風(後編) 09



*  *

 風呂から上がって自室に戻ると、二組の布団が敷いてあった。
 もちろん、一つは俺が寝る布団であり、もう一つはあやせが寝る布団だ。
 前回もそうだったんだろうが、俺が風呂に入っているうちに、あやせが勝手に敷いたんだろう。
 はじめから分かっちゃいたが、あいつは今晩はここに一泊するつもりでいる。

「だけどよ、年頃の男女が同じ部屋で寝起きするってのは、まずいだろ……」

 だが、自称俺の妹様が、そんな俺の懸念を慮るわけがない。
 年下の小娘のくせに、色香で俺を翻弄しようっていうことなんだろうか。
 あの女の考えていることは、どうにもよく分からない。

 俺は、いつも使い慣れている方の布団の上にごろりを仰向けになった。

「それにしても、保科さんってのは、何なんだろうな……」

 俺は保科邸に到着してから辞去するまでの一連の出来事を思い出せる範囲で反芻してみた。
 茶室での作法の手ほどきから、野点の本番、俺の足の痺れ、その後の保科さんとあやせによる介護、さら
には俺とあやせが、野点の会場でうたた寝したこと等々……、結局は、すべてが保科さんのシナリオ通りに
進行していたように思えてならない。
 俺の足が痺れるであろうことも、彼女には分かっていたはずだ。
 あの禅寺で野点の招待を受けた時、保科さんは、

『殿方はスーツで結構です』

 と言ったのではなかったか。
 長時間正座する茶事では、男性も和服が基本であり、洋服の場合であっても、流行遅れのだぶだぶした
ズボンでなければ宜しくないことは、茶事におそらくは数え切れないほど参加してきた保科さんなら当然に
分かっていたはずだ。

「それに、今の若者向けのスーツは、みんな細身なのを知らないはずがねぇよな……」

 にもかかわらず、何故に彼女は、俺にスーツを着るように指示したのか。足を痺れさせて膝枕をするため
か、それとも、俺を和服に着替えさせたかったのか。彼女の狙いは皆目分からない。しかし、入念な計画に
基づくものであるような雰囲気がぷんぷんする。
 保科さんの胸のダイブして、彼女の股間に顔面をめり込ませるというハプニングも、何だか彼女の
シナリオ通りな気さえしてきた。

「あやせといい、保科さんといい、訳が分からないぜ……」

 男にとって女ってのは、基本的に理解不能で面倒くさい生き物だ。

「明日は明日で、保科さんやあやせ以外の面倒くさい生き物と面と向かわにゃならねぇ……」

 明日の午前十時には黒猫と沙織がこの街に再びやってくる。
 何とも後味の悪い別れ方をした先週日曜日の仕切り直しのためだ。

「問題はあやせだ……」

 黒猫と沙織との面談というか、ネゴシエーションというか、洒落にならない雰囲気の話し合いに、あやせ
まで参戦されたのでは、たまったもんじゃない。
 明日の午前中は、大学の図書館で調べ物をするということにして、互いに別行動にしよう。
 要は、あやせを謀るってことだ。

「嘘も方便。もう、大嘘吐きでも何でもいいや……」

 この街で、あやせと黒猫のガチバトルなんか願い下げだからな。

 俺は、布団の上に仰向けになったままで、瞑目した。
 保科邸での野点は緊張の連続だった。それのみならず、足が極度に痺れて身動きができなくなるという
アクシデントもあった。そのためか、俺はぐったりと疲れきっていた。
 大学の教室で保科さんに呼び止められ、同級生たちに変に注目されたのも結構なストレスだった。

「もぅ、身体がだるいし、眠くてかなわねぇ……」

 目を閉じていると、意識が朦朧としてきて、ふわふわと夢の中にさ迷い込んでしまいそうになる。
 野点の後、不覚にもあやせ共々、緋毛氈の上で居眠りしたが、中途半端な睡眠はかえって眠気を催させる
ものらしい。

 不意に誰かが頬を撫でてくれているような気がした。
 この柔らかな感触は、膝枕をしてくれた保科さんのものだろうか。
 果たせるかな、振袖姿の保科さんが、艶然とした笑みを浮かべて、俺の顔を覗き込んでいるような気がした。
 だが、突然、彼女の面相に憂いにも似た翳が浮かび、ためらいがちに顔をそむけて、視線を俺から逸らせ
てしまった。

「ほ、保科さん!」

 待ってください! あなたは、何で俺を、俺たちを野点に誘ったんです?
 あなたは、どうして、俺みたいな平凡な男にちょっかいを出すんですか?
 そして、あなたは、最終的には、俺をどうしたいんですか?

