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慧音6

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orz1414

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 神無月も半ば。
 壺中の天地、幻想郷に迷い込んでから丁度季節が一巡した。
 
 
 そろそろ一着だけ持っている厚めの上着が恋しくなって、早めの昼食を済ませた後家に一棹だけある箪笥をひっくり返す。
 しかし出てくるのは夏に着たなりの薄着やら、外へ出向く用のしゃんとしたしわの無い和服。
 終いには下だけしかない学生服が出てきた。
 何処へしまいこんだか、どうやら脳味噌がありかを勝手に消し飛ばしたらしい。


「おい○○、居るか」


 今年は諦めようかとそこらに放りっぱなしの服を畳み始めた時、戸を引いた音と共に朝にも聞いた声が玄関先から居間へ届いてきた。
 声の元へ向かうと少しへんちくりんな帽子を被っていて銀髪、地は藍色で、胸元には赤いリボンが結ばれた服を着た女性が立っている。


「あれ、慧音さん。何か用ですか?」
「今朝ちょっと言い忘れた事があってな……」


 今朝に何か言い忘れたこの人。……正確には人というか、半獣。
 名前は上白沢 慧音と言って何かとよくしてもらっており、頭が上がらない。
 特に自分が里でも隅の方にあるこの空き家に住めるよう都合を合わせてくれたことには、感謝してもし足りない。
 その恩もあって今は時々慧音さんが教鞭を執る寺子屋の手伝いをさせてもらっている。


「今日はまた人手が欲しくてな、もし手が空いているなら……」
「わかりました、準備もありますから先に寺子屋の方に戻っていてください」
「あー、私も手伝おうか? ○○」


 少し脇を見てから心配そうに慧音さんが眼鏡をかけている自分の顔を覗きこんだ。
 凛々しい顔と澄んだ瞳がとても魅力的で、もう何度も会っているのに未だ緊張する。


「いえ、それよりそろそろ子供達も来る時間でしょうし」
「……そうか、じゃあなるべく早く来てくれ」


 慧音さんが玄関から出たのを見送った後、さて身支度と洗面所で色々整えて居間に戻る。
 そして無造作に放りだされたままの惨状を見てから、覗き込まれた意味を履き違えた自分が少し恥ずかしくなった。










「すみません、慧音さん」
「いや、もう過ぎたことだ」


 とぼとぼ帰路につく慧音さんの顔はいつもの凛々しい表情に戻っていた。
 帰り道があまり変わらない自分と慧音さんは、他愛も無いことを話しながら途中で分かれて……
 というのが手伝いのあった日の常であり、今は楽しみでもある。


「まったく、マセた子の扱いには困る」
「たまにいるんですよねぇ。あることないことばかり言う子」
「○○もへらへらと笑っていないで否定してくれ、あれではまるで……」
「すみません、口下手なもので」


 ――事は一刻ほど前に遡る。
 慧音さんが期限を明後日に設けた宿題を三枚ほど出したときだったか。
 自分の下に一人の生徒さんがやって来て「慧音先生と仲がいいなら説得して宿題を減らして欲しい」と懇願してきたのだ。
 当然それは出来ないと言ったし、慧音さんも自分の為にならないと強く否定した。
 
 
 しかしどうやらその生徒さんは昼頃に慧音さんが自分の家に来ていたのを見ていたらしい。
 「あれってつまり、そういう関係ってことじゃん!!」と教室の他の子全員に言いふらしてしまったのだ。
 慧音さんの顔を真っ赤にした必死の弁解も糠に釘で、結局生徒さん全員を帰らせるまでに宿題が二枚に、という事態にまで陥り――


 いつの間にか目前に慧音さんの家が迫ってきていた。
 一層冷たい風が庭先の立派なイヌマキの木や自分の背中を押すと急に鳥肌が立ってきて、まだ片付けていない服のことが思い出される。
 

「じゃあ、僕はこれで。また何かあったら」
「ああ、また……あ、その、待ってくれ」


 何ですか、と慧音さんの方を振り返るとまた顔が赤色に戻っていた。


「今晩はその、寒いし、一緒に、鍋でも食べないか?」


 俯き加減の林檎顔で自分にそう言ってきた慧音さんがいつもとは違う。
 可愛いかかっこいいか、と言われると理知的でクールというイメージを慧音さんに対して常に持っていた。
 が、この慧音さんには可憐とかそういう言葉の響きがよく似合っている。


 嫌か、とさらに追い討ちをかけてきたが、もちろんふいになどするはずも無く。


「じゃあ、まだ家の片づけが残っているんで、それが済んだら」
「やはり手伝ったほうがいいか? アレ」
「いえ、服ぐらいで慧音さんの手を煩わせるわけには。それに夕食の準備もあるでしょうから」


 別れ際の一瞬、視界にこちらを見て穏やかな笑みを浮かべる慧音さんが映りこんだ。











 ようやく服を全て箪笥にしまいこみ、ついでにと掃除も終わらせた頃には逢魔が時を少し過ぎていた。
 帰り道の誘いに乗っていた自分は慧音さんの家にあがらせてもらい、食卓のある部屋へと連れられる。
 すでに卓の中心には鍋、その横に茶碗と小さな器がそれぞれ二つ、箸が二膳。そしてポン酢。
 鍋の中には骨のついた鶏肉、キャベツ、シメジ、エノキ、星型に切られた人参が少々……と、今宵は水炊きらしい。


