tribalrug @ ウィキ内検索 / 「バールソ」で検索した結果
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Baluch
...ています。タイムリ、バールソなど数え切れない程です。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 お金儲けをあまり良しとしない部族性から一般的には貧しく、政治力も強くは有りませんが、ものを作るセンスは抜群で、一度見たら忘れられないほどの印象をもつ絨毯やキリムがおおいです。バルーチ族の民俗は松井建氏の「遊牧という文化」に詳しく書かれています。 また、芸能も優れており、ロリと呼ばれる職能音楽集団の哀愁を帯びた歌や演奏は心を動かします。 和光大学の村山和之氏はクエッタ大学に留学しブラーフィー語を習得し、この地域の芸能を中心に研究とフィールドワークを重ねていますが、未知の部分がまだまだ残されている希少な地域です。 -
Bahluli (バールリ)
【部支族名】 北東イランからアフガン西部に生活するバルーチ系の一支族(ターイフェ)。古くから緻密で出来の良い絨毯やキリムを織ることで知られている。バルーチ族の祈祷用絨毯などで有名な「ドホタレ=カジィ」裁判官の娘の絨毯の娘の恋人がバールリ族の祈祷師といわれている。 ペルシア結びが多いと欧米の本にはあったが、現地のバルーチ族の修復師に聞いたところ、数多いバルーチ絨毯のなかでこのバールリ族のモノはトルコ結びが使われていると言っていた。 比較的柔らかくしなやかなバルーチ絨毯の中では、しっかりと厚みのある絨毯やキリムを織る部族である。 -
用語集
用語集の使い方 トライバルラグ・キリム・テキスタイルに関係する言葉を集めた用語集です。以下の項目より、気になるキーワードを探して、クリックしてください。 部族名一覧 Afshar Bakhtiyari Baluch Ersari Karakoyunlu Kashkuli Kirghiz Kurd Lur Qashuqai Sachikara Salor Sarikechili ... -
イスファハンのオールドバザール
8.イスファハンのオールドバザール イスファハンにはその後2週間ほど滞在しました。戦禍の中であったためか世界的な観光地のイスファハンに訪れる人はほとんど無く、かの有名な金曜のモスクもいつも独り占めという状況でした。入り口で手足を洗い、口をゆすいで中に入ると大理石のひんやりした感触が足に伝わり壁と天井を埋め尽くすモザイクタイルに目がくらむようです。ドーム型の天井の真下に立ち,軽く手をたたくとその音が共鳴して木霊のように何度も繰り返し、まるで天から渦を巻いた旋律が下りてくる様でした。実際に聞くことは出来ませんでしたが、きっとここで聞く生のアザーンは心を透明にしてくれるのではないだろいうか、そんな想像をかきたてられる特別の場所でした。 幸運なことに、日本でイスファハンに住む親戚がいる方から紹介して頂いた住所を頼りにオールドバザールの絨毯の店を訪ねました。そこでキャリミザデさんという... -
アフシャール
アフシャール 【部族名】 Afsharの項参照 -
Qashuqai
Qashuqai カシュガイ【部族名】 アーマレ・カシュクリ・ダレシュリなどの氏族を含む) トルコ語系遊牧民・・・・ 黒い山羊毛の三角屋根のテント イラン南西部~イラン南部 (主な集積地…シラーズ・アバデ・フィルザバードなど‥) ファルスと呼ばれるこの地域はイラン文明発祥の地ともいわれ、古代アケメネス朝ペルシアの宮殿ペルセポリスをはじめパサルガデなど‥。多くの歴史的遺産を持つ地域です。アーリア系遊牧民にとっては重要な意味を持つ地域です。 楽園(パラダイス)のような庭園や葡萄畑の広がる町シラーズからカシュカイ族の多い町フィルザバード周辺は現在でも、カシュカイ族のテントが見られます。 彼らは、はもともとトルコ系の言葉を話すトルコ語系の遊牧民ですが時間をかけて少しずつ移動を繰り返し現在のファルス地方の落ちつたと言われています。 カシュガイというのはアシャイール(遊牧系部族)名です... -
Bahalu (バーアルゥ)
