風(後編) 04




「本当かよ……」

「……でね、婿の死因なんだけど、その多くは、心不全とかなんだけど、若くして心不全ってのも変で
しょ? それに古い記録だと死因が特定できなかった事例もあるんだってさ……」

「古い記録ってのはあてにならないだろ? 当時の医学じゃ解明できなかった死因とかあるかも知れないし。
それに、若くして心不全で死んだ婿が多いってのは確かなのか?」

 陶山の突っ込みに川原さんは、頷くように首を軽く振った。

「パパやママから聞いたんだけど、医者の間では結構有名な話なんだって……。ねぇ、偶然にしてはちょっ
と変でしょ?」

「そうだなぁ……」

 川原さんの話をいくぶんは胡散臭いと思っているのか、陶山は腕組して、口をへの字に曲げている。
 だが、医者の話だとしたら本当なのかも知れない。
 それに……、



「なぁ……。婿養子が早死にするとかが確かだとして、それって女系家族の婿いびりがきつくって、その
ストレスが原因とかじゃねぇのかな?」

「たしかに、女ってのは怖いから、あり得なくはないだろうな……」

 陶山が、そう呟いて川原さんの顔をチラ見している。

「何よ、その目つきは……。感じ悪!」

 川原さんには悪いが、やっぱ女は怖い部分があるよな。
 俺も、あやせとか黒猫とか桐乃にキリキリ舞いさせられてきたから実感できるぜ。

「それはそうと、ボタン付けとか、せっかくお茶会を開いてくれるとかってのに済まねぇな。保科さん宅で
の野点が先約なんだよ……」

「まぁ、そいつはいつでもいいよ。でも、いつかはやろうぜ。こいつは料理は微妙だが、紅茶を淹れるのは
上手だからな。その点だけは期待していいぞ」



「微妙って何よ、失礼ね!」

 不満げに頬を膨らませている川原さんをチラ見しながら、俺は陶山が作ってくれたおかずを思い返していた。
 味付けといい、美観を考慮した盛り付けといい、なまじの腕前でどうにかなるようなもんじゃない。
 こいつに敵う女子はそうそう居ないはずだ。

『川原さん、そいつは相手が悪すぎたんですよ。付き合いの浅い俺にだって、それは分かりますって……』

 てなことを心の裡で呟きながら、俺は保科さんから受け取った招待状をあらためて見た。
 墨痕鮮やかな書体は流麗で、どこか女性らしい優しさのようなものも感じられた。
 一瞬、もしかしたら保科さん本人が俺のために筆を執ってくれたのかと思ったが、それが馬鹿馬鹿しい
思い上がりであることに気付き、苦笑した。
 保科家は、俺が想像する以上に由緒ある家柄であるらしい。
 であれば、こうした書状をしたためる執事とか女中頭とかが居るに違いないのだ。

「これを妹の奴にも知らせておかねぇとな……」

 俺は、書状に書かれている事項を手短にまとめ、ついでに、できれば十二時半までにはこの街の中央駅に
到着するようにして欲しい旨をメールであやせに送信した。


 おっつけメールでの返信なり、電話での連絡があるだろう。

「妹さん思いなのね……」

「そう見えるかな?」

 実際、妹じゃねぇし……、情報を逐一知らせないと洒落にならないからな。特に保科さんがらみの件では。

「おっと、そろそろ昼休みが終わっちまうな」

 陶山が腕時計で時刻を確認している。俺の携帯の時刻表示も「12:55」を示していた。

「さてと……」

 俺たちは、物憂げに立ち上がると、それぞれの教室へと向かった。
 法学部での月曜日の午後の講義は、物理と国際法だった。
 文系学生に義理で物理を教えているというせいなのか、講師はすこぶるやる気がなく、学生に甘い。
 定期試験が赤点でも、レポート提出でOKらしいからありがたい。
 次の国際法の予習が不十分だから、物理の講義を聞き流しながら、ちょっくら内職だな。
 そんなことを思いながら指定された教室に入ると、同じことを考える奴は居るもので、物理の教科書の
下に、国際法の教科書を敷いている学生がちらほらだ。


 俺は、苦笑しながらも、そいつらに倣って同じように国際法の教科書を広げた。
 午前中のドイツ語のように、当てられて答えられなくて赤っ恥ってのは願い下げだからな。

 その国際法の教科書で、講義で突っ込まれそうな箇所にアンダーラインを引きながら、教室の前の方に目
をやると、いつものように禅寺の君が熱心に講義に耳を傾けていた。

『真面目な優等生でもあるんだな……』

 文系の学生にとって教養科目の物理とか生物とかなんてのは、うざいだけでこれっぽっちもありがたくな
いんだが、それでも保科さんは、しっかりと講義を聴いている。
 少なくとも、俺のような劣等生とはいろんな意味で格が違いすぎる。

 俺はため息を一つ吐くと、再び国際法の教科書に目を落とした。



 退屈極まりない物理の講義が終わると、本日最後の講義である国際法だった。
 この国際法の講師は、物理とは打って変わって学生に手厳しい。語学系の講義もそうだが、不意に学生を
名指しで立たせ質問するというソクラテス方式で恐れられている。

「国際法の自動執行力とは何かね?」

 今日は、俺のすぐ前に座っている気弱そうな男子学生が餌食になっていた。
 そいつは何とか、国際法が国内法としての効力を有することをしどろもどろに答えて、着席を許されていた。
 しかし、基礎的な事項とはいえ、法律を勉強し始めて一箇月程度の一年坊主に訊くなよ。
 え? 俺は当てられたら答えられたのかって? そいつは不正競争防止法にいう営業秘密って奴だ。残念
だが非公開だな。