 呼び止めて、そう尋ねたかった。今、今なら、彼女に訊くことができるような気がした。

 だが……、

「何が、『保科さん』ですかぁ! ブチ殺しますよ!!」

 耳をつんざくような罵声と、頬に感じた痛みで、俺は我に返った。
 恐る恐る目を開けると、水色のパジャマ姿の自称俺の妹様が、恐ろしい形相で俺を睨んでいた。

「あ、あやせ……」

 しっとりとした髪からはシャンプーの香りが漂い、身体からは石鹸のものらしい清潔そうな匂いが漂って
きそうだった。
 だが、

「お、お前! 俺の身体の上に、馬乗りになってるんじゃねぇ!!」

 自称俺の妹様は、股で俺の胴体を挟むようにして、俺の臍の辺りにまたがっていたのだ。

「こうでもしないと、お兄さんにビンタできませんから。やむを得ません」

 こいつ、俺の寝言を聞きつけて、馬乗りになったのか。
 しかし、それにしても……、

「いきなりビンタってのは、ひでぇじゃねぇか。それに、この体勢だと、あやせが俺をレイプしているみたいだよな」

「レイプだなんて、破廉恥な! これはお仕置きです」

 言うなり、怒りで形相を般若のように歪ませたあやせは、俺のスウェットの襟元を引っ掴んだ。
 『レイプ』の一言で、俺の身体から離れると思ったんだがな。
 自称俺の妹様はそんなうぶな輩じゃないらしい。
 それどころか、あやせは、俺の首を、スウェットの上から無慈悲にも締め上げた。

「うわ、いてててっ! ら、乱暴はよせ、麻奈実や保科さんは、ぜ、絶対に、こんなことはしねぇぞ!」

「あの女の名前を言うなって、何度言ったら分かるんですかぁ!!」

 あやせは涙目で、俺の首を、がくんがくんと、五、六回乱暴に揺さぶって、おもむろに手を放した。

「げ、げほ……、ごほ……、げほ……」

 俺はというと、仰向けに引っくり返ったまま、喘息持ちの爺様のように、ひとしきり咳き込んで悶絶した。
 いつもながら、こいつの暴力は、本当に洒落にならんなぁ。

「いつまで咳き込んでいるんですか、この変態……」

 咳が治まりかけて、薄目を開けると、相変わらず自称俺の妹様が俺の腹の上に馬乗りになったままだった。

「お前なぁ……。前にも言ったけど、これって傷害罪一歩手前の行為だぞ。それに、いい加減、どいてくれ
よ……」

 だが、あやせは意固地になったのか、股間を俺の腹部に強く押し付け、太腿で俺の胴体を締め付けてきた。

「うわぁ! いてててっ……」

 あやせの太腿で締め上げられ、内臓全部がでんぐり返りそうな苦しさだった。
 だが、あやせの股間が、あ、あそこが、俺の腹の上に密着し、あまっさえ、ぐりぐりと擦り付けられてい
る。こ、これはこれで、いい……、かな?
 てか、そんなことでプチ喜んでいる場合じゃない。
 自称俺の妹様は、怒りで歪めた面相を、だらしなく仰向けになっている俺の顔面に近づけてきた。

「明日のことで、お兄さんに確認をしておきたいことがあります。明日、お兄さんは何をするつもりです
か?」

 そらきた。こいつは、俺を監視するために俺につきまとう気でいる。だが、あいにくと、そうはさせねぇ。

「あ、明日は、午前中、大学の図書館に行って、判例の調べものだ。だから、明日の午前中は、あやせとは
別行動だな」

「図書館へは私も同行します。お兄さんの単独行動なんて許しません!」

 そうくると思った。だがな、俺が通う大学の図書館は、そうはいかねぇんだよ。

「お前、大学の図書館ってのは、県立や市立の図書館とは訳が違うんだぞ。その大学の学生や教職員じゃな
いと、利用できねぇんだよ」

「そんなもの、大学生の振りをしてれば大丈夫です。わたしは、これでも結構大人っぽい方ですから」

 自信たっぷりに言い切りやがった。たしかに、モデル業で揉まれてきただけに、高校一年生にしては、
多少は大人びているな。だが、大学生の振りをするのは、どう考えても無理がある。
 所詮はガキだ。いろんな意味で。それに、

「お前、大学の図書館が見た目だけで判断すると思うのか? そんなことをしたら、大学生じゃない浪人生
や、下手すればホームレスとかが入り込んでくるじゃねぇか」

「うっ……」

 痛いところを突かれたのか、般若顔のあやせが息を詰まらせたような気がした。

「入り口で学生証の提示を求められるんだよ。で、学生証がなかったら、館内に立ち入ることもできねぇ。
少なくとも、俺の大学の図書館はそうしたところだ」

 授業料を払っていない者に大学の施設を利用させるのは衡平ではない。それ以前に、セキュリティの関係
上、身分が特定できない奴の入館を許すはずがないだろ? 社会の道理をよく分かっていないところが、
本当にガキだな。

「そうですか、なら仕方がありませんね。わたしは、大学近くの喫茶店かどこかで、お兄さんの調べものが
終わるまで待つことにします」

「何もそこまでしてくれなくていいぞ。お前も大変だろうから、下宿で待つなり何なりしてくれれば……」

「いいえ、お兄さんを護るために、わたしははるばる千葉から来たんです。そうであれば、明日はお兄さん
と一緒に下宿を出て、大学の図書館にお兄さんが入っていくのを確認した上で、わたしは近くの喫茶店か、
ファストフード店で本でも読んで待っています」