【部支族名】 イラン南部のハムサ連合(アラブ系遊牧民)のなかの一支族(ターイフェ)。通常はトルコ結びである。 ハムサ連合はカシュガイ族などの有力部族に対抗させるために政治的に組織された連合隊といわれているが、アラブ語系部族・トルコ語系部族などの混合グループである。 -
Aldabil
Ardabil アルダビル 【地名】 アルダビルは ,Safavid 朝(1499-1722)に名前を与えた14世紀のスーフィーの教団長である、Safi ad-Din の埋葬されていた土地である。 最初の支配者シャーIsmail(1457-1524)は長老の孫で墓を彼の墓のすぐ側に建てた。 ロンドンのヴィクトリアアンドアルバート美術館にある、イスラム美術の宝の一つである 『アルダビル・カーペット』、またロサンゼルスのカウンティアートムュジアムにある ロンドンとペア-の『アルダビル・カーペット』はアルダビルのサーフィー長老のモスクから来たと言われている。 この2枚の絨毯については疑いが残っている、その理由はこの絨毯がモスクに敷くには大きすぎるからという事と同時に、一枚目が1893年にヴィクトリアアンドアルバート美術館に売られた時、2枚目の方を金目当ての陰謀と隠匿が取り囲んだことも... -
当時のイラン
5.当時のイラン そんな訳で、日本の文化に親しみを抱いている人に大勢出会いました。当時イランで最も有名な日本人のは女ではオシン、男ではユウゾウだったと思います。厳しい環境の中でひたすら耐えつづける、けな気な小女の姿は当時のイランの状況とオーバーラップして 多くの人の心に訴えかけたことでしょう。 戦争が終わり、落ち着きを取り戻したイランから連日大挙してイラン人が来日して、社会問題になりましたが、バブル期の高収入とビザなしで入国できたという事実は大きいですが、大好きな「おしん」の住む国、日本に大いなる憬れを抱いてきた人々も少なくはなかったと思います。 しかし、現実はジュリアナ東京などの絶世期、ギラギラ、イケイケの日本の現実にさぞかし驚いたことでしょう。しかしそこはしなやかでしたたかなイラン人、あっという間に日本に溶け込んでいったのではないでしょうか。もちろん敬虔なイ... -
出会いの旅 その3 (憧れのマシャドへ)
山を越えるとカーキ色の大地が広がり、ホラサーン州の州都マシャドはもう直ぐです。外国からの巡礼者達の多い夏休みなどは、敬虔なイスラム教徒の人々でごった返しています。 最初の頃は黒ずくめの女性達に、違和感を覚えましたが回を重ねるごとにそれもここならではの、風景と思えるようになりました。 初めてここを訪れた時は印象的でした。兼ねてから憬れていたホラサーン地方、アフガニスタンに入国が難しい最近では、ここマシャドが最大絨毯の集積地でもあるからです.特に好きなバルーチ族とトルクマン族そしてグーチャンクルド族、運がよければヘラートからアフガンの古い絨毯が流れてくることも期待できます。そんな訳でいっぱいに期待を膨らませて飛行機のタラップを降りたのです。 確か、夕方に近い午後でした。 穏やかの青い空が広がる飛行場の建物のバックに現れた、白い雲。そのかたちがまるでヤマタノオロチのように8つに分かれ、白... -
マシャドへの旅
タブリーズからマシャドへ向かう 翌日はうって変わっての晴天でした。朝一番にホテルでタクシーを呼んで貰い、再び昨日行ったキャンドバーンへ向かっていました。雪の翌日の突き抜けるようなイランの青い空は、言葉にし難く、こんな色を知っている人たちの色彩感覚がただ羨ましく感じました。 その日の午後には、次の移動地マシャドへ向かう予定でしたが、ぎりぎりまでキャンドバーンで過ごしました。腎臓に効くという湧き水が美味しく、ハードな旅の続いた仕入れの中でとても癒されたひと時でした。 水の出てくる場所は可愛しい、きのこ形をしていていかにも体によさそうです。このあたりにもイランの人のユーモアセンスを感じさせます。 近くでは地元で取れた蜂の巣や、杏やスモモのドライフルーツそして、作りたてのチーズやヨーグルトなど‥を売っていていました。 まさに桃源郷のようなキャンドバーンから、次はイスラム教シーア派の... -
プラグイン/ニュース
