。
 この人が、私を好きだと思ってくれている感情が粘膜を通して伝わってくる。
 この人が、私のブラウスのボタンを外している。
 不思議な気持ち。
 男の人に肌を見られるなんてことは、気持ち悪いことだと思っていた。
 なのに、この人になら見られてもいいと思える。
 否。見てほしいと思っている。
 私の、貧弱な身体でも、この人になら見てほしい。
 この人の妹みたいにスタイルはよくないけど。
 沙織みたいにグラマラスではないけれど。
 私のこの身体をこの人が見たいと思ってくれているだけで、こんなにも幸せな気持ちになれる。
 嬉しくて、嬉しすぎて泣きそう。
 …泣いてはいけない。
 この人に私の泣き顔をみせてはいけない。
 そう思っても、私の瞳は勝手に温かい体液を分泌してしまう。


 この人は私の眼鏡を外して、頬の涙をキスで拭ってくれている。
 そしてそのまま眼鏡を机の上に置く。
「あ、そ、その、先輩、眼鏡」
「こんなの要らねえよ。黒猫…瑠璃。俺は、お前が好きなんだ。眼鏡とかそういうんじゃなくて、お前そのものが好きなんだ」
 その言葉は、私の腰の奥に不思議な熱を生み出した。
 私の目を真っ直ぐに見つめてる真摯な瞳。
 強くて、優しくて、全てを委ねても安心できる温かな目。
 それが私を見るたびに。
 それが私を射抜くたびに。
 臍の下当たりがズキズキと甘く苛まれる。
 身体の奥深くから、不思議な脈動が全身に広がっていく。

 腰の裏側が熱い。
 なんだか身体がふわふわする。
 まるで無重力みたいに。

 触れてくれる掌が温かい。
 ごつごつした指。硬い掌。

 黒いブラを取り去られる。
 私の数少ない下着の中でも一番可愛いと思って選んだそれが、この人の手によって取り去られる。
 肌に触れる空気の感触。
 その内側で自己主張している乳首がひくん、と脈動してしまう。
 視線を浴びるだけで身体が熱を持ってしまう。
 見られると恥ずかしい。でも見て欲しい。見られたい。
 相反する感情が私を溺れさせる。
 救ってくれるのはこの人のキスだけ。

 スカートも取り去られ、私が身につけているのはフレアショーツだけ。

 私の心臓がきゅん、きゅんと変な音を立てながら脈動している。
 嫌われないか。
 ヘンだと思われないか。

 私のコンプレックスの源泉を、この人はどう思うのか。
「ぬ、脱がせて頂戴…でも先輩」
 胸の奥で心臓が緊張と興奮と恐怖で締め付けられる。
「ヘ、ヘンだって、お、思わない、で」
 心臓が破裂しそうなほどの想いで搾り出すようにそれだけを口にする。

 腰を僅かに浮かせてショーツを脱がされるのに協力する。
 そして、私は生まれたままの格好をこの人に全て晒してしまう。
 どうしよう。
 どう思われるか。
 泣きたくなるような緊張の中、この人の優しい言葉が耳に響く。
「黒猫のココはすごく可愛いな」

 良かった。
 安堵の余りなきそうになる。
「む、むりに、そんな褒めなくても――」
 私の涙交じりのそんな声にこの人はしっかり首を振って否定してくれる。
「そんなことないぞ。生えてなくてつるつるで、でもその中心が薄桃色で、ものすごく可愛い」
 そんな赤裸々な評も、私の内側を昂ぶらせていくだけで。
「全部、俺のものにしたい」

 嬉しくて泣きそう。
 私のことを、受け入れてくれた。
 可愛いって言ってくれた。
 ズキズキと胸の奥を焦がす想いが全身に広がり充満する。

 そんな私の胸の先を、柔らかくて温かな感触が包む。
 キス。
 この人が私の胸の先に口付けてくれている。
 薄い胸の。
 キライだった自分の胸を、この人はまるで聖なるものであるかのように優しくキスしてくれる。
 尊いものであるかのように優しく撫でてくれる。

「先輩…先輩のものも、見せて頂戴」
 痴女めいたそんな恥ずかしい言葉も、自然に口をついて出てくる。

 醜悪で凶暴なその姿。
 恐怖を感じるべきなのに、どういうわけかこの人の股間の中心は怖くはなかった。
 猛りきり、天を指している男性器。
 それが私の中心を目指しているということが嬉しくてたまらない。

 全裸の私と、同じく全裸のこの人がベッドの上にいる。
 もうすることは一つだけ。




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最終更新:2012年12月24日 07:10
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