 しつこいな……。まさかとは思うが、明日の午前中に黒猫と沙織に会うってことを把握してやがるのか?
 いや、それはないか……。
 俺が嘘を吐いていることを知っていたら、もっと過激な手段で俺を責め立てるはずだからな。
 だったら……、

「いいだろう。俺は図書館の中で調べものをしているから、その間、お前は、喫茶店とはいわずに、学内の
どっかで待ってろ。俺の大学は建物はボロだが、敷地だけは公園並みに広いからな」

 このまま嘘を吐き通してやる。毒を食らわば皿までも、だ……。図書館に入ったら、裏口から抜け出て、
沙織たちとの待ち合わせ場所である中央駅前までタクシーですっ飛ばす。これで、あやせの目を欺いてやる。
 だが、

「……調べものは判例ですか?」

 あやせの奴が、じっとりとした疑惑の眼差しで俺を凝視している。何かヤバイな、しかし、ここまで来て
嘘を認めるわけにはいかねぇ。

「ああ、判例集が図書館にあるから、そいつでちょっと調べたい事件があるのさ」

 あやせの奴が、にやりと笑ったような気がして、俺は嫌な予感に襲われた。

「判例は……」

 俺に馬乗りになったままで、あやせは座り机の上のパソコンを指差した。

「あれを使ってインターネットで検索できるんじゃなかったんですか?」

 しまった。インターネットで判例を検索できることは、この前、俺自身がこいつに教えたんじゃねぇか!
 自ら墓穴を掘ってどうすんだ。

「い、いや……。インターネットでは公開されてない判例もあってだな、そ、それで図書館で調べなきゃな
らねぇんだ……」

 我ながら悪あがきっぽいが、一応は事実だ。実際、マイナーな判例や、古い判例は、裁判所の
ホームページには出ていないことがあるからな。これであやせの追及を振り切っちまおう。

「そうですか……、でも、お兄さんの大学の図書館って、明日は休館日みたいなんですけどぉ……」

 いつの間にか、あやせの手にはスマホが握られていて、その画面には大学の付属図書館の予定が記された
カレンダーが表示されていた。

「げっ!」

「ここに、明日の日曜日は、空調設備の点検のため休館って書いてあるんですけど、お兄さんが明日利用
する大学の図書館って、どこの世界の図書館なんでしょうか、ね!」

 最後の『ね』にアクセントをつけたあやせは、今度は、襟ではなく、俺の首をダイレクトに締め上げてきた。

「ぐ、ぐるじぃ、じ、じんじばう……」

「大嘘吐きのお兄さんには、これぐらいの苦しみじゃ足りないくらいです! お兄さんは、明日、黒猫とか
いう痛い女や、沙織とかいうデカブツとデートするんでしょ? それもわたしに内緒でこっそりと!」

「う〜〜、う〜〜〜、う〜〜〜……、いぎが、で、でぎ、なび……」

 これが女子高校生の力かと思うほど、あやせの締めは激しかった。それこそ、鬼の形相で俺の喉を
思いっきり締め上げていやがる。

「わたしだって、黒猫とかいうあの女は要注意人物だから、その動向には常に気を配っているんです。
だから、明日、あの女がお兄さんに会いにやって来ることも、とっくの昔にお見通しだったんですよ!!」

 畜生。あやせの奴は、俺の嘘が破綻するように、俺を追い込んでいたんじゃねぇか。それに気付かず、
あやせをガキだと侮ってドツボに嵌った俺って、何てバカなんだ。
 俺は、苦し紛れに両手を虚空に伸ばした。溺れる者は藁をも掴むっていう喩えが身にしみて理解できたぜ。

「きゃっ! 何てとこ触ってるんですかぁ、この変態!!」

 俺の両手は、マシュマロのように弾力がある二個の物体を、むんずとばかりに捉えていた。他でもない、
あやせの左右の乳房だった。
 左手は右の乳房を、右手は左の乳房をそれぞれ鷲掴みにしていた。そして、掌には、ぷっくりとした
あやせの乳首が感じられた。
 こいつ、ノーブラじゃねぇか!