 緊張感たっぷりの講義が終わると、俺はそそくさと教室を後にして、大学の正門を出てしばらく歩いた頃、
バッグから携帯を取り出した。

「やっぱりメールが来てやがる」


 送信者はもちろんあやせだ。そのメールには、

『ようやくですか、何を今までぐずぐずしていたんでしょうね。
 おかげでスケジュールの調整が大変です。
 でも、意志薄弱なお兄さんを放置できませんので、今週末はそちらに向かいます。
 時刻表を確認したら、ちょうど十二時半にそちらに着く便があり、指定席も確保できました。
 お出迎えは結構です。お兄さんは午前中も講義があるでしょうから、駅までご足労いただくには及びません。
 わたしがお兄さんの下宿へ直接参ります。

 追伸:夜になったら電話します』

「ふは……」

 文面は予想通りではあったが、年下の婦女子にいいように振り回されるってのはどうよ?
 陶山も川原さんには少々振り回され気味みたいな気配だが、陶山も川原さんに結構好き放題言ってるしな。
それに、二人は同い年だ。
 俺の場合は、三つ年下のあやせ様に隷属している一歩手前みたいなもんだからな。


「電話ってのが、また不気味なんだよな」

 まかり間違っても、『お兄さん、大好きです』とは言わんよなぁ。
 まず考えられるのは、今週土曜日の保科さん宅での野点のスケジュールが今になって明らかになったこと
だな。これは、日曜日にも電話で詰られたが、今夜の電話でも何だかんだ言われるだろう。
 次には、日曜日に黒猫や沙織と一緒に、買い物をしたり、お茶を飲んだりした件だろうか。この件は既に
電話で散々に文句を言われたが、それだけで済むとは思えない。

 何ともいや〜な気分のまま、ひとまず夕飯を食い、いつものように自分の食器を台所で洗うと、俺は自室
に引きこもった。
 明日の予習がまだだったし、あやせからの電話を下宿の女主人に聞かれたくはなかったからな。

 はたして、明日の英語の講義に備えて、意味の分からない単語を辞書で引いていると、机の上の携帯電話
が鳴動した。

「もしもし……」

 液晶画面を確認するまでもない。相手はあやせだ。



『……昼間のメールで、今度の土曜日に保科とかいうお兄さんの同級生の家で野点があることが、決定的に
なりましたね……』

「あ、ああ、そうみたいだな……」

 言ってから気付いたが、他人事みたいな言い方は明らかにまずかったな。

『もうちょっと緊張感と警戒心を持ってください! お兄さんは保科とかいう同級生を人畜無害な人だと
思っているんでしょうけど、絶対にそんなことはありませんからね』

 のっけからぴしゃりと言われちまったじゃねぇか。しかし、どうしてこうも保科さんのことを嫌悪するの
かね。

「あのな……、保科さんは高嶺の花で、俺なんかと釣り合う存在じゃないってことぐらい、誰がどう見たっ
て明らかだろ? いったい、何を警戒しろってんだよ」

『……お兄さんって、真性のバカですか?』


「はぁ? 今の大学にギリギリ滑り込みセーフだってのは認めるが、高校生にバカ呼ばわりされるほど
オツムの出来は悪くねぇけどな」

『学校の成績のことを言っているんじゃありません! 状況を読むのが鈍いっていうか、なんていうか、危
なっかしいんですよ』

「鈍いたぁ、ご挨拶だな」

『でも実際、鈍いんだからしょうがないです。桐乃の本心をもっと早くお兄さんが見抜けていれば、それに
対する手段もあったんじゃないですか』

「今は保科さんの話をしているんだよな? 桐乃は関係ねぇだろ」

『いいえ、あります! ご両親を交えての家族会議とかできっちりお互いの気持ちを整理して、桐乃に実の
兄妹としてのけじめをつけさせていれば、お兄さんも遠くの街に追いやられることもなかったんですよ』

「そうだったら、俺も保科さんと出会わなかったって言いたいのか?」

『もう〜、違います! お兄さんが保科さんと出会う出会わないなんてのは問題の本質じゃないんです。
本当に問題なのは、お兄さんの鈍さからくる危うさなんです。それが、保科さんの件でも、桐乃の件でも、
黒猫とか自称している痛い女の件でも、元凶になっているんですよ。分かってますか?」



「桐乃や黒猫の件はともかく、保科さんとは別段問題になるようなことは何もねぇぞ」

『言ってるそばから何ですか! 何で保科とかいう女がお兄さんを野点に招待したのか考えてみてください。
どう見ても不自然じゃないですか。それは、あの女に何らかの下心があるからに決まっています』

「保科さんが抱く下心ってのは何だよ」

『それは、お兄さんをものにしたいっていう下衆な欲求です。そんなことも分からないんですか?』

 ば〜か。保科さんのような超絶美人のご令嬢が、俺みたいな平凡な一庶民なんか本気で相手にするもんか。
俺が陶山以上のイケメンだったとしてもあり得ねぇよ。

『お兄さん! 人の話をちゃんと聞いてますか? お兄さんは鈍いから、あの女の本心を見抜けていないん
です。お兄さんは、あの女のことを気立てのよい美人とか思っているんでしょうね。大方、今日の講義でも
あの女の姿をデレっと眺めながら、先生の話を適当に聞き流していたんでしょ? もう、お見通しですから
ね!』

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年07月26日 22:18
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。