ニュース @wikiのwikiモードでは #news(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するニュース一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_174_ja.html たとえば、#news(wiki)と入力すると以下のように表示されます。 ドラゴンクエストけしケシ攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) 「Wiki」創設者のPC 競売に - auone.jp 真女神転生5攻略Wiki|メガテン5 - AppMedia(アップメディア) メトロイド ドレッド攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) Among Us攻略Wiki【アマングアス・アモングアス】 - Gamerch(ゲーマチ) 【ウマ娘】チャンピオンズミーティングの攻略まとめ - Gam... -
Balikesir (バリケシール)
【地名】 北西アナトリアの町。ボーダーがなく赤の強烈な色が特徴のユンジュやカラケチリ族などの遊牧民のキリムの集まるところで最近はユンジュデザインなどを織っている。 過去に織られたキリムには奥深い赤を基調した、コレクターに評価の高いキリムを多く生み出してきた。 -
Karapinar(カラピナール)
トルコ語で黒い春という意味。 中央アナトリア南部の村で、トルコの村で織られるコテージラグを代表する絨毯。首都コンヤに集まることからコンヤ絨毯としてもしられるが、黄色や赤、ブルーなどの鮮やかな色彩の絨毯は世界的にも評価が高い。アメリカ人コレクターアレキサンダーコレクションが有名。 細長いサイズでコーカサス絨毯に似た幾何学文様が多い。 -
祇園祭りと絨毯
祇園祭りと絨毯 ≪月鉾 巡行≫ 写真 HALIマガシンより引用 祇園祭りの縣装品にかなり古い絨毯が飾られているという事を知ったのは15年ほど前のことです。 最初で最後かもしれない規模の絨毯展が大阪の民族学博物館で行なわれました。 アルダビルカーペットやペッゾーリの狩猟文絨毯など‥、現存では世界最高レベルの絨毯が数多く並んだ、信じられない展示会でした。 この中で負けず劣らない絨毯が、この祇園祭の山鉾に掛けられた縣装品としての古渡り絨毯でした。それらは、ムガール時代のインド産やペルシア最盛期の逸品といわれる通称ポロネーズ絨毯などで、世界でも数点しか残っていない貴重なものばかりでした。 ≪月鉾 17世紀 ムガール絨毯 前掛≫ この絨毯が海外の研究者などにも、最も高く評価された月鉾の前飾りのムガール朝時代に織られたと 思われる絨毯です。これ以外にも油... -
ソフレ
ソフレ ソフレとは 主に食事の際に使用する毛織物の総称。 汚れがつかないように、撥水性の高いラクダ毛や黒羊毛がフィールドに使われることが多い。 ソフレの種類 食卓用敷物 ダイニングソフレ(細長く中央は無地が多い) イラン北東部のホラサーンクルドやバルーチ族、アフシャール族に多く見られる。 アフガニスタン西部では黒羊毛ベースのものが多くダスタルハーンと呼ばれる。 ナン包み用 ソフレーイェーアド(正方形で房の無いもの) 主食のナンが冷めたり乾いたりしないための保温保湿用布。 イラン南部アフシャール族、西部バルーチ族のものが多い。時にはこの上でナンを捏ねることもある。 イラン中央部イスファハン均衡のカモ村で織られるナンソフレが面白く人気が高い。 -コタツ掛用 ソフレーイェールコルシ(正方形) 西・中央アジアの寒い地域では日本と同様な炬燵があ... -
アルメニア人の男
6.アルメニア人の男 美術学校で知り合った友達と一緒に映画を見に行きました、内容はよく覚えていませんが、父と子の葛藤を描いた地味な映画のような気がします。一緒に行ったアルメニア人の男が、親切に耳元で英語で通訳してくれたのですが、それが他のお客さんの迷惑にならないかと、気が気でなかったことのほうが記憶にあります。 名前を忘れてしまったのですが、彼はとても親切でその後もペルシアの伝統的な楽器サントゥールの演奏も聞かせてくれました。初めて目にし耳にしたその楽器は、幅の極めて狭い鉄琴のような楽器で、親指とひとさし指で支えた細いバチで、金属製の鍵盤を叩いて音を出す楽器です。ピアノのような流れるメロディを叩く強弱でリズムを刻む技はとても美しく、指の細かな動かし方で音量やテンポが微妙に変化します。韻を含んだペルシア音楽にはなくてはならない楽器だと思いました。それにあわせて歌も歌ってくれ... -
