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記憶の中の茶道部

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匿名ユーザー

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記憶の中の茶道部

第1話

そう遠くない未来、20XX年。
地球が核の炎に包まれることも暴力だけが支配する荒廃した世界になることも無く、ただただ平和な時間が全ての人に対して平等かつ均等に流れていた。

「……ふぅ、それじゃあ今日の稽古はここまでね。」
太陽光線によって橙色に染まる、仁科学園の体育館。
その中では、先生と数人の中等部生徒で構成される剣道部の練習が終了の時を迎えようとしようとしていた。
「礼!」
「「「ありがとうございました!!」」」
響き渡る生徒たちの若々しい声。
そして、挨拶が終わると生徒たちは着替えのために体育館を急ぎ足で退散するのであった……が、中には例外が存在していた。
「……あれ?先生、どうしたんですか??何か……ものすごぉくアンニュイな顔してますけども……。」
先生のもとへ駆け寄る一人の生徒。
一方の先生は、まるで放心したかのように体育館の天井を寂しく……ただ一点のみを見つめていた。
「……先生?」
「何と言うかね……長年お世話になった体育館が壊されるんだなぁ……って思うと……うん……ね?」
「仕方ないですよ、老朽化してますし……それに、現行の法律的にはグレーゾーンな建築扱いなんですから……あ。そういえば、先生はこの学園の卒業生で、かつ剣道部の副主将だったんでしたっけ?だったら……アンニュイになりますよね、思い入れとかありますでしょうに。」
再び生徒が話しかける。

だが、『ある単語』が先生の耳に入った途端、その表情は少し曇った様相を呈した。

「……いいえ、私は……何て言ったら良いのかな……?」
喉に何かが引っかかったかのような受け答えをし始める先生。
その様子に生徒は困惑していると、先生は突然こう切り出す。
「……ちょっとだけ、私の昔話に付き合ってくれる?」
「……はい?」
「とりあえず、まずは制服に着替えてきなさい。それと……話が長くなりそうだから、あなたの家まで送りがてら車の中で話すわ。」
「え……あ……はい……じゃあ、着替えてきます。」
そう言って、生徒はそそくさと体育館を後にするのだった。

太陽が沈み、夜の闇に包まれた道路をまっすぐ進む一台の車。
運転席には先生、その隣りの助手席には先程の生徒が座り、生徒の住む街へと向かっていた。
「……ところで、先生?わざわざ、私を車に呼んでまで話したい昔話って何ですか?」
生徒が切り出す。
一方の先生は夜の闇で表情が判別しにくい状況になっていたものの、声質については何らかの物悲しさを語っていた。
「あなた、あの体育館の端にある『茶室』のことって知ってる?」
「茶室?……ああ!今は使ってない、何故か体育館の端にポツネンとある……。」
「私と剣道部の歴史を話すにおいて、あの茶室がどうしても必要なのよ。」
「茶室……剣道……先生……すいません、話の文脈が全然繋がらないんですが。」
「あれは、私が仁科学園中等部の一年生として所属していた頃の話だわ……。」

こうして、先生……いや、天江ルナは自身がかつて経験した『不思議な事件』に関する物語をゆっくりと語りだすのであった。

豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃……からはかなり先の未来、つまり天江ルナが仁科学園中等部の一年生としていた頃の20XX年。
琵琶湖の南に『金目教』という怪しい宗教が流行っていたかどうかは知らないが、とりあえず平和な時間が全ての人に対して平等かつ均等に流れており、もちろん彼女も平和な時間の恩恵を受けていた……が、今思えば『あの出来事』をきっかけに彼女を流れる時間は狂い始めたのかもしれない。
「……ここ……だよな?」
あの日、左手には竹刀、右手にチラシ、そして右肩には道着と防具が入った袋をかけた出で立ちで、ルナは体育館の前に立っていた。
「『剣道部員求む』……か。村の剣道大会で優勝経験のある私にとっては願ったり叶ったりの部員募集ね!……とは言うものの?」
部員募集のチラシを再確認した後、チラシを左手に持ち替えて、体育館の戸をゆっくりと開けるルナ。
しかし、時間的にはどこも部活動を行っている時間にもかかわらず、体育館の中は静寂を保っていた。
「『剣道部 水曜夕方と土曜午後より体育館で絶賛練習中』……って、全く人の気配が無いんですけど。」
チラシにツッコミを入れるルナ。
とりあえず、教職員に確認を取ろうと体育館を後にしようとした…その時だった。

突然現われる人の気配。
いきなりの出来事に対し、彼女は『気配』をまるで『殺気』のように感じ取ってしまい、おもわずチラシを投げ捨てて竹刀を構えてしまう。
「誰?!」
誰も居ないはずの体育館に響き渡るルナの大声。
しかし、その『気配』は彼女の問いかけに一切答えることは無かった……が、自身がどこに存在しているかについては強いプレッシャーで彼女に伝えていた。
「……!あそこか。」
プレッシャーが発せられている方向を見るルナ。
その目線の先には、体育館には似つかわしく無い『茶室』が映し出されていた。
「茶室……?しかも、運動部が使う体育館の中に何で……うん??」
ただでさえ疑問符が浮かぶ状況に、ルナは茶室に掲げられていた看板を見てさらに困惑する。

