月
『You’d Be So Nice To Come Home To』
この曲の意味、きみは分かるかい。
天月音菜は下駄箱に腰掛けて、小さな児を諭すように呟いた。岩場の影の人魚姫にも似た佇まい。
目をぱちくりと瞬かせ、生まれたばかりのひよこにも似た顔をして、一人の少女が下駄箱の上の人魚姫を見上げていた。
いや……彼女は人魚などではない。すらりと伸びた黒ストッキングの脚が少女の目の前でクロスする一人の少女だ。
白いシュシュで結ばれた髪の毛が歳よりも落ち着いたように演出し、鬼太郎のように前髪で隠れた左顔は歳よりも子供っぽい。
いや……彼女は人魚などではない。すらりと伸びた黒ストッキングの脚が少女の目の前でクロスする一人の少女だ。
白いシュシュで結ばれた髪の毛が歳よりも落ち着いたように演出し、鬼太郎のように前髪で隠れた左顔は歳よりも子供っぽい。
そんな娘に迷わされて二の腕をぎゅうっと掴む、簀の子の上の少女が一人、家路に付く前に立ち止まった。黒髪長く大人びた
スタイルと思いきや、おでこの四つ葉のピンが子供じみた少女だ。そんな子を天月は手の平で挑発しているようにも見えた。
スタイルと思いきや、おでこの四つ葉のピンが子供じみた少女だ。そんな子を天月は手の平で挑発しているようにも見えた。
「よく聴こえるんだよ」
「何がですか?」
「コントラバスの調べは教室の声にも似ている。ジャズは人を酔わせるんだ」
「何がですか?」
「コントラバスの調べは教室の声にも似ている。ジャズは人を酔わせるんだ」
秋の放課後の下足場はしんとして空気が大分柔らかい。
天月音菜という娘はその名の通り天に浮かぶ『月』だった。
色白く見るものを惑わせる白銀の星、気にかけることはさほどないが、いつの間にやら姿を現し、気を許したらならば身をくらます。
色白く見るものを惑わせる白銀の星、気にかけることはさほどないが、いつの間にやら姿を現し、気を許したらならば身をくらます。
「わたしには聴こえませんっ」
「ほう……」
「ほう……」
下駄箱の上の天月がまた脚を組み替えると、天高くちらつく黒ストッキング越しの白いおぱんつが朧月夜に見えてきた。
いくら月が美しく季節でも、まだまだ月夜の時間は遠いが、いにしえの人が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したではないか。
いくら月が美しく季節でも、まだまだ月夜の時間は遠いが、いにしえの人が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したではないか。
「You’d Be So Nice To Come Home To」
「はいっ?」
「『帰ってくれれば嬉しいわ』。そんな曲」
「はいっ?」
「『帰ってくれれば嬉しいわ』。そんな曲」
黒髪の少女が聞き慣れない英文を耳にしたかとその刹那、ぴょんと天月音菜が空を舞う。うさぎが星屑の間を擦り抜けるように。
ふわりと音菜のスカートが空気を包んで脚に纏わり付き、ブラウス越しからでも分かる完璧なるスタイルが蛍光灯に照らさる。
結んだ後ろ髪は蝶のようにひらめいていた。ふわりと花びら散らされて、あたり一面が白銀の色に染まる。
ふわりと音菜のスカートが空気を包んで脚に纏わり付き、ブラウス越しからでも分かる完璧なるスタイルが蛍光灯に照らさる。
結んだ後ろ髪は蝶のようにひらめいていた。ふわりと花びら散らされて、あたり一面が白銀の色に染まる。
「……」
ばん!
ヒーローよろしく簀の子に着地した音菜の髪が揺れる。
長い髪の少女へと振り向きざまに一言胸踊る捨て台詞を残した。
長い髪の少女へと振り向きざまに一言胸踊る捨て台詞を残した。
「また、あなたとはどこかで会いそうだね」
下駄箱に残された少女が意味を噛み締めている間、天月音菜は朝方の月のようにすっと朧げに姿を消した。
涼しかった朝焼けも、九月になると肌寒くなるSeptember。一人ぼっちの少女はぎゅうっと自分の二の腕を掴んだ。
きょろきょろと周りを見渡し、気配が感じないことを確かめる。
涼しかった朝焼けも、九月になると肌寒くなるSeptember。一人ぼっちの少女はぎゅうっと自分の二の腕を掴んだ。
きょろきょろと周りを見渡し、気配が感じないことを確かめる。
「……」
ばん!
肩に掛けていた通学かばんを投げ置いて、下駄箱に手を掛け、足掛けてよじ登る。長い髪を振り乱し、行き着く先は下駄箱の上。
天月のように腰掛けるとおぱんつが露になるからと、天井に頭ぶつけそうになり這いつくばって、髪掻き揚げてそっと耳を傾けた。
まるで自分が岩山の頂を征したオオカミになったような気持ちだ。
天月のように腰掛けるとおぱんつが露になるからと、天井に頭ぶつけそうになり這いつくばって、髪掻き揚げてそっと耳を傾けた。
まるで自分が岩山の頂を征したオオカミになったような気持ちだ。
だが、オオカミは……孤独だった。
聴こえてこない。
コントラバスの搾るような重低音が。
ただ、聴こえてくるのは『しん』とした放課後の声。
真っ白いキャンバスに真っ白な絵の具で塗りたくったような真っ白な空気だった。
コントラバスの搾るような重低音が。
ただ、聴こえてくるのは『しん』とした放課後の声。
真っ白いキャンバスに真っ白な絵の具で塗りたくったような真っ白な空気だった。
やけに地上が霞む。
たとえ、友人が近づこうとも気付くそぶりも出来ないなんて。
たとえ、友人が近づこうとも気付くそぶりも出来ないなんて。
「あかねちゃんっ。帰る前に部室寄ろ……って」」
下界からの声。もはや、天井の静けさを知った今、耳になど拒みたくなるような……いや、自分の名を呼ぶ声だ。
この世に二つとない自分を表す文字羅列だから聞き逃せない。いわんや友の声をや。
この世に二つとない自分を表す文字羅列だから聞き逃せない。いわんや友の声をや。
「……あかねちゃん?」
「いや……あの」
「何?新しい遊び?わたしも行くぞっ」
「久遠っ。違うの、違うの!」
「いや……あの」
「何?新しい遊び?わたしも行くぞっ」
「久遠っ。違うの、違うの!」
尻尾を振りながら簀の子の上で久遠荵は手を突き上げた。
あかねはふと、天月音菜の言葉を思い出して『帰ってくれれば嬉しいわ』と口にしようとしたけれども、
コントラバスの音が聴きたくて一先ず胸に引っ込めた。
コントラバスの音が聴きたくて一先ず胸に引っ込めた。
おしまい。
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