「遅かったな。もう冷めてしまいそうだぞ」
「すみません。あ、これ少ないですけど、具に付け足してください」
「悪いな、気を使わせてもらって……○○も大変だろう?」
「でも、食べさせて貰うだけっていうのは何だか気が進まなくて」
「律儀だな、○○は」
「慧音さん……」

 
 一瞬変な間が開いたが、自分の腹に潜む虫の催促の音がそれを閉じてしまった。
 さあ座ってくれ、と微笑みながら慧音さんは自分の背中を押し、自分とは九十度の間隔を取り、敷いていた座布団に座る。
 慧音さんが手を合わせたのを合図に自分も手を合わせ……


                              
  
                             
               「「いただきます」」





 後片付けの手伝いをした後、久しぶりの満腹に眠気が起きだしたのか。
 気づいたころには庭先からの月明かりだけが部屋を照らし、自分は円卓に突っ伏していた。
 背中の外側には厚めの毛布、内側には探していたあの上着が乗っかっている。


 ふと縁側を見やると藍色の服と銀髪が淡い光に照らし出された後姿が座っていた。
 文学とかいった物にはほとほと縁の無い自分では、陳腐な言葉しか浮かばないのがもどかしい。


「慧音……さん?」
「ああ、起きたか」
「どうやら眠っていたみたいで……」
「あんまり熟睡していたようだから、起こすのは気が引けてな」


 慧音さんに振り向かれたまま右手でぽんとこちらに来るよう促されたので、誘われるようにして腰を下ろした。
 そのまましばらく互いに一言も交わさずただじっと青暗い空に見ていて、そのまま動かない。


 あのイヌマキの枝々の間から明け透けにこちらを覗き込む立待月を、自分もまた覗きかえした。
 西への傾き加減から見て、おおよそ今の時刻は丑三つ時から大体半刻過ぎたくらいだろうか。


「綺麗、ですね。ここの星は」
「向こうはそうでもないのか」
「自分の元いたところは街の近くで、夜も昼も関係無しですよ。
 その街明かり自体を楽しむ、という趣向まであるくらいですから。『百万ドルの夜景』とか」


 慧音さんはこちら側に顔を少し傾けたまま、黙って自分の話を聞いていた。


「だから、こんなにもはっきり星が見えるなんて……」
「意外に○○はロマンチストなんだな。あまりそういう顔には見えないが」
「はあ、顔に似合わないですみません」
「冗談だ、冗談」


 見るには外の世界でも苦にならない冬の三角形やオリオン座はもちろんのこと、冬の六角形や一角獣座もそうだ。
 どの星座も外とは比べものにならない程はっきりと見えて、改めて本来の夜暗というものを感じれる。
 また、縁側に寝そべりながら眺めるとその他多数の名も無き星が、夜空の輝かしさをより一層盛り立てているのもわかる。


「慧音さんはまだ寝ないんですか」
「ん、ちょっと寝つけなくてな。それに明日、寺子屋は……いや、今日はないからな」


 薄れ行く意識の中、その後の慧音さんの言葉には生返事だけをずっと繰り返した。











 最初に感じたのは、妙な暖かさ。
 特に顔の左半分がそうで、それと一緒に弾力性のあるどこか懐かしい感触が頭を支えているらしかった。
 反対に右半分には……手?


「起きたか」


 母性を感じさせるような柔らかい声が真上から落とされて、一瞬で自分の置かれた状況を把握した。


「あの、慧音さ」
「いい。そのままじっとしていろ」


 慧音さんの小さくしなやかな右手が頬を撫でる。
 時々手を翻して甲で撫でたり、髪の毛を指で梳いたりとまるで人形の様に扱われている感がある。
 ……心地良いことには、変わりないのだが。
 
 
 ふと探していた上着が何故この家にあったのか、という疑問が浮かんだのと同時に慧音さんが口を開いた。


「○○、あの服を探していたんじゃないのか?」
「……どうしてそれを?」
「お前が私の家に二度目に来た時だったか、『お願いします』と言って私に預けただろう。もう忘れたのか」


 ああ、そうだった。
 慧音さんが偶然上着のほつれを見つけて、直したら返してやると言っていたのを。
 自分はあまり気にしなかったのでどうでもよかったのだが、慧音さんがみっともないと言って聞かなかったのを覚えている。
 もう半年くらい前の話だろうか……。


「でも直したら返してやるって言っていましたよね。そんなに時間がかかったんですか」
「別に直すのに時間がかかったわけでは……」


 慧音さんも忘れていたでしょ、と出任せのつもりが、無言で頬を抓り上げられた。痛い。





「なあ、○○」


 なんですか……


「これからも、寺子屋を手伝ってくれるか」


 へぁ……


「これからも、晩飯を食べに来ないか」


 うぃ……


「……一緒に、ならないか」


 はぃ……って


「えええぇぇぇっ!?」


 「お前、今まで真面目答えていなかっただろう」と今度はこちらが隙を突かれ、一気に覚醒状態へと引き戻されて跳ね起きた。


 それは、そういう意味ですか、と聞くに右手で紅葉でもくれるかと思ったが、例の林檎顔の額で鼻がさいた。色は言わずもがな。
 それでは本来的な意味ですか、と聞くに一人者でいるよりも私と一緒では駄目か、と問いを問いで返されて……。