看板に書かれていた言葉……それは『格闘茶道部』という聞きなれない物であった。

「か……格闘ぅ?」
「そう、ここは格闘茶道部。」
大声をあげるルナへ突然耳に入ってくる女性の声。
その声の主は明らかに、この茶室に存在していた。
「誰だっ?!」
「誰だと言われても……とりあえず、茶室に入ったらいかがですか?」
丁寧にルナへ返答する謎の声。
一方のルナは理解不能な状況に竹刀を構え続けていたが、状況を打破出来る訳でも無かったため、竹刀を下ろして茶室の中へと踏み入れるのであった。

彼女の目に飛び込む光景……まだ香りのする若い畳、『格闘茶道部』と書かれた掛け軸と小さな生け花、鉄製の茶釜、そして……仁科学園の制服を着た『一人の女性』であった。
「あなたは……?」
ルナが問いかける。
一方の女性は手元にあった抹茶を一口飲んで呼吸を整えたのち、彼女の問いかけに答えるのだった。
「私は中等部三年、御地憑イッサ。ここ『格闘茶道部』の部長にして、ただ一人の部員ですわ。」
「……その、『格闘茶道部』って何ですか?ただの茶道部とは違うんですか??」
ルナの問いかけに、イッサは再び抹茶を一口飲み、そして呼吸を整えて返答する。
「本当は茶道部にしたかったのですが、敷地の関係で文化系部活動の場所が確保出来なくて……ただ、運動部扱いなら体育館の一部が借りられるとのことでして『格闘茶道部』と相成った……訳ですわ。」
「何それ……ところで、剣道部の方を知りませんか?私、天江ルナという中等部一年の者で、剣道部への入部希望なんですが?」
三度問いかけるルナ。
すると、イッサは残りの抹茶をゆっくりと飲み干し、ルナに対して一つの提案をするのであった。
「剣道部希望……ですか?」
「ええ。こう見えても私、地元の柄玉村で行われた剣道大会で小学五年・六年と二年連続制覇したことあるくらい強い方なんですよ!」
「へぇ……じゃあ、せっかくだから私と手合わせしてみません?」
「え……良いですけど、大丈夫なんですか?茶道部の方……ですよね??」
「心配ありませんわ。私も多少は剣道をかじっている方ですし……それと、ちょっとした賭けをしません?」
「……賭け?」
「私が勝ったら……天江ルナさん、あなたはこの格闘茶道部に入部する。もし、あなたが勝ったら……そうね、その時はその時で考えましょう。」

その言葉にルナは苛立ちを覚えた。
理由は簡単である……いくら剣道をかじったことがあるとは言え、所詮相手は茶道部。
そんな相手が、まるで自分の方が強いかの様に言う言動に『怒り』以外、何を得られようか。

こうして、ルナとイッサによる剣道の試合が始まった……のだが、ここでもルナの苛立ちはイッサの行動によって増すのだった。
「あの……何ですか、その格好は?」
道着に身を包み、そして防具で完全武装した状態で竹刀を構えるルナ。
一方のイッサは竹刀を構えるものの、頭に面を被る以外は先程の制服姿のままであった。
「ごめんなさい、防具が見つからなくて……でも、私は十分これで戦えるわ。」
『これでも十分戦える』……イッサの余裕宣言ともとれる言葉とふざけた格好にハラワタが煮えるほどの怒りを覚えるルナ。
だが、イッサはルナの心に灯った怒りの炎に更なる油を注ぎこむのだった。
「……あ、言い忘れてたわ。試合時間は十秒……諸事情で十秒ほどしかあなたとお付き合い出来ないのよ。でも、十秒で決着がつかなかったらあなたの勝ちで良いから……ね?」

