ふたりの秘密


「あやせ、具合はどう!?」
「桐乃! 来てくれてありがとう」

わたしが足を痛めてこの病院に入院してから三日目。
今日も桐乃がお見舞いに来てくれた。
そんなに頻繁に来てくれなくてもいいのに。
でも来てくれるのは本当に嬉しい。
それに比べて加奈子‥‥‥ウフフフ。

「ああ、そうだ。今日はバカ兄貴も来るって」

桐乃が不機嫌そうな顔で言う。
へえ‥‥‥お兄さん、来てくれるんだ。
そう思ったとき、病室のドアが開き、お兄さんが入ってきた。

「おう、あやせ」
「こんにちは、お兄さん」
「キモ。馴れ馴れしくすんな! つーか、もう来たんだ」
「お前な、ここ病院だぞ。少しは大人しくしてろ」
「ぐぬぬぬ‥‥‥あやせ、近寄らせない方がいいよ」

桐乃は相変わらずお兄さんに厳しい。

「あ、ちょっとアタシ、電話してくっから」
「そうか。好きなだけ電話してこいよ」
「アタシが居ない間にあやせにヘンなことをしたらブッ殺す!」
「しねえよ!」
「フン、どうだか! あやせも気をつけてよね」
「大丈夫。ちゃんと防犯ブザーを持っているから」
「あやせぇ‥‥‥泣くよ? 俺」

お兄さんが情けない顔で呟いた。変態さんなのだから当然でしょ!



「でも、足も大したことなくて良かったな」
「ええ、退院まであと1週間ほどですけどね」
「桐乃、毎日来てるんだって?」
「はい。毎日来てくれるので嬉しいです」
「そうなんだ」
「はい‥‥‥」

まずい‥‥‥
おトイレに行きたくなってきた。でもお兄さんが居るし、どうしよう。

「どうした、あやせ?」
「何でもないです!」
「なんか変だぞ?」

普段は鈍いお兄さん、何でこんな時に限って敏感なんだろ?

「う、う~ん、つまり―――」
「ああ、独りで行けるか? 何だったら一緒に行こうか?」
「な、何を考えているんですか! この変態!! 通報しますよ!!!」
「いや、でもマジな話、独りで大丈夫なのか?」
「大丈夫です! もう何回も行ってますので」

わたしは両脇に松葉杖を突いて病室から廊下に出た。
トイレなんて直ぐそこだし大丈夫。ここの角を曲がれば‥‥‥

―――清掃中 他の階のトイレをお使いください―――

うそ‥‥‥何この張り紙。
じゃあエレベーターで下に行こうかな。エレベーターは‥‥‥

―――点検中 ご迷惑をおかけしております―――

ええ~~~!!
階段!? 階段を下りるの? 松葉杖を突いて?
松葉杖で階段を下りるなんてやっとこと無いよぉ。でも仕方ない。
一段ずつ、慎重に慎重に、大丈夫、あと一段で踊り場。

「あッ―――」

わたしの足がもつれて踊り場に倒れ込んでしまった。
痛い‥‥‥いや、それよりも、おトイレ‥‥‥! 立てない! どうしよう!
あ、あ‥‥‥‥‥‥!

‥‥‥‥‥‥


「あやせ? どうした!? 大丈夫か?」

その声に振り向くとお兄さんが居た。イヤだ、こんな時に!

「来ないで下さい!!」
「一体どうした‥‥‥!?」
「イヤッ! 来ないで!!」
「どうしたんだよ!? ―――ッ!!」

お兄さんの顔が強ばった。
わたしが座り込んでいる踊り場の床が濡れていることに気づいたのだろう。
お兄さんは踵を返して走って行ってしまった。
え? わたしを放ってどこへ行っちゃうの? お兄さん!?
いやだ! わたしを独りにしないで! お兄さん!

コッ コッ コッ コッ

―――ッ!!
誰かが階段を昇ってくる。
こんな姿を見られたら、わたし‥‥‥どうすればいいの?
誰でもいい。誰か助けて! お願い!!


バシャッ


パニックに陥って震えるわたしの躯が冷たさに包まれた。
一体何? 何が起こったの?