「わ、わたしの、む、胸なんか、も、揉まないでください。ブ、ブ、ブ、ブチ殺しますよ!!」

 あやせが一段と強く俺の首を絞めてきた。もう、本気で俺をブチ殺すつもりだ。
 こうなったら、俺だって必死だ。絶対にこの手を離すもんか!
 死ぬ寸前まで、あやせの胸を揉みまくってやる。これが末期のセクハラってもんだ。

 俺は、パジャマの上からあやせの乳首を摘み、それを引っ張ったり、乳房の中に押し込むようにして弄んだ。

「や、やめて、く、ください。そ、そこは、び、敏感なんです……」

 乳首を刺激するたびに、あやせは弓なりに背を反らせて身震いしやがる。
 まさかとは思ったが、エロゲのヒロインと似たり寄ったりの反応を示すんだな。
 それに、乳首をいじられると脱力するのか、俺への締めが手ぬるくなった。

「こうなりゃ、一石二鳥だぜ!」

 あやせの胸を揉んで末期のセクハラに興じるのみならず、あやせにブチ殺されるのを免れることができる
かも知れねぇ。
 俺はあやせの乳を揉みながら彼女のパジャマの前立てをまさぐってボタンを外し、あやせの胸元に両手を
突っ込んだ。

「じ、直に触らないでください、わ、わたし、もう……」

 そう言いながらもあやせの奴は、股間を俺の腹に擦り付けるように、腰を前後に妖しくゆすっているじゃ
ねぇか。
 それでも、俺の首には、申し訳程度といった感じながら、あやせの両手が首かせのように嵌っていた。

「こ、これならどうだ!」

 俺はあやせのパジャマの前立てを左右に無理やり引っ張った。外していないボタンが一つ、二つ弾け飛び、
あやせの乳房が顕わになった。
 こ、これが、あやせの乳房か……。触ってみて大体は分かっていたが、控え目ながら、ちゃんと出るとこ
は出てるんだな。
 乳房が控え目なくせに乳輪は大きめだろうか。だが、そこがエロくて俺好みだ。

「お、おっぱい、見ちゃだめぇ〜〜〜!!」

 あやせは自分の胸を隠そうとしたのか、はたまた俺の目を塞ごうとしたのか、俺の首から両手を離した。

『今だ!』

 俺は、両腕をあやせの背に伸ばして彼女に抱き付き、ぶらぶら揺れる左の乳房の先端をぱっくりくわえ、
すすってやった。

「あ、あうう……。す、吸わないで、す、吸わないでぇ〜〜〜」

 あやせは身を捩じらせて抵抗したが、俺がベージュがかったピンク色の乳首を吸い続けると、ついには
「あぅ、あぅ」といううわ言のような声を出しながら、だらしなく涎を垂らし始めた。

「今度は右だ」

 こりこりに勃起した右の乳首を舌先で弄び、強く吸ってやる。

「あふ、あふぅ〜〜〜〜〜」

 もう、俺をブチ殺すどころの話じゃない。
 あやせの奴は、俺の後頭部を両手で支え、自分から俺に胸を突き出すようにしている。
 女って、あやせみたいなエロが嫌いな奴でも、乳首吸われるとエロゲのキャラみたいにおかしくなるんだ
な。エロゲやっといてよかったぜ。こればっかりは桐乃に感謝だ。

 てなことを思いながら、俺は両の乳首を交互に吸い、さらには軽く噛んでみた。

「あう、お、お兄さんやめてください。お、おかしくなっちゃうぅ〜〜〜」

「もう、十分におかしくなってるぜ」

 あやせは俺の軽口には反応せず、虚ろな目のまま、だらしなく口をぽかんと開けている。
 そろそろとどめを刺すとするか。
 俺は、あやせの乳房をすすりながら、右手をあやせの股間に伸ばしていった。

「あ、ああああっ! そ、そこはいじっちゃだめです」

 布地越しにあやせの秘所の温もりが感じられた。
 パジャマも下着も薄手のものらしく、俺の腹の上でぱっくり広がっているあやせの割れ目が、はっきりと
分かる。
 割れ目をなぞると、布地越しにねっとりとした湿り気が伝わってきた。

「ぬ、濡れてるじゃねぇか……」

 女の身体に初めて触れた俺みたいな奴の不器用な愛撫でもこんなに乱れるなんて、あやせって根はすごい
スケベなのかもな。
 俺はぬるぬるした割れ目の端に、こりこりした突起を指で探り当てた。これがクリトリスなんだろう。
そいつを指先でぐりぐりと擦るように弄んだ。

「あ〜〜、う〜〜〜、そ、そこはらめれすぅ〜〜〜〜。ら、らめぇ、らめぇ〜〜〜」

 あやせは完全にぶっ壊れる寸前といった感じで、呂律も怪しくなってきた。やっぱクリトリスって、女の
身体で一番敏感だってのは本当なんだな。
 俺は、その突起を摘んで、こよりを撚るように軽く捻ってやった。
 同時に、乳首を吸いながら軽く噛んで引っ張ってやる。

「う、う、うっ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 あやせは苦悶に耐える呻き声にも似た叫びを歯を食いしばるようにして絞り出し、背を反らせて全身を
ビクビクと痙攣させた。
 痙攣はひとしきり続き、それが治まると、あやせは俺の身体にもたれかかって、ぐったりとなった。