「……ふ……ざ……け……る……なぁあああああああああああああああああああああああああ!!!」

怒りを爆発させ、力任せに竹刀を握りながら突撃するルナ。
もし、彼女が平静さを保っていたなら防具の無い『胴』は狙わず、『面』を狙うはずであっただろう。
しかし、怒りによって我を忘れていたルナは逆に『胴』を狙い、ふざけた態度をとるイッサを叩きのめすことしか考えられなかったのであった。
「胴っ!……?!」
体育館を次元ごと斬る勢いで水平に振られる竹刀。
だが、彼女の手には一切手ごたえが無く、そして正面にあったはずのイッサの姿も煙のように消えていた。
「ふふっ、どこを狙ってますの?」
突如、後ろから聞こえてくるイッサの声。
「そこかっ!……?!?!」
一方のルナもすぐさま反応して竹刀を振るうが、やはりイッサの姿は無かった。
「どういうこと……???」
「こ・お・い・う・こ・と。」
イッサの言葉と同時に聞こえてくる、右手を上下にスナップさせるような音。
その音の方向をルナが見ると、そこには試合場の印である白線の端に立つイッサの姿……と認識した直後、彼女の体は人間技とは到底思えない超高速でルナの目前まで移動するのであった。
「スリー!」
イッサの一撃によって宙に飛ぶルナの竹刀。
「ツー!!」
間髪入れず、彼女の防具へと叩きこまれる『胴』の一閃。
「ワン!!!」
トドメの一撃と言わんばかりに炸裂する、頭部への『面』の一撃。
「……タァイム、アウト。」

試合時間十秒ジャスト、試合内容は完全にイッサの完勝……いや、ルナの完全敗北であった。

「そんな……茶道部に……負けた……。」
邪悪な存在が産まれそうな勢いで絶望するルナ。
一方、面を脱いだイッサは先程までののほほんとした雰囲気から真面目な様相へと姿を変え、彼女に語りかけるのであった。
「……あなた、私のことを『どうせ、茶道部だから余裕だろう』、『ふざけた態度を取ってる奴に負けるはずが無い』って思ってたでしょう?」
「……!」
「図星のようね。それがあなたの敗因……私の戦い方の基本は『敵の精神を揺さぶる』……こんなふざけた格好で戦ったのも、私が余裕そうな言動をとったのもこのため……あと、このスナップ音もね。でも、それ以前にあなたの基礎体力と私の基礎体力とではかなり差があったみたいだけど。」
淡々と、そして冷酷に言い放つイッサ。
一方のルナは言い返す言葉が無かった。
「さて……約束よ。剣道部への入部は諦めて我が『格闘茶道部』へ入部しなさい。」
そう言って、どこからか入部届けをペラリと取り出すイッサ。

その時、ルナの頭に一つの疑問が浮かんだ。

「……一つだけ……質問して良いですか?」
「あら、何?」
「イッサさんは、どうしてこんなに剣道が強いんですか?」
「言ったじゃない。『多少は剣道をかじってる』って。」
「いやいや……かじるだけでそこまで強くは……。」
「う~ん……じゃあ、まず入部届けにサインして。そうしたら、ちゃんとした理由を教えてあ・げ・る!」
「え……。」
「どうする?」
「……。」
「どうする?」
「……。」
「ど・お・す・る?」
「……?」
「君ならどうする?」
「……分かりましたよっ!!!」
ヤケクソになり、汚い字で入部届けを殴り書くルナ。
「やった!これであなたは、今日から格闘茶道部の副部長就任よ!!」
「……で?!あなたが強い理由は?!?!」
ルナが息を荒らげて質問したその時だった。
「『部長』!ランニング終わりました!!」
ルナの後ろから聞こえてくる、数名の学生の声。
声の方向を見ると、そこにはルナが探していた『剣道部員』の姿があった。
「『部長』……?この人は格闘茶道部の人じゃ??」
ルナが剣道部員の一人に問いかける。
「何言ってるんだ、君は!御地憑先輩は確かに、そこの格闘茶道部の部長でもあるけど、メインは我が仁科学園剣道部の部長だぞ!!」
「……はぁああああ?!」
驚くルナを後目に、別の部員も口を開く。
「しかも、剣道の腕は日本一……いや、世界一だ!現に、二年前のパリ……あと、昨年のオーストラリアはブリスベンで行われた国際剣道大会で、全て試合時間十秒の一本勝ちをするという驚異の記録を立てた方なんだぞ!!」
「そういうことなの、ごめんね。」
謝る素ぶりを見せるイッサ。
一方のルナは放心するのみであった。
「ところで……部長、この子は何なんですか?」
「ええ、私に勝負を挑んできてね……体力的なものに関しては合格ラインだけど、精神的なものに関しては鍛える必要があってね……とりあえず、格闘茶道部のほうで預かることにしたって訳。」
「……さいですか。」
「そんなこんなで……よろしく頼むわよ、天江ルナ副部長!」
そう言って、ルナの肩を叩くイッサ。

しかし、彼女の意識が回復するまでにそれ相当の時間を要したことは言うまでも無かった……。


第2話

今から五十年近く前……地球は怪獣や侵略者の脅威に晒されていた。
人々の笑顔が奪われそうになった時、遥か遠く光の国から彼らはやって来た……『ウルトラ兄弟』と呼ばれる、頼もしいヒーローたちが!
……しかし、それはテレビの中……もしくは他次元における地球でのお話し。
この次元の地球には、ウルトラの父によって派遣された若き勇者が来ることも、アスカ・シンの声に導かれたウルトラセブンの息子が来ることも、そして未来ある若者を宿主に選んだ未来のウルトラ戦士が来ることも無かった。
無論、地底世界に住むウルトラ戦士も……である。

では、来たのは誰か?
ペギラか?ケロニアか??アイロス星人を追って来たクラタ隊長か???

