私立仁科学園まとめ@ ウィキ

犬と鷲

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犬と鷲




 売店最後の一個の牛乳。それが目の前で他人の物になっていく様子は鷲ヶ谷和穂の脳裏でスロー再生されていた。

 毎日、必ず買っているパック牛乳。一日でも欠かすと、落ち着かない。

 カルシウム?そんなものは他でも補える。ただ、鷲ヶ谷和穂にとっては「牛乳を飲むこと」自体が出来ないことが悔しいのだ。
仕方が無いのでテレビでお馴染みの乳酸飲料を代わりに買って、学園の中庭で小さなランチを開きましょ。だが、腑に落ちない。
 小さなことだけど、思い返すとなんだか腹立たしい。そんなこと忘れてしまえ、小さなヤツだと思われるぞ。と、自分自身を
省みるものの、和穂にとっては『小さな』という言葉が非常に頭に残って仕方が無い。

 「小さくないもん!ぼくは……ちょっと、普通より」

 小さいだけの女の子だ。

 「鷲ヶ谷」という苗字に相対しているかのような和穂は、見た目小学生だ。高等部の制服を身にまとっていても何故か違和感がある。
ただ、神は和穂を見捨てたわけではない。その小さい体が与えた恩恵は大きい。
 体で補えと言わんばかりに和穂は小学生男子に負けず劣らずの元気を持ち合わせ、小学生の中に紛れても自然に過ごせるという。

 それが、和穂には面白くない。
 スカートというより、半ズボン。
 携帯というより、糸電話。
 パスタというより、スパゲッティ。
 ぼくだって、箸が転がっても笑っちゃう……女子高生だよ!

 神様、何すんの!

 それに比べて、妹は……。

 和穂は神に出会ったら、ぱちんこでまつぽっくりをぶつけてやりたいと思っていた。

    #

 「雄一郎ーっ」

 いつも隣にいるはずの、小鳥遊雄一郎が見当たらない。恋人というわけでもなく、だからといって友達でくくるにはもったいない
くらいの仲を保つ和穂と雄一郎。お昼ごはんを一緒にと思い、中庭で待ち合わせしていたのだが姿が見えぬ。
 二人とも高等部の一年だ。雄一郎は学年の割にはがたいがよい。おそらく、初見で私服の二人を見たならば、間違いなく
雄一郎の方を怪しんでしまうかもしれない。よくて『歩行者専用』の道路標識か。やはり、神の悪ふざけなのか……。

 「雄一郎がいないなら、ぼくだけで食べようっと」

 きょうのお昼はピザパンと乳製品の飲み物。がさがさっと袋を開けると、音に誘われたのかハトが和穂の足元に集まる。
ベンチに腰掛けて、振り子のように脚をぶらつかせる和穂はそのスピードを速め、ハトを追い返していた。
 なんだか……、一人っきりなのかなあ。と、ピザパンを口にするとトッピングのコーンがスカートに落ちた。
 春うららかな風が藍色のセミロングを揺らし、和穂も同じようにコーンと雄一郎の行方で気持ちを揺らしていた。

「牛乳が飲めないなんて、ぼく、どうしたらいいの?」

 同じ乳製品とはいえ、和穂が欠かさず飲んでいるものとは、似て非なるもの。
 ストローづたいに舌の上でじんわり広がる舐めざわり感。後を引く喉越しに、命の息吹を思いおこさせる、なぞの白い液体。

 和穂はベンチに腰掛けて、同じようにランチをとる学友たちを眺めていた。
 きゃっきゃっと歓談しながらサンドイッチを摘む高等部の女子たち。一人が何気なく太ももを上げて足を組む。
白い脚が折り重なる質感、はだけるスカート、そして大人にひとつ背伸び。和穂も彼女の真似をしようと心に思ってみたが、
自分には似合わないと諦めた。ピザパンを平らげると、自宅から持ってきたデザートで口休め。
 きょうのデザートはいりこだ。牛乳と一緒なら、格別な味に。そして……今は、多くは語らず。

 ぼりぼりと袋に詰めたいりこを食べつづけると喉が渇く。頭の先を甘噛みし、大洋の恵を口に含む。そして徐々に噛みながら
一匹一匹口にすることで、咀嚼する回数を出来るだけ多くしようとした。牛乳もいりこもよく噛んで!が和穂の正義だった。
 いりことは合わないから乳製品の飲料は先に飲み終えた。口の中が乾燥するので、途中でいりこを食べるのをやめて水呑場へ。

 何もかもが小さく見える世界って、楽しいのだろうか。
 羽根を持たずに誰かを眺めることが出来るなんて。

 天を仰ぐと、小鳥たちが空を気兼ねなく飛んでいるのが見えた。小鳥でさえも、ぼくを見下ろすことが出来るというのに……。

 ふと。視線を和穂が立つ地上へと降ろす。
 中庭では和穂が買うはずだった牛乳をかっさらっていった少女がスカートの裾を持ち上げてしょんぼりと立っているのが見えた。
売店でのあの動きをしていたとは思えないほど、彼女は酷く落ち込んでいるように見えた。見間違えは無い。
 悲しそうな顔をしたあと、まだまだ早い夏の雲の切れ目を覗かせたように彼女は白い歯を見せて沈んだ気持ちから立ち直ってみせた。
制服についた砂埃を払うと、パンに群がるハトが二、三羽飛び上がる。しかし、肝心な牛乳に塗れた足元を拭おうとしないことに、
やるせない気持ちを抑えつつ和穂は不思議に思い、子犬のような彼女に近寄った。
 身の丈は和穂よりか、僅かに高いくらい。どんぐりの背くらべと言っても過言ではない。年上か、年下か。判断に困る。