バクティアリ
バクティアリ Bakhtiyariの項参照【部族名】(バフティヤリ) http //jutanya.com/guide-buzoku-persian.html ールなど。 【部支族名】 イスファハンの南西、イラン西部に住む人々。 低地のアフワーズと中央ザクロス山脈の間を遊牧する、南イランの遊牧民グループ。大ルル族の中の一支族であり正式にはバフティヤール・ルルに分けられる。ルルと共通して南西ペルシア語系ルル語の方言話す。 4000メートル級のザクロス山脈の山越えする過酷な移動をする事も有名で、遊牧民のなかの遊牧民と称えられる事もある。 また、バフティヤール族は他の部族と違い男性が独特な衣装を着ていることでも知られている。 一部はシャハル・コルド周辺の東部の山間の広い地域と数多くの村村に半定住していて、チャハル・ラング族とハフト・ラング族などのチャハルマハルとグループ... -
エッセイ
エッセイ1 「出会いの旅」 by トライブ 榊 龍昭 +... 絨毯屋になる イランへ出発 戦火を逃れてイスファハンへ トルクメンに出会う 当時のイラン アルメニア人の男 異文化の中で イスファハンのオールドバザール 古都イスファハンから聖地ゴムへ 聖地コムから大都会テヘランへ 二度目のイラン~テヘランからマシャド~ マシャドへの旅 エッセイ2 「祇園祭りと絨毯」 by トライブ 榊 龍昭 祇園祭りと絨毯を読む -
トルクメンに出会う
4.トルクメンに出会う かれはモタギーという名前で、出身はイラン東北地方のゴンバデ・カブースというトルクメン族の町から来ていて、ここイスファハンの美術学校でペルシア語の書道(カリグラフィー)を勉強しているとの事でした。私が日本から一人来ていたことに興味を持ったのか、翌日は彼の通う美術学校へ案内してくれと約束しました。 美術学校はイスファハンの中心にある、かつての王の広場に建つ王の宮殿(アリ・カプ)の直ぐ裏手にあり伝統芸術を学ぶには最高の環境でした。500年を超えるモスクなどの建物に囲まれた小さな学校には、イラン各地から集まった美大生達がいて、モタギー氏の親友のアルメニア系の人懐っこい男や、ラジオの海賊放送で覚えたという流暢な英語をはなすクールなシュールレアリストなどの若者達から、多くの質問を受けました。 海外の情報に飢えていた彼らとは、当時の戦争と国際政治の有り... -
Ersari
Ersari エルサリ 【部族名】 エルサリに関連するアイテムを画像で見る もしくは Arsari (アラサリ);大きなトルクメン族集団で、アフガニスタンの北西部のアムダリア渓谷沿いに分布して、農業や牧畜に従事している。400年ほど前に定住も始めたが、アフガニスタン側のエルサリは1970年代までテント生活をしていた。大きな部族移動は1920年代に起きた。アムダリアのエルサリが作る物は様々である。自分達のテント用の物も作れば、市場向けの明らかに都市的な性格なものも作ってきた。 By Jon Thompson 「Carpet Mgic」より引用 エルサリについての追加: 2007年にイスタンブールで行われたICOC(国際絨毯会議)11回目の発表によれば、これまでは「エルサリ」支族のと関連が深いとされていたエルサリ=ベシールについての新たな発表があった。 内容は『川... -
用語集の書き方
用語集の書き方 baluch 用語集への書込みに当たっては、以下のポイントをお忘れなく。 各項目のタイトル(ページ名も同様)はアルファベット表記できるものは、アルファベットにし、本文を記述してください。 例 Baluch 日本語表記しかできないものについては、日本語でタイトルをつけてください。 アルファベット表記したもののうち、日本語で表記できるものについては、 先頭行に続いて、日本語名を記載してください。その際、日本語にもリンクを貼って下さい。 例 バローチ 日本語表記のページには、必ず本文を記載したアルファベット表記へのリンクを貼り、そのページには、「●●●のページを参照」としてください。 タグ付け 本文編集ウィンドウの欄外下部にあるタグには、 用語集の見出し”部族名”や”技法”などのタグを必ずお付け下さい。このタグ付けにより、用語集の見出しに、新たに... -
二度目のイラン~テヘランからマシャド~
11.二度目のイラン ~テヘランからマシャド~ その後のイランは、戦闘が激しくなり日本大使館にも帰還勧告が出たらしく、イラン在中の商社マンや大使館の外交官と帰りの飛行機が一緒でした。 帰国してからしばらくして、イランvsイラク戦争が終結を迎えました。 その後しばらくは、強烈なイランの印象が残り時々思い出しては、よくあのような状況で旅が出来たと、親切にしてくれたイランの人々のふところの深さに、感謝することが多かったと記憶しています。情勢がよくなったら、とくに世話になったトルクメン人のモタギー氏の出身地のイラン東北地方に行ってみたいという気持ちが強くなっていきました。 (写真0281ゴンバデカブース) ゴンバッデカブースやゴルガンなどのトルクメン族の多い町は、イランの東北地方にありホラサーン州という歴史のある地域です。かつてはアフガニスタンのヘラートがホラサーン... -
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tribalrugの@wikiへようこそ このサイトは、トライバルラグ・キリム・アンティークテキスタイルの専門店 triBeの編纂による用語集と特集記事を掲載しています。 トライブのブログインデックス 注目すべき人々との出会い。 不思議の国のバルーチ「Rugs of wandering baluchi」 絨毯関連の本 趣味と価値 脇村儀太郎 Bread Salt 2. 用語集の使い方トライバルラグ・キリム・テキスタイルに関係する言葉を集めた用語集です。以下の項目より、気になるキーワードを探して、クリックしてください。 部族名一覧 民族名一覧 地名Aydin (アイディン) Azerbijan(アゼルバイジャン) Balikesir (バリケシール) Karapalpak(カラカルパク Karapinar(カラピナール) Kashan(カシャーン) Kashugar(... -
絨毯屋になる
1. 絨毯屋になる。 1988年3月初めての仕入れの旅でした。ふとした事でパキスタンの絨毯商と知り合い、若気の至りか1年勤めたダンボールの製作会社を辞め大学時代の友達と絨毯の仕事を始めて2年がすぎたころでした。軽い気持ち出始めたことだったせいか、ともだちとは仲たがいしてしまい、パキスタン人から預かった絨毯を的屋のように、貸し店を転々と廻りながらその日暮しの毎日でした。それでも何とかやっていけたのは、まさにバブル期の真っ只中だったからでしょう。デパートなどでも本店だけにもったいぶって飾ってあった時代です。 ペルシア絨毯パキスタン製などと宣伝しても誰も分からなかった頃で、道端の店などでは何故そんなに高いのか怒られることもしばしばでした。それでもデパートなどに比べると三分の一くらいの値段でしたから,玄関マットなどは良く売れました。 その時一番人気だったのが深紅の地色に8... -
聖地コムから大都会テヘランへ
10.聖地コムから大都会テヘランへ テヘランは西アジアの中では最大級の都会です。革命前は知りませんがそのころを知る人は洗練された町並とお洒落な人達が溢れていたそうです。イラクとの消耗戦で疲弊した当時のテヘランはそんな華やかさはほとんど感じられず、疲れた空気が漂っていました。 4000メートル級のエルブルズ山脈を北に望む町は南北に高低差があり、北のアップタウンと南のダウンタウンに分かれています。北側は高級住宅地や大使館なのも多く、東京の山の手という感じ南はバザール、鉄道駅バスターミナルなどのあるいわゆる下町的地域になっています。南側からテヘランに入ると絨毯などの洗い場としても有名な泉のあるレイを過ぎるころから大きな建物が並びその大都会ぶりがわかってきます。同時にこの町を支えるエネルギーを感じます。 キャリミザデさんが懇意にしている絨毯クリーニング工房もこのテヘラン南部に... -
Afshar