その答えは……。

その日、夜にもかかわらず、天江家の庭では竹刀を強く振る音と竹刀を振っていた天江ルナの大声が交互に発せられていた。
「どりやぁ!とぅあっ!!セイヤーっ!!!うぉおおおお!!!!……ふぃ。」
三十分近く続けていた素振りに疲れを覚え、竹刀を下ろすルナ。
その直後、庭へと通じる大きな掃き出し窓がガラガラと音を立てて開き、そこから一人の男が顔を出すのであった。
「ルナ、食事の用意が出来たけど……タイミング的に大丈夫か?」
その男……ルナの父である天江ライトが話しかける。
「あ、うん。シャワー浴びたら、すぐに食べるよ。」
「それにしても……最近どうしたんだ?前々から庭で素振りをしてはいたが、何と言うか……全ての怒りをここにぶつけているような?」
「……そりゃね……怒りもね……溜まりますよ……!セイッハァアアアアッ!!」
突然、宙に向かって竹刀を一閃するルナ。
その足元には、竹刀であるにもかかわらず、まるで真剣で斬ったかのように縦に真っ二つとなったスズメバチの姿があった。
「お見事。」
「……シャワー浴びてきます。」

「ところで、ルナ?例の……『超次元茶道部』だっけ、あれはどうなったんだ??」
「お父さん……『超次元』じゃなくて『格闘』。それじゃあ、まるで宇宙刑事の戦闘母艦じゃない。」
ツナサラダと中華風ツナステーキを食べつつ、天江親子はマニアックな会話を続ける。
「ごめんごめん……で、その格闘茶道部はどうなんだ?そりゃ、剣道部に入れなかったのは不本意だろうけど……でも、その剣道チャンピオンの人の近くに居れば、おのずと技を盗め……。」
会話に花を咲かせようとするライト。
しかし、ルナの表情は複雑であった。
「あのね、お父さん……私がいつもしてる素振りの量を、最近二倍にした理由って分かる?あの女ねぇ……やることが適っ!当っ!!過ぎるのよっ!!!」
大声をあげるルナ。
「ひぇっ?!」
その声に、ライトはただただ怯えるしか無かった。
「聞いてよ、お父さん!この間もね……。」

それは数日前の出来事であった。

体育館の中に響き渡る、竹刀と竹刀がぶつかり合う音。
そして、汗ばんだ素足と床が合わさることで発生するキュッキュッという音……それは、まさに剣道部の在るべき光景だった。
しかし……本来、その場に加わるべきであったルナは、茶室のフスマを挟んだ環境でその音を聞かざるを得ない状況と化していた。
理由はただ一つ……彼女は今、『格闘茶道部』の副部長として、知識の無いまま部長である御地憑イッサの点てた抹茶を受け取らなくてはならない環境に居たからであった。
「さぁ……お茶をどうぞ。」
「……はい、頂きます。」
不満な気持ちを抱きつつも、とりあえず自分の知っている範囲の知識でイッサから茶碗を受け取るルナ。
そして、慎重な動作で茶碗を回した後、茶碗を口元へと傾ける。
「えぇっと……結構な、お……お手前で……。」
『苦み』以外の特徴に関して何も言えず、再び自分が知っている範囲の知識で返答するルナ。
一方のイッサはニコリと笑いながら彼女をジッと見る。
「あらあら……ところで、お茶菓子は召し上がらないのですか?」
「……あの……そのこと何ですけど……。」
「はい?」
困惑するルナと満面の笑みを続けるイッサ。
そんな混沌した環境を茶室に作り出していた要因となっていたのは『電雷!なぁぷりん』と大きく描かれたラベルの貼ってある『プリン』であった。
「お茶菓子って……このプリンですか?」
困惑した表情のまま、ルナがイッサに質問する。
「そうよ?この間、学園近くのスーパーに行ったら安売りしててね……しかも、私プリンって大好きなのよ。せっかくだから、この格闘茶道部で!って思ってね。」
「……あの……安売りしてたのは分かりますけど……。」
そう言いながら、さらに困惑した表情を見せるルナ。
その表情に気付いたのか、今度はイッサがルナへ問いかける。
「今度は何?」
「……お皿とか無いんですか……それ以前に……スプーンは?」