 自分には、最初から迷う術がなかった。











「○○せんせい、さようならー」
「今日の宿題は忘れずにね」
「はぁーい」


 今日の寺子屋は誰一人寝ずに終え、慧音さんも満足顔が隠しきれていなかった。
 だが手伝いに来ているだけで、今でも自分のような者が先生と呼ばれるのは釈然としない。
 これならもっとまともに勉強して……いや、それならこの世界には来ていないし、慧音さんとも……か。


 生徒さん達を見送ってから教室に戻ると、入ってすぐ右手の机の下に一枚だけ墨のついた紙が落ちていた。
 大きさや内容からして多分一昨日に出した宿題だろう。
 子供ながらなかなか達者な字で、答えもすべて合っている。


「慧音さん、コレ、誰かが落としたままでしたよ」
「ああ、一枚だけ見つからないと思ったら……。ありがとう」


 奥の部屋の机に座っていた慧音さんの横には、すでに採点済みの用紙が置かれてあった。
 渡した紙を見てから「これは採点の必要がないな」と聞こえたので、まあ、当たり前だろうと納得していた。
 だが気づいたときには大きなバッテンが書かれ、達者な字は見る影もない。


「ちょ、これ全部正解ですよ!?」
「よく見ろ、○○」


 慧音さんの指が指し示すところには……何もなく。
 はてと思って他の子がやってきた宿題と見比べると、同じ場所には見覚えのある三、四文字程度の字の羅列。
 ああ、これは駄目だな。
 自分にもその経験があって笑うに笑えない。


「こういうものは、ちゃんと書かないとな」
「そうですね」
「ところで婚姻届の準備はしたか? まあこっちにもあるから、何時でもいいが」
「ええ…… え?」


 慧音さんに意味を問いただすよりも早く口を塞がれてしまった。
 左手で腰を、右手で後頭部を、そして口で口を捕らえられた自分には何もできず。
 客観的には数秒くらいかもしれないが、自分にはいくら経ったのかわからなかった。


「……っはぁ、こっちの準備も、できていなかったみたいだな? ○○」
「……いきなり、過ぎますよ」
「嫌、だったか」
「嫌なわけ、ないです」

 
 自然と両手が慧音さんの両肩に置かれ、すべてを感情に任せようと力を加えた。
 その刹那、人生二度目の衝撃を今度は顎にもらい、暫し悶絶。
 今はここまでだ、と慧音さんの要望で婚姻するまでは決して交わらないと約束した。


「……しかし、結婚してからは大変だろうな」
「はい? それはどういう」
「……『律義者の子沢山』という言葉があってだな」
「…………け、慧音さん!」


 この後、契りを結ぶまで散々生徒さんからの執拗なからかいを受けたのは言うに及ばない――


うpろだ1450

───────────────────────────────────────────────────────────

「けーねせんせー」
「ん?なんだ?」
「けーねせんせーってけっこんしないのー?」
「な!?…な、何を言い出すんだいきなり…」
「だってけーねせんせーびじんだしおかしいよ」
「うーむ、それはだなぁ…まぁ色々とあってな…」


……………………………………………………………………………………………

「慧音先生、歴史教えてください!」
「よーし、じゃあ歴史の全てを教えてやろう!」
「やったー!」

「…と、こういうわけで反乱が起きて…」
「せんせー? もう習った範囲は終わったよ…?」
「おっと、済まない」(つい熱中してしまった…)
「先生、歴史と関係無い質問しても良いですか?」
「おおう…? なんだ?」
「先生ってどんな男の人が好きー?」
「…!? 何の脈絡もなしに…」
「どんな人ー?」
「そ、そうだな…ありきたりな答えだが、優しい人、とか…」
「優しい人?」
「ま、まぁ今咄嗟に思いつくのはそのくらいだな…」
「わかったー!じゃあ僕、優しい人になる!」
「…へ?」
「それで将来、先生のお婿さんになるー! 先生を幸せにしてあげるんだー!」
「…そうか…まぁ優しい人になりたいって事は良い事だな…」
「先生、顔真っ赤だよ?」
「そ、そういう事は指摘するなっ!」


―――それから10年後―――


「お、慧音…久しぶりだな…」
「ああ、○○か…また随分と見ない内に大きくなったなぁ、私よりも背が高いじゃないか」
「ま、それだけ時が経ったって事だな…
 しかし慧音、お前は相変わらず…何というか…綺麗、だな…可愛いし」
「むぅ…いきなりそんなこと言われても困るぞ…///」
「いや、やっぱり慧音は何か魅力的だ…何故か惹き付けられる…
 あの頃からそうだ…変わらないな…」
「変わってないと言われるのもなんだか複雑だ…」
(もし俺なんかと一緒になっちまったら…俺は…)なでなで
「な、なでられるような年じゃないぞもう…」
「そう言ってるお前が本当に可愛い」ぎゅーっ
「って抱きつくな! …ったく、仕方無いな…」
「見た感じ慧音の反応は面白い」ぐりぐり
「だ、だからやめるんだ…」
「どんな人と一緒になるんだろう、気がかりだ…」
「私は別に…」
(しかし人間である俺は慧音よりもかなり早くに死んでしまう。
 愛する人を残したまま死ぬのも、愛する人を先に失うのもつらい…
 何故人間の神はこんなにも非情なのだろうか…お陰で慧音に告白しづらいんだよなぁ…)
「ん?どうかしたのか…?」
「…慧音、もし俺が…慧音の事、好きだって言ったら…どうする…?」
「…わかってる、昔からそんな事言ってたのをしっかり覚えているぞ……先生として私も好きだ」
「…だよな、例え俺が本気で愛しt…いや、やめておこう…これで良いんだ…
 あの頃に比べて俺は大人になった。大人になってしまったからこそ、気づいてしまったのさ…
 いずれ俺が先に死んでしまって、愛する人を悲しませてしまうのなら…いっそこのままで…
 …っと、どうやら帰りの乗り物が来たようだ。…じゃあな……まら、会えたら……
 …はぁ、何でもない、ぜ…」
(くそ…こんなにも胸が苦しくて辛いのに、成す術がない…
 でもこれで良かったんだ、これが最善の策なんだ…これで、俺は…)
「あ、ああ…さようなら…またいつか会えるぞ、私はいつでも待ってるぞー」