「ふぅ……」

 のしかかっているあやせをごろりと布団の上に転がすと、俺は自分の首を押さえてため息を吐いた。

「あやせの奴、イッたみたいだな……」

 布団の上に転がされたあやせは、快楽の余韻で頬を上気させ、はだけた胸元からは勃起したままの乳首を覗かせていた。

「こ、これで、終わりなんですか……?」

 エクスタシーに達したあやせの身体からは、甘酸っぱいような感じの女の匂いが、むせ返るほどにあふれ
ていた。
 そして、俺のリヴァイアサンは、かつて経験したことがないほどに大きく固く怒張している。

 これは、“据え膳食わぬは男の恥”って状況なのか?
 今のあやせだったら、このまま俺のリヴァイアサンをぶち込むのは楽勝だろう。
 だが……、

「……そうだな……、これでセクハラはお仕舞いだ……」

 さっきまで俺をブチ殺す気満々だった奴とセックスなんかできねぇよ。これって強がりみたいなもんだけ
どさ。

「……ひどいです、ひどいです、お兄さん……」

 あやせは、パジャマの前をはだけたまま、さめざめと泣き出した。
 あやせが俺をブチ殺そうとしたとはいえ、俺のやったことはセクハラどころかレイプ寸前の行為だったか
らな。気丈なこいつが泣くのも無理はねぇ。

「あやせにひどいことをしたのは認めるよ。でも、お前だって、俺を殺す気だったんだし、お互い様だろう」

「……お兄さんを殺す気なんかありませんでした……」

 嘘つけ! さっきの首の締め方には殺意がみなぎっていたじゃねぇか、と言いたかったが、我慢した。

「そうかい……、俺もあやせを犯すつもりはなかったよ」

「……お兄さんなんか、大っ嫌いです……」

 あやせとは脈があったように思ったんだが、これで終わりかもな。男女の仲なんて、ちょっとした事件で
簡単にぶっ壊れちまうもんなんだ。

「さっきのセクハラと、黒猫のことを黙っていたのは、あらためて謝るよ。これは本当に済まなかった」

「い、今さら謝っても、お兄さんが嘘吐きな変態だってことに変わりはありません……」

「何とでも言え……。否定はしねぇよ」

「……嘘吐き」

 強がってはみたものの、今度ばかりはあやせの『嘘吐き』ってのが胸に痛い。
 だが、ここで挫けちゃいけねぇぜ。

「嘘吐きでも何でもいいさ。で、明日のことなんだが……」

「……嘘吐きお兄さんは、わたしのことなんか放っておいて、黒猫とかいう痛い女とデートなんでしょう……」

「違う。明日、黒猫に会うのは本当だが、何をあいつに告げるかはもう心に決めているんだ。友達ではある
が、もう恋愛感情はない。それをそれをはっきりさせてくるだけだ」

「……し、信じられません……」

「俺の言うことが信じられないようなら、明日、お前も俺と黒猫のやりとりを遠くから見ていればいいだろ
う。その時に、俺の言っていることが嘘じゃないってのがお前にも理解できるさ」

「……………」

 黒猫や沙織との面談をあやせにも見せるのはリスキーこの上ない。下手すれば、面談の場にあやせが乱入
して、黒猫と大乱闘になりかねないからな。何らかの策が必要だろう。

「ただし、俺と黒猫や沙織との面談をお前が監視するのには条件を付けさせてもらう。第一に、目立たない
格好で遠くから監視すること。第二に、面談の場に絶対に介入しないこと……」

「遠くから見ているだけなんて嫌です……。面談の風向きがおかしくなったら、お兄さんを護るために、
わたしも介入しなくちゃいけません……」

 そうくると思った。
 俺は、舌打ちしながら机の上に置いてあった携帯電話を手に取り、あるところに電話した。

「もしもし、高坂だ」

『おお、どうだった? 保科さんとこの野点は』

 電話の相手は、イケメン眼鏡の陶山だ。

「なかなかに大変だったよ。そいつについては、明日にでも話せるだろう』

『明日か……。大学は休みだぞ』

 そりゃそうだ。日曜日なんだからな。だが、頭のいい陶山のことだ、俺が会いたいってニュアンスを感じ
取っているに違いない。 

「まぁ、ぶっちゃけ、明日はお前と川原さんに助けてもらいたいんだ。実は、妹が来ているんだが、俺は俺
で、千葉から来る友人の相手をしなくちゃならねぇ。それで、俺が友人と居る間に、ちょっと妹の面倒を見
て欲しいのさ」

 友人になって日が浅い陶山に頼むなんて、我ながら非常識だよな。
 案の定、陶山は困惑しているらしく、『え〜〜?』と絶句している。
 だが、

『えっ? 何、何? 高坂くんの妹さん?』

 川原さんらしい、素っ頓狂な女の声がスピーカーから轟いた。

『きゃっ! 高坂くんの妹さんが来てるんだって?! で、その子の世話をさせてくれるのぉ? やる、
やる、絶対にやる。いいえ、や、やらせてください!!』

『……お、おい……。安請け合いはするなよ……』

 川原さんをたしなめる陶山の声がしたが、川原さんは、

『うっさいわねぇ! あたしがやるっていったら、やるの! あんたは黙ってなさい』

 と、陶山を一喝していた。女って、怖いな。
 それはともかく……、川原さんは何で陶山とこんな時間に一緒なんだろ。大体想像はつくが、追及するの
は野暮ってもんか……。