「あやせ、すまん!!」

その声にわたしが見上げると、バケツを手にしたお兄さんが居た。
わたしは全身ずぶ濡れ。冷たい。寒い。

「ちょ、一体どうしたのよ?」

その声に振り向くと、階段を昇ってきた桐乃が居た。

「ああ、俺、手が滑ってあやせにバケツの水をぶっかけちまった」

え‥‥‥ お兄さん?

「ハァ? アンタ、怪我人のあやせになんてコトしてくれんのよ!」
「すまん、本当にすまん!」
「言い訳無用! 死ね!!」
「あやせ、大丈夫か?」
「あやせに触んな!」
「き、桐乃‥‥‥あの」
「大丈夫だよ、あやせ。さ、部屋に戻って着替えないと」

桐乃はわたしに肩を貸してくれて、病室まで連れて行ってくれた。
そして、独り踊り場に残されたお兄さんは、バツの悪そうな顔をしていた。

―――ごめんなさい、お兄さん―――



濡れたパジャマを乾かしに桐乃が病室を出てしばらくすると、
入れ替わりにお兄さんが入ってきた。

「ごめんな、あやせ」
「いえ‥‥‥大丈夫です。あの‥‥‥お兄さん?」
「ん?」
「さっきは、あ、ありがとうございました。わたし‥‥‥」
「いいってコトよ。気にすんなって」
「き、気にしますよ! お兄さん、悪者になってまでわたしの、その‥‥‥」
「だから気にするなって」
「それじゃ、わたしの気が済みません! 弱みを握られたようでイヤです」
「弱みだって?」
「弱みじゃないですか! 後々これをネタにヘンなことをするつもりですか?」
「しねえよ!」

本当かな? 信じていいのかな? いや、でもやっぱり信じられない。
そんな頑ななわたしの感情を顔から読み取ったのか、お兄さんは話し出した。

「あやせ、これを見ろ」
「ハンカチ、ですか?」
「実はさ、このハンカチでさっき濡れた床をちょっと拭いたんだよね」
「はい?」
「つまりさ、このハンカチには‥‥‥」

―――ッ!!
パシッ
わたしはお兄さんの手からハンカチをはたき落とした。

「へ、へ、変態! 変態!! 変態!!!」
「そ。俺は変態」
「あっさり認めないで下さい! 不快です! 通報しますよ!」
「これでお前は、変態という俺の弱みを握ったわけだ」
「え?」
「つまり、俺はお前の弱みを握り、お前は俺の弱みを握ったってコト」
「意味がよくわかりませんが?」
「お互いに弱みを握っているのだから、あれはふたりの秘密にすればいい」

お兄さん‥‥‥

「でもお兄さんの変態っぷりは周知の事実なので、弱みになり得ません!」
「え? ちょ、」
「そもそも普段からわたしにセクハラをするお兄さんなんて信用できません!」
「ぐぅッ! もう、あやせ、俺泣いていい?」

そうよ。セクハラお兄さんの言うことなんて‥‥‥言うことなんて‥‥‥

「‥‥‥信じて、いいんですか?」
「信じろよ、たまにはさ」
「はい‥‥‥」

―――ありがとう、お兄さん。



「じゃあな、あやせ」
「待って!」
「―――ッ!!」

わたしに腕を捕まれたお兄さんが固まった。
そう言えば前にこんな場面があったような気がする。

「あ、あやせ?」
「あ、あの、また‥‥‥来てくれますよね?」
「はは、なんだ。ああ、もちろんだ」

お兄さんは安堵した様子の声で言った。

そしてお兄さんは病室を出て行った。

‥‥‥‥‥‥

こんなこと信じられないけど、信じていいのかもしれない。
桐乃には悪いけど、お兄さんとわたしのふたりだけの秘密って‥‥‥
ちょっとイイかも。

てへっ。

―――い、いやだ。わたしったら、なんでこんな気持ちに?
第一、お兄さんは自分で言っている通りの変態じゃないの!
変態に対してこんな気持ちになるなんて、わたし自身、あ~気持ち悪い!

そんな自己嫌悪に陥っていると、床に落ちたお兄さんのハンカチが目に入った。
カッコつけていたお兄さんだったけど、忘れ物するなんてやっぱり抜けてる。

「もう、しょうがないんだから!」

わたしが半分ニヤつきながら、そのハンカチを拾い上げると―――

「‥‥‥‥‥‥」

そのハンカチは全然濡れていなかった。


『ふたりの秘密』 【了】




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最終更新:2011年03月24日 12:30
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