Afshar アフシャール 【部族名】 アフシャールに関連するアイテムを画像で見る Avsharとも書く。 トルコ語を話す遊牧(一部は定住)グループで、一部はケルマン西南の山間を夏の放牧するイラン南部に住む部族である。 素晴らしいパイルとパイルのないラグを織りSaidahad(シルジャン)とShahar-babakとその周辺を集積地としている。ホラサーンとイラン北西、トルコにも小さめのグループがいる。 トルコでは19世紀の旅行者が、遊牧民はだれをアブシャールと呼んた風潮があったので、混乱を招いたむきもある。 by Jon Thompson (主な集積地…二リーズ・シルジャン・ラフサンジャンなど) トルコ語を話す部族のなかでは歴史も古く最も南東の地域で遊牧を続けています。 テリトリーの周辺にはペルシア絨毯で有名なケルマン地方があり、その特徴は鮮やかではっきり... -
Bakhtiyari
Bakhtiyari バクティアリ 【部族名】 バフティヤリに関連するアイテムを画像で見る 低地のアフワーズと中央ザクロス山脈の間を遊牧する、南イランの遊牧民グループ。ロル族と共通して言語学的に古いペルシア語を話す。 また、チャハル・マールとしても知られていて,シャハル・コルド周辺の東部の山間の広い地域と数多くの村村に移住している。 By Jon Thompson (carpet Magic)からの引用 バフティヤリー族は大ルル族の中のひとつの支族、という位置づけにありますが時に300キロをえる山越えの想像を絶する大移動をすることで知られています。 生まれたばかりの子羊やラバ、牛、馬などを連れ、雪解け水で増水した川を何本も越え4000メートルを超えるザクロス山脈の峰を越えて牧草を目指す旅はドラマです。 1924年に撮影されたモノクロのドキュメンタリー無声映画... -
Jamshidi(ジャムシディ)
北西アフガニスタンの遊牧民連合チャハール・アイマク(四つの遊牧民)グループの一部族集団。最近では商業的なバルーチデザインの絨毯を織ることもあるが、かつてはイラン系の手仕事のパトロンでもあり支配者としての時代もあった。 -
異文化の中で
7.異文化の中で イスファハンにはジョルファ地区と言うアルメニア人の住む地域があります。ザーヤンデ川を越えた川向こうにありますが、そこを訪れたことがありました。ペルシア最盛期のサファビ朝の中でも最も建築や美術工芸品に力をそそいだと言われている、シャーアッバスの時代に器用で絨毯作りにも伝統のあるアルメニア人をコーカサスあたりから呼び寄せて、絨毯や様々な工芸品作りに従事させたといわれています。 しかし、彼らの多くはキリスト教の信者です。イスラム教がほとんどを占めるこの地域で、暮らしていくのは決して楽ではなかったと思います。最も印象に残っているんは、寂れた地域にあったキリスト教会のとその当時の資料室にあった、顔を消されたキリストの絵や隠れキリシタンのように大事にされたであろう聖書などでした。 歴史的にもそしてたった今でも宗教に関する争いや対立が絶えません。とくにこうし... -
Kashan(カシャーン)
イラン中部の歴史的な町。タイル、テキスタイル、絨毯など伝統的な手仕事で有名な古都。イランの一般家庭で使われている絨毯の多くはこのカシャーン産絨毯デザインが非常に多く、縦に長いカシャーンメダリオンがペルシア絨毯では最もポピュラーといえるのではないだろうか?赤いフィールドのカシャーン絨毯はペルシア絨毯の代表作だろう。 -
サドルバック
サドルバック ・・・ホールジンもしくホーリジン。トルコ語ではヘイベと呼ばれる。(鞍掛袋) 主にロバなどの動物の背にかけて両側に振り分けて荷物を入れ袋。 ほとんどの部族が使用する遊牧形部族に欠かせない袋物。 移動時には多くの人の目に触れるので、部族の女性達は思い入れを込めて織るためか、表現力、技術共にレベルの高い逸品が多い。 サドルバッグの画像はこちらから -
イランへ出発
2 イランへ出発 飛行機は、一番安いアエロフロートでモスクワ経由のフライトでしたが、ソ連時代のモスクワの飛行場とトランジットのホテルは薄暗く広告や宣伝のディスプレイがないせいか、まさに灰色のイメージで、これから向かう戦時中の未知の国を思うと不安感でいっぱいでした。ほとんど眠れない一夜を過ごしてから、朝早く にテヘランに出発しました。 通常であれば5時間ほどのフライトなのですが、その時はテヘランの上空で1時間も旋回を繰り返しなかなか着陸出来ず、言葉もわからず焦りました。後で聞けばイラク軍の攻撃があるかもしれないということだったそうです。実際この頃からイラン側の戦闘状況が悪くなり、イラクのフセイン大統領を太らした欧米の援助でソ連から大量の武器と軍人がイラク側にあったため、ソ連のアエロフロートは攻撃を受けにくいといわれていました。実際にこの頃から、孤立無援のイランはスカッドミサイル... -