『ごめんなさ〜〜い、亮一のバカが気が利かなくって。でも、あたしがOKなんだから、もう、こいつには
四の五の言わせなぁ〜〜い。だから、明日は、是非是非、高坂くんの妹さんを宜しくお願いしまぁ〜〜す!!」

「あ、ああ……、こ、こちらの方こそ、よ、宜しくお願い、し、します……」

 なんだい……。川原さんのハイテンションぶりに思わず敬語っぽく話しちまったじゃねぇか。
 でも、これで、明日は何とかなりそうだ。

『で、待ち合わせとかはどうするのぉ?』

 俺たちは、午前9時に大学の正門前で落ち合うことにした。

「まだ説明しておきたい事柄があるけど、電話では何だから、明日、会った時に話すよ。いいかな?」

『うん、うん、全然オッケイ! じゃぁ、明日は楽しみにしているからね〜〜』

「こちらこそ。あと、陶山にも宜しく」

 そう言って、俺は通話終了のボタンを押した。

「ふう……」

 通話を終えて、安堵のため息を吐いた俺を、胸をはだけたままのあやせが、泣きべそ顔でじっと見ていた。

「まぁ、聞いての通りだ。明日は、俺の大学の友人で、陶山っていう奴と、その彼女である川原さんって人
を、お前のお目付け役にする」

「お、お兄さんのお友達なんて、信用できません……。きっと、お兄さんとどっこいどっこいの変態で嘘吐
きなんでしょ?」

 俺は、陶山と川原さんを悪し様に言うあやせに少々ムカついたが、あやせの言い分にも一理ある。
 全く面識のない奴をお目付け役だって言われても、警戒心しか湧かないよな。

「陶山ってのは、医学部の学生で、ものすごく頭のいい奴だ。川原さんは陶山の同級生で、やはり医学部の
学生だ。二人とも正直で、気のいい連中だぜ。明日、本人たちに会ってみれば、お前だって納得するだろう」

「……もう、それしかない、って言うことですか?」

 俺は、恨めしげなあやせに無言で頷いた。こうでもしなきゃ、危なくって仕様がない。

「だったら、そ、それでいいです……。でも、お兄さん……」

「今度は何だよ……」

 いつになく哀れっぽい口調が気になったが、俺はそっけなく振る舞った。あやせには油断がならないから
な。色々と……。

「……あ、あの……、わ、わたし……、お、お兄さんに……」

「俺に何だって?!」

 先刻、いきなり首を締められたから、かなりきつい口調で言い返しちまったな。
 その俺の一言で、あやせが、びくっ、と身を震わせたようだった。

「……あ、あの……」

「だからどうした?」

 この口調もきつかったかな。どうも、さっき殺されかけたってんで、語気が荒くなっちまう。

「い、いえ……。何でもありません……。も、もう……、いいです……」

「そうかい……」

 そう言って、俺はすっくと立ち上がった。

「ど、どこへ?」

「隣の部屋だ。さっきみたいなことがあったんじゃ、おちおち眠れないからな。俺は隣の部屋で寝ることに
するよ」

 あやせに殺されるのが怖い、というのは自分でもよく分からないが、多分本当じゃない。
 あやせと同室で寝たら、きっと彼女を犯してしまうだろ。性的な衝動を抑え切れない自分が怖かった。
 頭では自分を殺そうとした女を抱けないと思っても、本能は違う。
 事実、俺のリヴァイアサンは、はち切れんばかりに怒張したままじゃないか。

「あ、あの……」

 あやせが何かを言いかけたようだったが、俺は彼女に背を向けて自室から出た。廊下に出て、階段を下り、
洗面所で顔を洗った。

「……高坂さん……。何かあったんですか? ちょっと騒々しいようでしたけど……」

 洗顔を終えて階段を上がろうとしたところを、下宿の女主人に呼び止められた。
 あれだけの騒ぎだ。昔ながらの重厚な造りの下宿屋であっても、何らかの物音は伝わる。

「ああ、どうもすいません。妹と格闘系のゲームをやっていたものですから、ついつい熱が入って、俺も妹
も荒っぽい言葉遣いになっていたようです。ちょっと反省してます」

「ああ、そうですか。それなら結構です」

 下宿の女主人は、安堵したのか、表情を和らげた。兄と(自称)妹との禁断の愛の営みが展開されている
と思ったんだろう。実際は、もっとヤバイ状況だったんですけどね……。