プリンを容器から落とす皿が無い……プリンを食べるのに必要なスプーンが無い……この二つの要因が彼女の困惑にさらに拍車をかけるのだった。

「ごめんなさいね。格闘茶道部設立に当たって、茶室やら茶釜やら手配したら小物の手配に気が回らなくて……。」
「……あの……どうやって食せと?」
「どうしましょう……ちょっとマナー違反だけど、口の上でプッチンして食べて……ね?」
「……はぁ?!」
「ね?」
「……。」
「ね?」
「……。」
「ね?」
「……。」
イッサの、たった一文字の圧力に対し、ルナはただただ屈服するしかなかった。
「……分かりましたよ。」
そう言ってプリンの容器を持ち上げ、底部にあるピンを倒してプリンを口に放り込むルナ。
とりあえず、口に残った抹茶の苦みをプリンの甘みで消すためにプリンを口の中で転がすルナであった……が、この直後にイッサは一言呟いた。

「……あら?このプリン……消費期限が一週間前だわ。」

この直後、『黄色いしぶき』が茶室入り口のフスマに飛び散ったのは言うまでも無い。

「うわぁ……そりゃ災難だったなぁ。」
話を聞き、悲しそうな表情を見せるライト。
一方のルナは、『思い出し笑い』ならぬ『思い出し怒り』をしつつ、茶碗に残った飯を勢いよくかっ込むのであった。
「ホント……モグモグ……嫌になる……モグモグ……わよ……モグモグ……おかわりっ!!」
「おいおい……怒りながら飯食うのは良いが、調子に乗ると太るぞ。」
「……!ハッ、いかんいかん。」
「まぁ……とりあえず、半分にしとくか?」
「いや、要らなくなってきちゃった……ごめんなさいね。」
そう言って、コップに入った麦茶を飲み、一息つくルナ。
「私……どうしたら良いんだろう……。」
ルナの口から洩れる呟き。
しかし、呟いたからと言って何かが状況が一変する訳でも無かったため、彼女は台所の奥に置かれた『写真立て』をただただ見つめるしか出来ずにいたのであった。
「お母さん……。」

それから一週間後……。
かなりの時間が経過したにもかかわらず消えることの無かった憂鬱な気持ちを抱えたまま、ルナは仁科学園中等部一年の教室に居た。
昼休みを迎えた今、周りの生徒は昼食や談笑を楽しんでいる。
しかし、ルナには何かを『楽しむ』気力など存在していなかった。
今、彼女に出来る最大限の行動……それは机に突っ伏して寝ることで、現実が逃れる……まさに、それは彼女のみしか存在しない『閉鎖空間』形成への過程であった。

そんな時、ルナの閉鎖空間へと突入を試みる一人の女子生徒が居た。

「どうしたんよぉ、ルナちゃん?」
「……その声……ヒビキさんか。」
顔を突っ伏したまま返答するルナ。
一方の女子生徒=粟手ヒビキは心配そうにルナへと話し続ける。
「ルナちゃん、元気無いねぇ。部活決まったんじゃないの?」
「決まったは決まったけど……。」
「だったら、元気ゲンキ!私なんて、和太鼓やりたかったけど部活動に無くて……最終的に学園近くの公民館でやってるサークルに入ることになったんだし。」
「相変わらず好きねぇ……太鼓。」
「そうとも!太鼓とゴーヤーは私のフェイバリットさね!!……ところで、何部?」
「それが……その……。」
机に突っ伏すの止め、気まずそうにルナが顔を上げたその時であった。
「……おーい!ヒビキちゃ~ん!!」
入り口のほうから聞こえてくる小さな声。
その方向を二人が振り向くと、そこには中学生とは思えないほど小さな女子生徒が一生懸命に飛びながらその存在をアピールしていた。
「……誰?」
「ルナちゃん、ちょっと待ってて……どしたの?」
入り口に向かいつつ、小さな女子生徒に対応するヒビキ。
そして、女子生徒と二言三言の会話をすると、彼女は自身の机から一冊の本を取り出し、女子生徒へと渡すのだった。
どうやら、その女子生徒はヒビキから英和辞書を借りたかったようであった。
「……あ、跳ねながら帰ってった……何だろう、あのミニウサギ的なぷち感……。」
入り口での光景を見て、おもわずつぶやくルナ。
一方のヒビキは、一仕事終えた様相で再びルナの前に現われる。
「ヒビキさん、何かあったの?」
「いやね、英語の辞書忘れたらしくて。いやはや、そそっかしいなぁ……。」
「……あ、ところで誰なの?あの、ミニウサギ的な生徒は??」
ルナが問いかけたその時だった。
「ちょっと失礼。」
ルナとヒビキの間を割り込むように聞こえてくる声。
その声に方向を二人が見ると、そこにはルナにとって『会いたくない人物』が居た……無論、それは御地憑イッサのことである。
「部長?!」
「……ルナちゃん、この方は?」
ヒビキの問いかけにルナが答えようとする……が、再び二人の間をイッサの声が割り込む。
「副部長、部活動のことで問題が発生しましたわ。今すぐ、家庭科室に来てください。」
そう言って、そそくさと去るイッサ。
一方のルナたちは、イッサの一方的な行動にただただ黙るしかなかった。
「……ルナちゃん……とりあえず行くのがベストだべな。」
「……んだ。」