Tree of life
”A Tree of Life 生命の樹”【モチーフ】 生命の木に関連するアイテムを画像で見る “生命の樹”は、神話や宗教的シンボルとして世界各地で顕わされ、その存在を確かなものとしてきたようです。 辞書によれば、特定の樹木を生命力の源泉、また豊饒(ほうじょう)・生産の象徴として崇拝する宗教現象。 古代オリエントを中心に、1本の樹木の両側に1頭の動物を描く図像があらわれ、東西に広く伝わった。聖書では、楽園の中央に知恵の樹(善悪を知る樹)と並んで立つ聖樹。 イラク・ニネヴェ遺跡の石に刻まれたモチーフ。古代オリエント世界に共通する羽根を持つ象徴的イメージはメソポタミア~ペルシア世界によく見られます。 この“生命の樹”のモチーフも世界中の手仕事のなかに取り入れられて来たことは良く知られています。 絨毯やキリム文様にもたくさんの“生命の樹”が取... -
戦火を逃れてイスファハンへ
3.戦火を逃れてイスファハンへ イスファハンは古くからの有名なモスクも多く、ミサイル攻撃も少ないと聞かされていうたからです。 ペルシア帝国最盛期サファビ朝時代に都があったこの地は「世界の半分」と詩われ、かつては多くのツーリストたちで賑わっていたところです。 しかし、この時ばかりははかの有名な王(シャー)のモスクも人の姿は見えず、絨毯、更紗、金属工芸などの工房が並ぶシャーの広場もひっそりとしていました。 ここ、イスファハンは西アジアのオアシス都市の中でも、ことに美しい町並みで知られるところで,町なかを流れるザーヤンデ川の水は清く流れ、美しいタイルで飾られた2本の橋は市民や旅人の心を癒す憩いの場所になっています。 橋の袂にあるチャイハネへむかう途中にある、すずかけの並木道を歩いている時でした。 前から歩いてくる若者、声を掛けてきました。立ち止まると、手にもってい... -
ホラサーン
『日の出ずる処』という意味を持つホラサーン地方は豊穣の土地として知られています。 現在のイラン東北部からアフガニスタン西部そしてトルクメニスタン南西部がホラサーン地方です。メロンや西瓜、葡萄などの果物やトルコ石、メノウ、カーネリアンなどの天然石、そして絨毯やキリムに使われるこしがあって艶やかな羊毛や、水を弾き暖かいラクダ毛などの、毛織物の素材など様々な自然の恵みを受けた地域です。 フェルドシィーなどの多くの詩人を輩出し、多くの物語や詩に詠われた地域でもあります。『ホラサーンは貝の牡蠣のように豊穣だ、そしてヘラートは真珠のように美しい。』 現在の州都はマシャドがですが、かつてはアフガニスタンのヘラートが中心でした。ヘラートは,東西文化が交流した洗練された街として様々な文化を育んできました。 現在も多くの絨毯に取り入れられている http //caffetribe.exblog.jp... -
古都イスファハンから聖地ゴムへ
9.古都イスファハンから聖地ゴムへ これまたラッキーでしたが、しばらく滞在する間に、彼がテヘランへ行くことになりその車に同乗させてもらえる事になったのです。イスファハンからテヘランは600キロほど、来た時に機上から見えた土漠地帯を今度は車で通って行くのです。舗装状態の良くない道を彼のピックアップトラックは100キロ以上でぶっ飛ばします。2車線の狭い道路を大型トラックがノンブレーキで行き違い、傍らには仰向けになった車が化石のように 転がっていました。最初はひやひやしましたが、そのうちに適度な揺れがもたらすのか激しい眠気が襲って きました。運転している彼に申し訳なく、かなり我慢していたのですが、ついついうとうとしてしまいました。 夢心地で、昔のキャラバンの絨毯商たちもラクダの背に揺られ砂漠の中を何日も何日もかけて旅したのだろうなどと想像していると、分かれ道の傍らにロバを連れた... - @wiki全体から「バールソ」で調べる