「それと、妹の奴は、俺の部屋で寝たいんだそうです。ですので、俺が自室の隣の部屋で寝てもいですか?」

「ええ、いいですよ。お布団は、お部屋の押入れに入っているものを自由に使ってください」

「はい、ありがとうございます」

 許可を得た俺は、自室の隣部屋に入り、布団を敷いて横になった。
 長いこと仕舞ったままだったせいか、何となくカビ臭いが、これぐらいなら我慢できる。

「しかし、疲れているのに、寝付けねぇな……」

 あやせが馬乗りになるまでは、眠くってしょうがなかったのに、今はあやせの乳房と秘所の感触を思い出
すと、気持ちが昂ってなかなか眠れない。

 それでも、ようやく夢うつつになった頃、自室の襖が開く音と、あやせのものらしい足音が聞こえてきた。
 俺ははっとして身構えたが、足音はそのまま俺が居る部屋の前を素通りし、階下へと向かって行った。

「何だ、トイレかよ……」

 しばらく経ってから、階下から水を流す音が聞こえてきた。

「ずいぶんと長いトイレだな……」

 そんなことを呟きながら、俺はいつしか泥の様な深い眠りに落ちていった。


*  *

 翌朝、膨れっ面というか、まぶたを腫らしたあやせを伴って、俺は大学の正門前に向かった。

「やっほぉ〜〜!! 高坂くん、こっちこっちぃ〜〜〜!」

 正門前には既に川原さんと陶山が待っていた。
 川原さんは、いつもは一本のお下げにしている長い髪に軽くウェーブをかけて、腰の辺りまで伸ばしていた。
 ファッションは、普段パンツルックがほとんどだってのに、今日に限って白いゆったりとしたスカート、
ノースリーブの黒っぽいカットソーにベージュ色した薄手のカーディガンを羽織り、鍔が大きな白い帽子で
キメ、襟元にはダイヤらしい宝石がちりばめられたネックレスが輝いていやがる。
 う〜〜ん、そういや、川原さんだって、開業医の娘なんだよな。スケールは、保科さんや沙織とかに比べ
ればささやかかも知れないが、やっぱお嬢様なんだと今さらながら実感しちまったぜ。
 相方の陶山は、ダークグレーのスタンドカラーシャツにカーキ色というかオリーブ色に近い腰丈の
ジャケットを羽織り、黒いデニムを穿き、八ピースの丸っこいハンチングを被っている。

 対する俺たちはというと、俺は普段と代わり映えのしない長袖のダンガリーシャツにジーンズで、あやせ
はチャコールグレーのコットンパンツ、白黒の市松模様の長袖ブラウス、それにいつぞや加奈子が出た
メルルのイベントで桐乃の目を欺くために着用したキャスケットを目深に被っている。

「済まねぇ。ちょっと遅れちまったみたいだな」

「いや、今がちょうど九時だ。こいつに急かされて、俺たちはだいぶ早く着いちまったのさ……」

 陶山は自分の腕時計をチラ見してから、相方の川原さんに向けて顎をしゃくった。
 その川原さんは、喜色満面で、時折、「うほほぉ〜〜い!」とか訳の分からないことを口走っている。
 こりゃ、桐乃以上にヤバイかも知れねぇ。
 あやせはハイテンションな川原さんを警戒してか、俺の後ろの方で緊張して縮こまっていた。

「もう分かるよな? あのお姉さんが川原さん、で、眼鏡を掛けているのが、川原さんの同級生で陶山だ」

「よろしくぅ〜〜〜。川原瑛美でぇ〜〜す」

「俺は陶山亮一。高坂とはいつも一緒に昼飯を食う仲なんだ。今日はよろしく……」

 陶山は警戒しているあやせを気遣っているのか、できるだけさりげなく振る舞うように心掛けていること
が何となく分かった。
 本人が『気遣いの陶山』を自認していたが、俺も、たしかにそうだと思うな。

「で、その子が、高坂くんの妹さん? どれどどれ……。うっひゃ〜〜〜、かわいい〜〜〜」

 気遣いの陶山に対して、川原さんは自分の欲望に忠実なタイプらしい。ずぃ! とばかりにあやせの前に
歩み寄り、帽子で顔を隠そうとしているあやせを舐め回すようにガン見している。
 相方の陶山が、「おい、大概にしろ……」という小言とともに、カーディガンの裾を引っ張ったが、当の
川原さんはお構いなしだ。

「は、初めまして、こ、高坂あやせです。あ、あやせって呼んでください……」

 その瞬間、川原さんが「ん?」と呟き、帽子を目深に被っているあやせの顔を凝視し直した。

「……あ、あやせちゃん?」

「は、はい……、あ、あやせと申します……」

 おずおずと言いかけたあやせも、川原さんと目が合った瞬間、「えっ?!」と短く叫んで身を強張らせている。

「ど、どうしたんだよ?」

「………………」

 俺の問い掛けにあやせは押し黙ったままだ。

 陶山は川原さんに、「ひょっとして、知り合いか?」と尋ねている。俺から見てもそんな感じだったよな。
 だが川原さんは、

「知り合いっていうか、何ていうか……。ど、どう説明したらいいのかな……」

 と、言い淀んでいる。俺と陶山は顔を見合わせた。本当に何なんだろうね。
 言い難そうな事情がありそうなところが、かえって気になるよな。だが、それよりも……、

「それはそうと、俺と瑛美は、千葉から来るっていうお前の友人とお前が一緒の時、お前の妹さんの面倒を
見なきゃならん理由を未だ聞いてない……」

 こっちが先決だ。昨夜の電話でも、『会った時に話す』と約束したからな。
 俺は、千葉から来る友人は(沙織は神奈川からだが……)世に言うオタクで、あやせとは趣味が合わない
から一緒にはさせたくないことをまずは手短に話した。