それから数分後、ルナの姿はイッサと共に家庭科室の中にあった……が、何故自身が家庭科室に呼ばれた理由に関しては依然として不明だったため、ルナはイッサに問いかけるのであった。
「あの……部長?要件は何なんでしょうか??」
「大変なことが起きました……。」
「……はい?」
「……以前、スーパーで大量購入したプリン……その消費期限が全て切れてしまい、我が格闘茶道部におけるお茶菓子の在庫が無くなってしまいました。」
「……。」
逃げ出したくなる衝動に駆られるルナ。
彼女の心の中はトップギアからクラッチを踏みつつ二速、三速へとギアチェンジしつつ……であったが、それを無視してイッサは話を続ける。
「そこで、副部長……何か作ってください。」
「……は?」
「材料に関しましては、家庭科室に残っている物を使って良いと許可は貰いました。さぁ……作りなさい!Allez cuisine(アレ・キュイジーヌ)!!」
「……いやいやいや……ちょっとストップ。」
怒りを通り越し、呆れ顔になるルナ。
「大事な昼休みの最中、呼び出されたと思えば……しかも、私……料理に関しては苦手では無いですけど、だからと言って得意でも無いですし……。」
「……そうですか。ならば……最終兵器しかありませんね。」
「???」
「副部長、裸になりなさい。」
「……?!?!?!?!?!な……何で、そんなに話が飛躍するのよ!!!!!!」
イッサのいきなりな発言に、おもわずタメ口で返答するルナ。
「副部長……こうなったら、あなたが裸になるしかありません。この日本には『女体盛り』という伝統文化があります。アレ的な感じで……まあ、問答無用で私にお茶菓子として食べられて下さい。」
「何をふざけ……?!?!?!?!?!?!?!」
再び言い返すルナ…であったが、目に飛び込んだイッサの様相におもわず黙ってしまった。

宙を揉みしだくかのようになめらかに動くイッサの両手、血走るイッサの両目、興奮によって紅潮するイッサの両頬、そしてその両頬を伝うかのようにして口からあふれ出るヨダレ……。

ルナの目の前に居たのは『格闘茶道部の部長』ではなく『若い女性を喰らう物の怪』としか言いようが無かった。

同時刻、仁科学園内の廊下を走る一人の生徒の姿があった。
それは、先程ルナが教室で見かけた『ミニウサギのような生徒』であり、彼女の目的地は家庭科室であった。
「あっちゃっちゃぁ……ヒビキちゃんに辞書借りたのは良いけれど、まさか家庭科室に肝心のプリントを忘れるとは……。」
英和辞書を小脇に抱えつつ、小さい体を一生懸命に揺らしながら家庭科室の前へとやって来る生徒。
そして、力を込めて彼女にとっては重めの扉を開けると、広がった隙間から見えてきたのは……『修羅場』だった。

『……そうですか。ならば……最終兵器しかありませんね。』
『???』
『副部長、裸になりなさい。』
『……?!?!?!?!?!な……何で、そんなに話が飛躍するのよ!!!!!!』
『副部長……こうなったら、あなたが裸になるしかありません。この日本には「女体盛り」という伝統文化があります。アレ的な感じで……まあ、問答無用で私にお茶菓子として食べられて下さい。』
『何をふざけ……?!?!?!?!?!?!?!』

「……?!」
突然の出来事にパニックになるものの、何を思ったのか瞬時に自身の気配を消し、家庭科室で行われている光景に対して釘付けになる生徒。
「……凄い……これが『百合』ってやつかぁ……。」
何か間違っている気のする知識を展開する生徒であったが……彼女がこの光景に集中し過ぎたあまり、彼女は小脇に抱えていた英和辞書を落としてしまうのであった。

廊下のタイルとぶつかることで発生する、バサリという紙の束の音。
その音は生徒の耳だけでなく家庭科室に居たルナとイッサの耳にも届き、家庭科室で展開していた修羅場の矛先は彼女にも向けられた。

「あ……あ……。」
二人に気付かれたことに気付き、恐怖で動けなくなる生徒。
一方の物の怪……もとい、イッサはルナを押し倒そうとする行為を中止すると、無言で生徒のもとへと歩み寄る。
「私……私……。」
次第に涙目になる生徒。
しかし、そんな彼女に構うこと無く彼女のもとへと辿りついたイッサは、彼女の体をヒョイと持ち上げ、そして彼女を家庭科室の机の上に座らせてこう問いかけた。
「あなた……お茶菓子は作れます?」
「あ……あの……はい。」