「…なんで私はあんな事を言ってしまったのだろうか
 どうして私は…
 ……また、会えるよな…
 その時は…
 …私は待ってるからな、○○…」

しかし○○が慧音のもとを訪れる事はもうなかった。
慧音が○○を捜しに行っても、もうどこにもいなかった。


……………………………………………………………………………………………

「…という夢を見たんだ、霊夢」
「そう…」
「これは一体なんだろうな、わかるか? 霊夢」
「うーん…もしかしたら、誰かの歩んだ人生なのかも…」
「誰かの歩んだ人生…? まさか前世…とかな」
「かもしれないわね」
「………」
「………」
「…行って来る」
「…お幸せにね」

俺は人里へ辿り着いた。
ある人物――性格に言うと人ではないが――を捜す為に。
そして見つけた、途端に心臓が激しく脈打った。
「はぁ…最近の子供は一体何を考えているんだ…」
向こうはまだこちらに気づいてない。
全身が、早くしろ、早く声をかけろ、と、訴えかけてくる。
「…昔を、思い出したな…」
過呼吸になりそうで、死にそうだ。
俺は、深呼吸をして少し落ち着かせてから慧音に話しかけ…
「あ…」
慧音は俺が話しかける前にこちらに気づいた。
しばらく流れる沈黙…俺の口が自然と動いた。
「久しぶりだな、慧音」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
慧音はいきなり泣き出した。
俺はあわててかけより、慧音を支える。
「ちょ、慧音!? 大丈夫か…?」
「う…ひっぐ……だ、だいじょうぶじゃない…」
「参ったな…どうしようか…」
「ち、違う!悲しいんじゃないぞ…う、嬉しいんだ…!」
「な…に…?」
「待ってた、ずっと待ってたぞ…!」
―――そうか。
あの夢は本物だ。
俺はつらくて二度と慧音と顔をあわせられなかった。
だから慧音を訪ねる事はできなかった。
しかし、今度は逆に慧音が訪ねてきた。
俺はほぼ反射的に、身を隠して、逃げたんだ。失踪したんだ。

――後悔、したんだ。だからあの夢は俺に知らせてくれた。
次はそんな事ないように、と。
今俺の腕の中にある、暖かくて、簡単に壊れてしまいそうな柔らかい身体は寂しさにずっと耐えてきたんだ。
濃い焦がれた相手がいなくなる、という事を、もう慧音は経験したんだ。
俺が幸せにしてやらなくてどうする、今度はずっと一緒にいてやるんだ。
この身が、朽ちるまでな。

慧音が身をすり寄せながら耳元で呟いてきた。

「会いたかったぞっ…!」


                               ―――――fin.

うpろだ1451

───────────────────────────────────────────────────────────

 時はバレンタイン。
 外界では企業戦略の賜物として広まっているイベントなのだが
 いつのまにやら幻想郷にも浸透しきっていた。
 おそらく原因は言うまでもなく、スキマの妖怪だったり、ブン屋の鴉だったり
 最近幻想郷にやってきた者達の手によるものだろう。

「おうおう、お熱いこって……ケッ」
 里に広がるラブラブいちゃいちゃなムードに辟易しながら、
 俺は店の前で箒を履いていた。
 営業スマイルを浮かべていたのも、ものの数時間だったわけで、
 独り身にとっては今日という日の空気はとても痛いのだった。
「だーっ、止めだ止め。今日は店じまい!」
 自棄糞気味に独り言をのたまうと、まだ昼日中だというにも関わらず、俺は自分の店を閉めた。
 無駄に器用といわれた手先を生かして小間物屋を開いているわけだが、
 どいつもこいつもやってくる客は皆カップルなのである。
 あれが似合うよ、これはどうか、ちょっと派手すぎる、等々、
 甘々な空間を延々と見せ付けられるのはある種の拷問に等しい。

「……はぁ」
 表口に閉店の看板を立てかけたあたりで、盛大にため息をついた。
 こんな俺にだって好きな人くらい、一応いるのだ。
 ただ、まず振り向いてもらえる事は無いと諦めてはいるのだが。
 通りで出会って、少し世間話をして、笑顔が見れればそれでいいのだ。
 ただ、今日は少々顔をあわせ辛い。
 隣に別の男がいるかもしれない、なんて考えただけで胃がしくしくする。
 鬱屈とした思考を振り払うかのように首をぶんぶんと振る。

 近頃よくつるむ様になった悪友の顔を思い出す。
 あいつもどうせヒマをしているだろうから、独り身同士、酒でも飲むとしよう。
「よし!」
 わけもなく気合を入れ、目的地へと向かって歩き始めた。