「なるほど……。それで妹さんを隔離する訳か……」

「うん……、できれば隔離したいんだが、こいつは俺と俺の友人が何を話すのかが気になるらしく、目立た
ない様に監視したいそうだ。しかし、あやせ一人だとちょっと不安だから、二人にお目付け役を頼みたいん
だよ」

 言い終えて気付いたが、これってあやせを子供扱いしてるよな。案の定、誇り高き自称俺の妹様は、
膨れっ面で会話に割り込んできた。

「あ、兄は、オタクな連中と付き合っちゃいけないと思います。わ、わたしは兄のことが心配で……」

「“お兄さん”思いなのね」

 すかさず川原さんの突っ込みが入った。
 だが、川原さんは、『お兄さん』の部分をことさら強調したような気がしたが、まぁいいか……。

「おっと、メールが来たか……」

 俺は鳴動している携帯電話の画面を確かめた。沙織からのメールだった。

『京介氏
 本日は宜しくでござる
 しかしながら、待ち合わせの場所を変更致したく候
 中央駅ではなく、中央駅の南口にある喫茶店にて落ち合いましょうぞ
 しからば、御免』

 という文面とともに、店の所在を示すURLが張ってあった。
 しかし、俺は駅の南側には一回も行ったことがないから、沙織が指示した喫茶店にはまるで心当たりがない。

「知ってるか? この店……」

 俺は陶山と川原さんに沙織からのメールを見せた。こういう時に頼りになるのは地元の人間だな。

「ああ、ここね。ものすごくおっきな喫茶店よ。ワンフロアが、うちの大学の学食ぐらいありそうな……」

「そんなにでかいのか……」

 それはかえって好都合だな。あやせが、他の客に紛れて、俺と黒猫と沙織のやりとりを監視し易くなる。

「場所も中央駅のすぐそばだから、地下鉄で行くのがいいだろうな」

 幸先よし……。俺は、 黒猫や沙織とのシビアになりそうな話し合いと、それをあやせが監視するという
厄介なミッションの成功を半ば確信した。これなら、万事うまくいくだろう。
 俺とあやせとの関係修復を除いて……。

 地下鉄に乗って俺たちは移動し、目指す店の前にたどり着いた。

「なるほど。たしかにでかいな……」

 都内にもこれだけの規模の喫茶店は少ないだろう。いや、違うか。東京は、あちこちに喫茶店があるから、
大規模なものはそうそう必要ないんだろうな。
 都内に比べて鄙びたところがあるこの街では、喫茶店の数が少ない代わりに、こうした大規模なもので
カバーしているということか。

「高坂から先に入った方がいいだろうな。そうすれば高坂の友人たちの目は高坂に集中する。その隙に、
俺と瑛美があやせちゃんを後ろに隠して入店するよ」

「だな……。そうしてくれると助かるよ」

 陶山も川原さんも背が高いから、あやせの姿をカムフラージュしてくれるだろう。

 俺は三人に「じゃあ、先に行くぞ」と告げて、自動ドアではない扉を押し開けた。
 店内は思った以上に広く、ざわめいていた。これじゃ黒猫や沙織がどこに居るのかさっぱり分からねぇ。

 だが、店内中央辺りのコンパートメントから、さっと右手を挙げる奴が居た。バンダナに眼鏡姿の沙織
だった。そのコンパートメントは、入り口からは太い柱で一部分が遮られていやがる。これじゃ、沙織が
挙手してくれなかったら分からなかったな。

「やれやれ……」

 これから始まる話し合いのシビアさを思うと気を引き締めなきゃならないんだが、ようやく沙織を見つけ
られたってんで、ちょっと安堵しちまった。油断は禁物だってのによ。

 沙織が居るコンパートメントを遮っている太い柱を回り込むようして歩いていくと、いつもながらのゴス
ロリファッションでキメている黒猫の姿が見えてきた。そして、黒猫の隣りには……、

「な、なんで、お前がここに居る!!」

 オレンジ色のタンクトップの上にダークブラウンのレザーっぽい腰丈よりも短いジャケットを羽織り、
下はマイクロミニスカートにブーツのあいつが、俺の目の前に居やがった。

 そいつは、大きな瞳でぎょろりと俺を睨みつけ、呪いの言葉を肺腑から絞り出した。

「………アンタ。逃げるなんて許さない………」

(以降、『火』(Kwa)に続く)

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最終更新:2011年07月26日 22:19
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