それから数時間後……授業やホームルームも終わり、部活動の時間となった仁科学園。
格闘茶道部の拠点である茶室ではイッサが抹茶を点て、それをルナが……そして、先程の生徒が受け取る光景が展開されていた。
「それにしても……ごめんね、怖い思いをさせたみたいで……正直、私も死ぬかと思ったけど。」
抹茶が入った茶碗を手で押さえながら、ルナが生徒に声をかける。
「まぁ……何とかダイジョーブですよ。それに、部長さんに私のお菓子も喜んでもらえたようですし。」
そう言って、イッサの方向を見る生徒。
その目線の先には、先程の事件後、家庭科室にあるあり合わせの材料で作ったわらび餅……の姿形は既に無く、まぶされていたきな粉の一部が皿代わりに置かれた小さな和紙の上に存在する状態と化していた。
「一時はどうなるかと思いましたけど……あなたのおかげで、この格闘茶道部の部活動が無事に行えました。それに、この美味なる手作りお茶菓子……部長として『ありがとう』と言わせていただきますわ。」
ニコリと笑うイッサ。
一方の生徒は、自身にとっては大き目の茶碗と格闘しつつ、その小さな口へ抹茶を運びながら答える。
「……格闘……茶道部……何だかよく分からないですけど、楽しそうな名前ですね。」
「……実態は全然楽しく無いんだけどね。」
「何か言いました?」
ルナの小声に瞬時に反応するイッサ。
対して、ルナは茶碗を口に運んで誤魔化す。
「……そうだ!私も入部して良いですか?!」
ザ・グレートカブキの如く、今度は茶室のフスマに向けて『緑のしぶき』を噴射するルナ。
しかし、生徒とイッサはそれを無視して会話を続ける。
「私、お菓子作りは得意中の得意なんです!きっと、部長さんや副部長さんのお役に立てますよ。」
「そうですか……入部はこちらとしても大歓迎です。あなたを格闘茶道部の部員第三号として……あ、そう言えば……まだ名前を聞いていませんでしたね。あなたのお名前は?」
「私、中等部二年の粟手トリスって言います!」
「……粟手?」
ルナがトリスに問いかける。
「粟手って……私のクラスに粟手ヒビキってのが居るけど……?」
「ヒビキちゃんは私の妹ですよ……ってことは、あなたがヒビキちゃんの言ってた『ルナちゃん』なのね!」
「へぇ、ヒビキさんのおね……?!」

確かに、彼女は『中等部二年』と自己紹介した……また、兄弟・姉妹なのに弟・妹の方が高身長……という場合も時々ある……しかし……目の前に居る粟手トリスは……何と言うか……ぷち過ぎる……『中等部一年』と言われても違和感が無いどころか、おそらく小学二年生と名乗られても頷ける雰囲気……なのに……私の先輩……そして、ヒビキさんのお姉さん……。

「じゃあ……粟手トリスさん、今日からあなたを格闘茶道部の部員として認めます。今後とも、よろしくお願いします。」
「こ……こちらこそお願いします。」
そう言って、お互いに手をついて頭を下げるイッサとトリス。
「それと……ルナちゃん!格闘茶道部の仲間として、これからも……ルナちゃん?」
ルナの顔の前で小さな手を振るトリス。
しかし、『トリスがヒビキの姉であること』を理解出来ずにいたルナは、まるで処理速度が遅くなったコンピューターのようにただただ上の空で居続けていた。
「あの……おーい?」
「……大丈夫よ、この子はいつもこういう感じだから。」
そう言って、イッサは抹茶を口へと運ぶのだった。

私の知る『格闘茶道部』は、こうして始動した……。


第3話

その『物語』は、天江ルナの耳に突然飛び込んだ『強烈なバイクのエンジン音』を開始のファンファーレとして始まった。
「?!……何、今のお……?!」
驚き、音の方向へ振り向くルナ……であったが、彼女は今自分が置かれている状況に気付き、再び驚いた。

見知らぬ空……見知らぬ大地……そして、そこには自分ひとり……。

自分は今まで……何をしていた?
……どうしても思い出せない……でも……少なくとも『ここ』には居なかった……。

ルナの頭をグルグルと駆け廻る疑問符。
だが、そんな彼女を放置するかのように『物語』は進行を始めていた。

「仁科学園ん~っ!格闘茶道部ぅ~うっ!!」

またしても彼女の耳に割り込む音……その声はどこかで聞いた覚えのある声ではあったが、混乱状態の彼女には判別出来なかった。
「今度はな……何アレ……!危ないっ!!」
とっさに横へ跳ぶルナ。
その直後、『白い大きな塊』がまるで,意志を持って彼女を叩き潰そうとしている流星かのように何個も飛来するのであった。