「で……出来た……!」
 作り始めたのは夜明け前だが、既に日は天高く昇っている。
 何度も失敗や作り直しを繰り返しながら、ついに完成の時を迎える事が出来た。
 自分で言うのも何だけど、かなりいい出来だと思う。
 彼もきっと喜んでくれるに違いない。
「先に、こっちを渡しにいくとするかな」
 先に出来上がっていた別の小包。
 同性に渡すのも少し変かな、と思わないでもないけれど
 日頃から付き合いのお礼として渡すのも悪くはないはず。
 ひとまず台所を片付けてから、向かうことにした。



「よう」
 目的の人物をようやく見つけ、片手を上げながら近寄る。
 ったく、毎度毎度わかりにくいんだよこの道。
「なんだ、アンタかい。ふふ、随分湿気たツラしてるじゃないか」
 人の面を見るなり指差して笑うとは、随分な奴だ。
「うっせ……今日が何の日か考えりゃわかる事だろ」
「こんな所で暮らしてると、日付の感覚が薄れちゃってねぇ」
 昼夜と四季くらいしか区別できないよ、とあっけらかんと言う。
 呆れの臭いを交えたため息をついた。
「まあいいや……色々持ってきたんだ。付き合えよ」
 提げていた袋を持ち上げ、妹紅に示す。
 中身は酒と肴である。
「いいねぇ。真昼間から飲むのも悪かないね。
 ま、こっちきて座んなよ」
 ぽんぽん、と自分の横を叩いていたが、
 俺は一つだけ頷くと、妹紅の正面に座り込んだ。

「なるほど、バレンタインねぇ」
 酒の肴として色々話をする過程で、妹紅に今日が何の日かを話して聞かせた。
 ラブラブカップルの忌々しさを丹念に交えながら。
「そういえば"こっち"にも入ってきてるんだっけね。
 うん、思い出した思い出した」
 炙ったするめを齧りながら、妹紅が頷く。
「そんな日にアンタはどうしてこんな所にいるんだい」
「そりゃ何たって独り身だしな。そして絶賛片思い中の俺は、
 こうしてここに酒を飲みに来ている訳だ。主にウサ晴らしに」
 杯を一気に傾け、透明な液体を再び注ぐ。
「あっはっは、そりゃ難儀なことだね……っと、そうだ」
 ごそごそと荷袋を漁る妹紅。
 何かを引っ掴むとこっちに投げて寄越した。
 受け取ったのは小洒落た感じの――
「――なんだこりゃ。猪口?」
 疑問符を妹紅へと向けると、腹を抱えて笑い始めるところだった。
「バレンタインのチョコが猪口でちょこっとってね。あっはっは!」
 自分で言っておいてツボに入ったのか、げらげらと笑っている。
 本来なら怒るべきとこなのだろうが、こいつ相手に怒る気にはあまりなれなかった。
「お前の場合は冗談なんだろうが……まあ、ありがとな」
 貰った猪口をしばらく眺めてから、ポケットに突っ込む。
 笑いすぎて苦しくなったのか、ひくひくと涙目で地面に寝転んでいる妹紅へと手を伸ばす。
「ほら、つかまれよ」
「ああ、ありがと」
 二人して苦笑する。

 後ろでぱき、と枝が折れる音がしたのはそんな時だった。
 
 

 なんだ、そういうことか。
 昨日まで悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。
 昼までかかって頑張っていた自分がとても惨めに思えた。
 確かに妹紅と彼は普段から仲が良かったけど、
 これほどとは思っていなかった。
 後ろを向いて全力で走り出す。
 手に持っていた包みを、驚いた拍子に落としてしまったが、
 今となってはそんなもののことはどうでもよかった。
 ただ一刻も早く、あの場から離れたかった。

 一目惚れなんて、するんじゃなかった。



「今のは……慧音?」
 どうして彼女がこんな所に?
 呆気に取られて棒立ちしていると、妹紅が彼女が走り去った方へと歩いて行った。
 地面に何かが落ちているのを見つけると拾い上げ、戻ってくる。
「どうやらこれが回答らしいね」
 妹紅が手にしていたのは二つの、土に汚れた包み。
「こっちは私ので――」
 片方を懐に入れると、もう片方をこっちに投げて寄越した。
「――そっちは多分アンタのだ。受け取りな」
 危なげに受け取る。
「彼女が俺に? そんな馬鹿な」
「……この鈍チンが。いいから開けてみな」
 妹紅の態度に押され、彼女に悪いと思いながら、封を解く。

 中に入っていたのは、チョコレートと、短い手紙。
 割れてしまっているが、確かにハート型をしていたチョコレート。
 手紙の文面は、彼女らしく実にシンプルに、
 俺への想いと、告白の文がしたためられていた。

 (……両想い、だった……? いや、そんなまさか)
 手紙を手にしたまま呆然としていると、背中に蹴りを入れられた。
 いつのまにか後ろに回っていた妹紅が、いつになく優しげな瞳をしていた。
「行ってやんな」
 そうだ、今はここで呆けている時じゃない。
「ああ……そうだな。ありがとな、妹紅」
 彼女の贈り物を大事にしまいこむと、走り去った方へと向かって全力疾走を始めた。

「ちっくしょ……どこに行ったんだ」
 途中までは足跡や枝の折れた形跡を辿って来れたのだが、
 山から出てしまってからその跡すらも無くなってしまった。
 こうなったら見つけるまで走り回ってやろう。
 彼女には幾つか言うべきことがある。
 そう決意を固めると、沈み始めた夕日へと向かって速度を上げた。



 全力で走って疲れたので、その場へとへたり込んだ。
 片想いで終わった事なんて幾らでもあったというのに
 どうしてか慣れないものだ。
 後から後から流れてくる涙をごしごしと乱雑に拭き取る。
 立ち上がる気力ももはや出ず、そのまま地べたに座り込むことにした。



「ぜえ……ぜえ……」
 慧音を探し始めてそろそろ一刻。
 軽く一里四方は探し回った気がするが見あたらない。
 だが俺の頭には諦めるなんて文字はハナっから無い。
 すっかり上がってしまった息を無理矢理落ち着けると、
 再び適当に見当をつけて走り始めた。

 里から少し離れた河原近くまで来たところで、
 見間違えようもない彼女の背中を見つけた。
「慧音っ」
 自分では叫んだつもりなのだが、走り疲れた事もあってか、
 若干掠れるような声になってしまった。
 それでも彼女には届いたらしく、びくり、と背中が震えた。
 のろのろと立ち上がり、再び俺から離れようとする慧音を
 今度は後ろから抱きしめることで引き止める。
「やっ……離して!」
「断る」
 もぞもぞと抵抗する力が消えたのを確認してから、正面に回る。
「何を勘違いしたのか知らないがな。俺とあいつはそんな仲じゃない」
 懐から割れてしまったチョコレートを取り出す。
「あ……」
「これ、ありがとう。あとごめんな、割れちゃってたみたいだ。でも――」
 結構なサイズだったのだが、それでも口にまとめて全部放り込む。
 いつだったか甘いのがそんなに好きじゃないと言ったのを覚えていてくれたのか、
 ほどよい苦味の利いた味が口の中に広がる。
「――うん、美味い」
「嘘は、やめて、くれ」
 俯いたまま、搾り出すように放たれた言葉。
「惚れた相手が作ってくれたモノが、不味いなんてことはないだろう?」
 そんな戯言を言わせないために、彼女の顎を手で持ち上げ、
「ほら」
 口で塞ぐ事でそれを解決した。
「んっ……ぷぁ――」
 口の中にまだ少々残っていたチョコレートを、彼女の口へと押し返す。
 先程よりも甘みが増したような気のする液体が、二人の口内を満たした。
 薄茶色になった唾液の糸を引きながら、彼女から離れる。
「な、美味いだろ?」
「あ、ああ……うん」
 対する彼女は顔を真っ赤にし、縮こまってしまったように見えた。
 なんだかそれがとても可愛らしく、思わず笑みが零れてしまう。
「なっ……何故笑う!」
「ああいや、ごめんごめん」
 顔を真っ赤にしたまま不満そうな顔を浮かべる慧音。

「キスのほうが先になっちゃったけど」
 バッと勢いよく頭を下げ、手を差し出す。
「どうか俺と付き合ってください!」
「……ぷっ」
 しばらくの間を空け、今度は彼女が笑い出す。
「うん、こちらこそどうか付き合って欲しい」
 差し出した手に静かに手が絡められたのを確認してから、顔を上げる。
 目に涙を溜めながら微笑む彼女の顔は、とても素敵だった。
「喜んで」


>>新ろだ317

───────────────────────────────────────────────────────────


「で、この荷物は持っていく方なのか」
「ああ、それは持っていく方だな」
「よしきた……よっと」
 大きめの木箱を気合を入れて持ち上げ、表へと運ぶ。
 ちなみに運んでいる荷物は、慧音の私物や一部の家財道具。
 (何も付き合い始めから同居まで踏み切らなくても……)
 外に停めてあった荷車へと降ろし、ため息を一つ。

 お互いに想いを伝え合った帰り。
「○○の家で暮らしたい」
 という慧音の爆弾発言を、色々あったせいで疲れていた俺が
 "ついうっかり"承諾してしまったのが事の始まりである。
 お互い同じ里で暮らしているのだから、しばらくは泊まりか、
 もしくは当分先の事だと考えていたのだが、どうにも彼女の頭の中では違ったらしく、
 翌日俺の店までやってきて、引越しの話をされたのだった。
 困惑こそしたものの、
「……やはり、だめか?」
 などと好きな人に手を組んで上目遣いで見られた日には、
 男として断るわけにもいくまい。

 (ま、いいか。為せば成る、だ)
 二階の窓から俺の姿を見ていたらしい慧音が声をかけてきた。
「重い荷物ばかり持たせてすまないな……疲れたか?」
 先の溜息を見られていたのか。
 彼女の方へ向き直り、まだまだ元気であることをアピール。
「小間物屋してるとはいえ、これでも男なんだ。
 あれくらいならまだなんとかなる」
「はは、頼りにしてるよ」
「おう、まかせとけー」


少女&青年引越し中……

>>新ろだ325

───────────────────────────────────────────────────────────

前スレ>>992のさらに続き。
ホワイトデーネタで?

「ありがとうございました、○○さん」
 商品を入れた包みを男に手渡しながらひやかす。
「おう。次に来るのは一年後か?」
「はは、よしてください。それじゃあ」
「ああ、お幸せに」
 少し恥ずかしそうに頬を掻きながら、彼は店を出て行った。
 硝子戸越しに小さくなっていく背中を、見送る。
 入ってきた時のガチガチの緊張は既になく、
 その小さな包みを大事そうに握り締めているのが見えた。
 その中身は――
「――婚約指輪、か」
 依頼されたからには仕事はこなす。
 仕上がりはいい方、だとは思う。彼も喜んでいてくれたようだし。
「しかしなー……」
 がしがし、と頭を掻く。

 まさか作る時に思い浮かべていた相手が、彼でもなく、話に聞いていた相手でもなく、
 今同棲している人物の顔を思い浮かべながら作ったなどと、誰に言えようか。いや言えまい。言うまい。

 ――別のを作り直して渡せば良かったか。

 そんな思考も一度は過ぎり、いくつか製作を試みたのだが、
 結局期日までに作れたもので納得が行くのは、あの一品のみだった。
「黙ってりゃ分からない、か」
 既に代金は受け取ってしまっている。
 あの様子では渡すのは今日明日といったところだろう。
 後は彼の奮闘を祈るのみか。

 からんからん、と来客を告げるベルの音で我に返る。
「らっしゃい」
 先程までの思考を横へと押しのけ、営業モードに入ることにした。





「……なんじゃこりゃあ」
 時は過ぎて、閉店後の作業室。
 俺は確か今日売れた分の品物を補充するべく、
 いつものように製作に取り掛かっていたはずなのだが。
「落ち着こう。落ち着いて素数を数えよう」
 いくら素数を数えた所で、目の前の現実が変わるわけはなく。
 そこにあるのは紛う事無き、指輪だった。
 ふと脇を見るといつの間にか出来上がっている補填分の品物。
 頬をつねってみたが「痛ぅッ」――痛かった。
 妖精さんが現れて作業を手伝ってくれたわけではないようだ。
 再度作業台に視線を落とす。
 指輪。うん、指輪だ。
 装飾は控えめだが、そこそこ大きめにカットされた輝石が一粒埋め込まれている。
 俗にいうエンゲージリングの形にとてもよく似ている。
 注文された品物は既に今朝方渡したはずだが、
 何故また俺はこんなものを作っているのだろう。
 そんな思考がぐるぐると渦巻き始めた頃、作業室横の――玄関の――戸を開ける音が響いた。
 別に隠す必要も無かったはずなのだが、その時の俺は、咄嗟に台から指輪を外し、
 ポケットへと押し込んだ。

 程なくして作業室の戸も開かれ、同居人が顔を覗かせる。
「なんだ、ここにいたのか。ただいま、○○」
「あ、ああ……おかえり、慧音。お仕事お疲れ様」
「○○も。それよりも帰ってきた時に大きな音がしたけど、どうかしたのか?」
「鑢を落としちまってな、それを拾ってただけさ。大した事じゃない」
 ひらひらと手に脇に置いてあった鑢を手にとりアピールする。
「……そうか。椅子から落ちたりしたのかと思ってね」
 やや残念そうな顔をする慧音。
 しれっと毒を吐くのは付き合う以前からだったが、
 同棲するようになってから悪化の一途を辿っている気がしてならない。
「ちょい待て。俺はどれだけドジなんだ」
「頭にかけた眼鏡の事を忘れるくらいにはドジだと思ってるよ」
「なっ……あれは寝ぼけていただけで!」
「ふふ、そうだといいな。それじゃあ私は晩御飯の支度をするよ。
 ○○も区切りがついたら二階においで」
「了解了解」
 満足そうに一つ頷くと、彼女は階段をとんとんと上がっていった。

