231年
太和五年(魏)
皇帝
曹叡(魏)
皇后
毛氏(明悼毛皇后・河內人)
三公
太傅:(空位)
太尉:華歆(前司徒)→(死亡)
司徒:(空位)
司空:陳群(前鎮軍大將軍)
司徒:(空位)
司空:陳群(前鎮軍大將軍)
九卿
その他の要職
大司馬:曹真(前大將軍)→(死亡)
大将軍:司馬懿(前驃騎將軍)
驃騎大將軍:→
車騎將軍:公孫淵(遼東太守)
大将軍:司馬懿(前驃騎將軍)
驃騎大將軍:→
車騎將軍:公孫淵(遼東太守)
地方官
主な事件
- 五年春正月、帝は籍田を耕す《三国志魏書明帝紀》
- 三月、大司馬の曹真が薨ず。諸葛亮が天水を攻め、大将軍の司馬懿に詔して拒む《三国志魏書明帝紀》
- 去年の冬十月から三月まで雨が降らず《三国志魏書明帝紀》
- 三月辛巳、大雩《三国志魏書明帝紀》
- 夏四月、鮮卑附義王の軻比能は其種人及び丁零大人兒禪を率いて幽州に現れ名馬を貢献する。護匈奴中郎將を復す《三国志魏書明帝紀》
- 秋七月丙子、諸葛亮は退走する。封爵增位が各々格差があった《三国志魏書明帝紀》初め諸葛亮が攻めて来た時、論者は輜重が無く軍糧が必ず不足するので自滅するだろう。無為に兵を疲労させるだけだ。或いは、上邽郡の左右の麦を奪うだろうと言った。しかし帝は皆従わず、前後に分けて司馬懿の兵を増員した。また詔勅によって麦を守らせ、司馬懿は諸葛亮と対峙した《三国志魏書明帝紀に引く魏書》
- 七月乙酉、皇子曹殷が生まれる。大赦《三国志魏書明帝紀》
- 八月,詔して「古者諸侯朝聘,所以敦睦親親協和萬國也.先帝著令,不欲使諸王在京都者,謂幼主在位,母后攝政,防微以漸,關諸盛衰也.朕惟不見諸王十有二載,悠悠之懷,能不興思!其令諸王及宗室公侯各將適子一人朝.後有少主、母后在宮者,自如先帝令,申明著于令《三国志魏書明帝紀》
- 冬十一月乙酉、月が軒轅大星を犯す《三国志魏書明帝紀》
- 十一月戊戌晦、日蝕があった《三国志魏書明帝紀》
- 十二月甲辰、月が鎮星を犯す《三国志魏書明帝紀》
- 十二月戊午、太尉の華歆が薨ず《三国志魏書明帝紀》
誕生者
死没者
- 曹真:大司馬
- 華歆:太尉
- 張郃: