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先輩!バレンタインデーです!

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先輩!バレンタインデーです!




 「先輩!バレンタインチョコです!」という台詞を最後に耳にしたのは、随分と前のことだなと
先崎俊輔は街角の自販機にコインを入れた。ぱっと一斉に点灯するLEDは、まるで声の主のハートのように真紅に満ちる。

 わざと無視をしつつも冷静沈着に飲み物を選ぶ先崎は、とりあえず喉を潤したいがために無難なコーヒーを選ぶ。微糖だ。
貴重な安らぎのときだから、飲みたいものを飲む。コインを入れる音が自販機の中で響いていた。

 「先輩のことなら、なんでも知ってます!ね!!」

 白く細く、陳腐な表威ならば白魚か。透き通るような女子の指。、マグロよりも俊敏に先崎よりも早く、声の主の指が
カジキマグロよりも鋭く『無糖』のボタンを突き刺した。先崎の額に汗と青筋が走っていた。
 自販機の紅い灯火は綺麗さっぱり消え失した。だが、声の主は簡単にあっさりと引き下がるほどのヤツではない。
機械は機械、人は人。人だから、誰かにかまいたい。人だから、誰かにちょっかいを出したい。そして、人だから……好きになりたい。

 「わたしの作ったチョコはどこにも売っていない『閑花ちゃん特製チョコ』ですよ!」
 「ほー。えらいえらい」
 「相変わらず棒読みですね。はっ!もしかして、これはツンデレってやつかもしれません」
 「古すぎるぞ。それ」

 きらびやかな小箱を持った後鬼閑花は、ボブショートの髪を脇を走る車の風に揺らしながら自分の台詞で頬を赤らめた。
先崎は苦虫を噛み潰した顔をしながら、温かい無糖の缶コーヒーを拾い上げると手のひらでころころと転がしながら、
冷え切った手を温めた。まだまだ寒い日が続く二月の中旬。吐く息が白くなることはないものの、指先が痛い。

 先崎は閑花を振りきって歩き出す。待ち合わせの時間が迫っているからだ。遅れることは許されぬ。
だからこそコーヒーを飲んで一息と思いきや、この有様だ。運命を、社会を、政治を呪うしかない。

 「先輩!恋人たちの平日に幸せを祈りましょうね。だ、か、ら、こ、そ」
 「急ぐんだけどな」
 「『だからこそ、急ぐんだけどな』……。先輩!意味がわかりません!」

 閑花は先崎の後を追いかけて、小箱を天高く掲げながら夢見る乙女モード全開で目を輝かせる。
周りなんか見てられない。目に見えるのは恋する先輩。一方通行規制な恋かもしれないけれど、規制はいつの日か解かれるかもしれない。
だんだんと先崎の駆け足が早くなるが、閑花がめげるようなことはけしてなかった。いつか、先輩を振り向かせてやる!と。

 この世の中で一番最強な人間と言えば、誰もが納得する答えとして『恋する女子』が挙げられよう。
 彼女らは大地の息吹とともに自らの限りない力を萌え出ずる。春先の、森羅万象、この四季ある土地に住まうものたちが
恵みの大地から吸い上げた大きな力で『誰かを好き』だということを小さな箱に秘める。その日……を、思い出せ。

 「ほんっと、久し振りに作った、久し振りのバレンタインの贈り物です!」

 冗談に聞こえないのは先崎だけではなかった。はずだ。
 小走りのかけっこは否応無しに続けられる。あくまで先崎は完全無視の構えだが。

 「手渡しが嫌なら、口渡しですね!口が嫌なら……ぎゃあ!」

 先崎が閑花の悲鳴に振り向くと、アスファルトにしゃがみ込む閑花の姿が目に入った。折角のスカートは汚れ、
ブラウスは純白さを忘れ、肩にかけていたバッグを落とし、そして、彼女のヒールは脆くも折れていた。

 「先輩……。かかとのあるパンプスは、走りづらいです」
 「走るなよ」
 「先輩のためなら、走ります!」
 「お前、高校時代とちっとも変わらんな」

 閑花は横たわったバッグを慌てて拾い、肩にかけると小さく方を落としていた。
 そっと閑花に手を差し伸べる先崎が細く薄い手を握ると、ともに過ごした仁科の学び舎が脳裏に浮かび上がってくる。

 ビジネス街と渡り廊下、スーツと学生服、今と昔。たったそれだけの違いじゃないか。そんなこと、閑花を見れば分かること。
 彼女は何事もなく立ち上がり、折れたヒールを左手に、綺麗な小箱を右手に再び目を輝かし始めた。

 「もしかして、わたしはネクタイフェチなのでしょうか?リーマン姿の先輩も素敵です!結びなおしてあげましょうか!」
 「ごめん。お得意先の約束があるんだ。10分前行動は基本だから、急がしてくれ」
 「バレンタインがやっとやってきたんですよ!社会人になった頃以来かなあ。また、公にバレンタインチョコを渡せるなんて!
  それはさておき、『閑花ちゃん特製』はふんだんにミルクを……」

 先崎は閑花のバッグに缶コーヒーをそっと入れ、閑花を背負って彼女のオフィスまで送ってやることにした。


    ※

 公布。 

 平成×○年に施行された『二月十四日における菓子類贈与の禁止に関する法律』を廃止する。
 なお、この令は公布の日より施行する。

 平成××年二月十四日。


  おしまい。





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