>>新ろだ375

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相変わらずその部屋は暗かった。

カーテンはほぼ閉まっており、隙間から僅かに光が差し込むのみであった。

もう時間は昼を少し過ぎたくらいであろうか。にも関わらずこの部屋の主である○○は未だ寝ていた。

部屋の中に響くチャイムにさえも気付かず、起きる素振りさえも見せようとしなかった。

何度も鳴っていたチャイムがはたと途切れた。そして今度はドアを叩いて誰かが叫んでいた。

流石にこの喧騒で目が覚めたのか、寝ぼけ眼をこすりながら玄関へと向かっていった。

何度もあくびをこきながら、ドアに掛かっている鍵を外していく。

扉を開くとそこには長い髪、そして何よりも魅力的過ぎるほどの体付きをした女性が立っていた。

彼女の名前は上白沢慧音、いつも不思議に思われているのだが○○とは男女の関係だ。

予定が合えばだが、こうやって彼の部屋を訪れては洗濯したり料理を作ったりと世話を焼いている。

「やっと出てきたか、どうせ夜更かしでもしていたんだろう」

○○は少しばつの悪そうな顔になってしまった。どうやら図星だったらしい。

「全く、あれ程早寝早起きを心掛けろと言っているのにお前ときたら」

「あ、あぁ分かったから頼むから玄関先で説教は勘弁してくれ。するにしても中で頼む」

「言いつけを守らないお前が悪いんだろうが、まぁ良い」

そう言うと彼女は部屋の中へと入っていった。

「またこんな脂っこい物やら即席食品ばかりを食べているのか」

入るなりテーブルの上に置かれてあった空の容器を見て彼女がそう言い放った。

「良いだろ、手間要らずで俺みたいなのには必需品だぜ」

「私も忙しい時に食べたりもするが、お前は食べ過ぎだ。体を壊しかねん」

「何だ心配してくれてるのか」

「当たり前だ!私だって時間が無限にある訳じゃない。体を壊してでもみろ、一体誰が看病してくれるんだ?」

冗談で言ったつもりだったが予想外の反応が返って来た。

「それに…好きな人間が苦しんでいる姿なんていうのは見たくも無いんだ」

少し顔を赤らめながら慧音はそう呟いた。

「…心配させるのも悪いし、今度からは回数減らしてみようかな」

「本当はあまり食べないのが一番なんだがな、慣れていけば良いさ」

「ん、そういえば起きたばっかりだから何も食べてないんだ。何か作ってくれないか」

「分かった、何が良い?今ある材料だと作ってやれる物なんて知れてるが」

冷蔵庫の中を覗き使えそうな材料を出すと慧音はそう言った。

「何でも良い、慧音が作ってくれるんなら何だって食べるさ」

「なら生でも構わないな?」

「それはちょっと嫌かな…」

少し笑うと彼女はエプロンを付けて台所で調理を始めた。

あり合わせの材料で一体どんな物が出てくるのかは分からない。

だが彼女の思いが込められているのだきっと美味しいに決まっている。

そう思いながら完成を待つ○○であった。

>>新ろだ405

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23スレ>>492の続き。


 慧音の背中が踊り場を曲がり、消えたのを確認してから、小さく溜息をつく。
 ポケットから取り出した、小さな指輪。
「どうっすかな、コレ……」
 見つめるうちにぐるぐると思考が渦巻きだす。
 次第に勢力を増した思考の渦は突如分裂を起こし、論争を開始した。
 やれ渡せだの、早すぎるだのと、分裂した思考達はやんややんやと大騒ぎ。
 シンプルにラ○フカードといきたいところだが、世の中はそんなに甘くない。
 どうしたものかと悩んでいるうちに両者(?)の決着はついたようだ。

「……渡しちまうか」
 既に現物は出来上がってしまっている。
 ここで捨てる、或いは加工しなおすという選択肢を取ろうものなら、
 世間の男性諸氏どころか女性からもヘタレの烙印を押されかねない。
「ええい、ままよ」
 指輪を再びポケットに……の前に、商品用のケースから一つ適当なものを見繕い、それにしまいこむ。
 まるで戦場に赴く兵士のように一つ頷き、俺は決戦場への階段をのぼり始めた。

 食卓への扉を開けると、丁度慧音が食器を並べている所だった。
「お、来たのか。そろそろ呼びに行こうと思ってたんだ」
「つまりはナイスタイミングだったということだな」
「そういうことになるな。今、おかずを持ってくるよ」
 そう言うとにっこりと笑い、彼女はぱたぱたと台所に戻っていった。
 いつもの席に腰を下ろし、ふとある事に気付く。
 (あれ、つまり俺は指輪を前に相当な時間固まっていたということか……?)
 誰も見ている者がいなかったからよかったものの、傍からみればただの間抜けだ。
 がっくりと項垂れる。 次からは気をつけよう、と心に誓いながら。



「ふぅ、食った食った。ごちそうさま」
「ごちそうさま。 ……美味しかったか?」
「決まってるだろ。不味かったらおかわりまでしないさ」
「そうか! 良かった」
 胸を撫で下ろすように安堵の息を付く慧音。
 新メニューが出る度の恒例行事となったらやり取りだが、
 美味いのは本音なので何も隠すことはない。
 このやり取りに何も言わないのはただ単に、
 彼女のほっとするような顔が見たいがためである。

 茶を一息に飲み干す。
 ほどよい熱が口腔を通り抜け、萎えかけた決意を奮い立たせてくれた。
「慧音」
「うん? おかわりか」
 す、と立ち上がろうとしたが、手で制す。
 彼女も察してくれたようで、席に座りなおした。
「"あの日"から一ヶ月だな」
「あ、ああ……うん、そうだな」
 あの時の事を思い出したのか、頬を染める慧音。
「今日という日はな、世間一般にはあの日のお礼を、
 男がするべき日らしいんだ」
「ホワイトデーという奴だったか」
「ああ、そうだ。そこで俺もお返しを用意したんだ。ほれ」
 ポケットから件の箱を取り出し、投げて寄越す。
 甲斐性のある男連中ならばここで気の利いた台詞や行動の一つでも取れるのだろうが、
 幸か不幸かついぞ先月まで"年齢=彼女いない暦"を打ち立てていた偏屈なのである。
 どこからともなくヘタレ、と声が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにする。

 投げた先を見やるとキャッチし損ねたのか、両の手で箱をわたわたと持て余す慧音の姿があった。
 取り立てて何も語らず、彼女が箱を開けるのを静かに見守る。

「これは――」
 中身が何であるのか確認するや否や、驚きの表情に染まる慧音。
 こっちに期待の視線を向けてくると同時、俺は首ごと顔を逸らした。
「……つい熱中して作業してたら、余計なものまで作っちまってな」
 反射的にバレバレの嘘をついてしまった。
 呆れられるかと思っていたのだが――
「くく、あははは」
 ――返ってきたのは笑い声。
 赤くなっていると自覚している頬を見せるわけにもいかず、そっぽを向いたまま尋ねる。
「っ、何が可笑しい」
 ツボにでも入ったのか、一頻り笑い声が響いた後にようやく返事が返ってきた。
「ふふ、そうだな、余計に作られてしまったのなら仕方ないな。
 この際だからサイズがピッタリなのも聞かないでおくよ」
 不意に視界に彼女の両腕が飛び込んできたかと思うと、後ろから抱きすくめられた。
 白く細い腕の先――左手の薬指には、薄く光を弾く指輪が見えた。


>>新ろだ428

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