 「もしかして、ハンカチとか忘れたとかですか?」
 「え?そう!そう!そう!全部部室に忘れちゃったんだよねー。どうしよっかなあ」

 どうするも、こうするも、このままでは靴にも彼女にもよろしくない。
 彼女の足元にはパック牛乳が地面にひしゃげ、ぴかぴかに磨かれたローファーも、午前中を共に過ごした紺ハイソも、
牛乳によって白く汚されていた。その傍らには食べかけのコッペパンが転がり、ハトが群がっていた。
ティッシュを探すが生憎持ち合わせがない。焦って探す姿を見かねた和穂は少女に自分のティッシュを貸してあげた。

 「ありがとう。コケちゃったのねー」
 「え……」

 和穂があげた淡い水色のティッシュで、丁寧に靴と靴下を拭いている少女はあっけらかんと答えた。

 「パンも牛乳も台無しだよ。校庭にミニチュアダックスが迷い込んできてね、追いかけたんだよ。お昼食べてる途中だけどね。
  そしたらパンの神様のバチが当たっちゃったのか、コケちゃった。パンも落っことして、すねで牛乳パック潰しちゃった」 

 和穂が飲むはずであろう牛乳が迎えた悲しい末路だった。二人を囲むハトたちはそんな事情などお構い無しにパンを奪い合う。

 「いつか、ティッシュのお礼しなきゃね。わたしは久遠荵だよ。高等部の一年だからねっ」
 「同じ学年……なんだ」
 「奇遇だねっ」
 「あのっ」

 同い年で、自分のようにちみっちゃい。
 きっと、同じ悩みを抱えているんだろうな。と、和穂は勝手な想像を繰り広げ、思いつくままの質問をぶつけたくなった。
どんな結果が戻ってくるかはわからないけど、なんとなく和穂は荵を放っとけなくなっていた。

 「久遠さんも、牛乳好きなんですか?」

 『さん』付けされようが、何もかも知った昔からの友人と話すように、荵はにこにこと頷いた。

 「牛乳は小さい頃から欠かさず飲んでるだよね」
 「えっ?毎日?」
 「そう。毎日。大好きだよ」

 和穂は解せなかった。
 荵も毎日牛乳を飲んでいるというのに、物理的に同じ目線で話し合えることに。

 「にぼしは……」
 「にぼしも好きだよっ」
 「チーズとか」
 「それも!」

 食べ物に裏切られることほど生きていてショックなことはない。
 牛乳ばかり追い求めていた和穂は牛乳にであったら目を合わすことができないのだろか、とさえ思った。 

 「なんか、理不尽だよね。雄一郎がこの牛乳が好きって言っていたから、ぼくも飲んでるのに」
 「雄一郎?」

 和穂がジト目で視線を横にそらした先は、がたいの良い男子が子犬に追い回されていたところだった。
 そっと和穂は雄一郎を荵のために指差した。
 雄一郎を追い回していた子犬は、荵の方へと駆け寄って来ると、一度は牛乳に塗れた荵の足元に子犬は鼻先を近付けた。
突然な獣の襲来に驚いたハトたちが一斉に飛び立つ。きゃんきゃん吠えていた子犬も荵のに近寄ると大人しくなり、
元気よく尻尾を振りながら舌を出してぺろっと荵の紺ハイソをひとなめ。
 嫌がることなく荵は子犬の乱行を許し、和穂に秘密を打ち明けるように呟いた。

 「それから……」

 とめどなく話のループを繋げる荵。和穂は荵の世界に引きずりこまれそうになっていた。
 だって、パン落としたんだよ。牛乳、落としたんだよ。お昼抜きみたいなものだよ。悲しくないの?

 「ん?ごめんなさいねっ。クセになっちゃってるみたい。迫先輩やあかねちゃんからいつも言われてるんだよねー。
  大人びてるから説得力あるし、それに『何でもいいから、会話を途切れさせないこと』ってね。あっ!ハト!飛べ!飛べー!!」

 和穂の疑問を見透かしているような、それともただ和穂と関わることだけが楽しくて、というような。
小学生的で無邪気なその場しのぎで、自分の不幸でさえも遊び道具に使っていることに荵は気付いていなかった。

 「どういうこと?久遠さん」
 「即興の練習かな。わたし、演劇部だよっ。そうだ。ティッシュのお礼に今度さ、あかねちゃんを紹介してあげよう。わおーん」
 「同じ学年?」
 「そうだよ。背が高くて、髪が長くて……なのに」

 わざと荵は話すことを止めて、和穂をじらしてみた。

 「あかねちゃん。牛乳とかダメなんだって」


    おしまい。





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