「ほ……本当に……な……何なの……よ……うん?」
ギリギリで全てを避け、息も絶え絶えになりながら『白い大きな塊』を見るルナ。

彼女は気付いた。
その塊は『文字』であること……そして、その塊群はある『言葉』を示していたことを……。


    / ̄フ           久    「 ̄ゝ 「 |    「 ̄ゝ 「 ̄ゝノス   「 二 二 二 二 7
  /  /  [ ̄ ̄ ̄フ   ム フ  ヽ/ | |   「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄フ   | |.   「 |   ||
 ム  く     ̄ ̄ ̄      」 L  「 ̄ゝ| |   ヽ_> ̄ ̄T  /    .| | |三 .三ヨ | |
  / /             [    ] ヽ/ / |     [二 ̄フ  ̄    | |  .[ 口 ]  | |
  / / [ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄フ    . 7 / [二二二  フ     ==' 丶==     | | .ム| |ヽゝ.| |
. / /   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄      ../ /       ム/      く_/        L二 二 二 二」
.  ̄                 ̄
         格     闘     茶     道     部     編

                ~  記 憶 の 中 の 茶 道 部  ~


「……これって……さっき聞こえた声と同じ……。」
呟くルナ。
その直後、彼女の耳に三度音が飛び込んできた……と言うよりは、彼女の脳内に直接アンプを取り付けられたかのように、先程の声の主による,歌とも御経とも……言うなれば『音楽』と呼べるのかも不明なレベルの音が彼女を包み込んでいた。
「何……これ……。」
耳を押さえ、その場を逃げるように走り出すルナ。
その直後、彼女が駆け出したのが合図かのように爆炎が発生、その火柱は彼女を追いかけ回すかのようにジリジリと、そして高熱と爆裂音を発しながら移動するのだった。
「何なのよ……何なのよ!」
声を荒らげる彼女。
だが、1~2分すると彼女の脳内で強制再生されていた音は弱まり、爆炎もピタリと止まるのであった。
「……え?」
戸惑うルナ。

……だが、それは『終わり』ではなく『始まり』の合図であった。

『仁科学園中等部1年:天江ルナは格闘茶道部副部長である!』
突然聞こえてくる、聞き覚えがある声……しかし、ルナはその声の主の正体を思い出せずにいた。
『剣道部に入部しようとしたところを、格闘茶道部部長である御地憑イッサの魅力に取り憑かれ、彼女の物として格闘茶道部に入部したのだ!!』
「……。」
ただただ聞くしかなかったルナであったが、このナレーション風の言葉を聞いて、彼女はようやく声の主の正体を思い出す。
「部長……いや、御地憑イッサ!アンタ、一体何のつもりなんだ?!」
今までの仕打ちに怒りを覚え、声を荒らげながら空へ吠えるルナ。
「それに……何が『魅力に取り憑かれ』だ!嘘ついて格闘茶道部に……てか、茶道部というなの変態サークルに無理やり入れただけじゃないか!!」
『あら、そうでしたっけ?』
ナレーションのはずが、ルナの声に反応して答える天の声……いや、御地憑イッサ。
「この爆破と隕石攻撃は何なんだ!あと、不思議ソングまがいの騒音!!そんな卑怯な攻撃するぐらいなら、正々堂々勝負しろっ!!」

「……じゃあ、その前に私が相手してあげる!」
突然参戦する謎の声。
驚いたルナが声の方向を見るとそこには誰も居ない……ではなく、気付いてもらおうとピョンピョコ跳ねる格闘茶道部員:粟手トリスの姿があった。
「……え?粟手さん??」
「うん!確かに、私は粟手トリスだよ!!でもね……『御地憑イッサでもありますの。』」
突然声色の変わるトリス。
その瞬間、ルナの目に映っていたはずのトリスは、まるで混線したホログラフィのように瞬間的ながらイッサの姿を映し、そしてその手にはいつの間にか竹刀が握られていたのだった。
「何……これ……。」
「ルナちゃあん、お姉ちゃんだけじゃあなかとよ。」
事態を飲み込めない状態にいるルナの肩へ、軽く手を置く謎の声の主……それは、彼女の親友であり、またトリスの妹でもある粟手ヒビキであった……いや、正確に言うならば、彼女の姿もイッサの姿が時々混在する形で存在していた。
「何……何……なに?!」
「ルナちゃん……『あなたも私の物になりなさい』……格闘茶道部の仲間なんだから……。」
「私もお姉ちゃんを手伝うとね……『そうすれば、もう何も悩む必要なんて無い』……。」
『さあ、素直になって……そして、私の物になりなさい。』
「いや……いや……。」
極限状態に陥り、尻もちをついてその場に倒れ込むルナ。
だが、そんな彼女に構うこと無く、ふたりの少女たちはルナの体を『かごめかごめ』の要領で取り囲む。
ふたりで展開される『かごめかごめ』。
だが、その人数はいつの間にかひとり増え、またひとり増え……気が付いた時には、『御地憑イッサの物』となった仁科学園の生徒で溢れかえる恐怖の塊と化していた。
『さあ……私の物になるのよ!』
空間全体に響き渡るイッサの声。
その声が号令となり、ルナを拘束するかのように動きながら取り囲んでいた生徒たちは移動を停止……そして、彼女から全てを奪い去ろうとするかのようにルナへと一斉に飛び掛かるのであった。

目の前の光景が一瞬にして暗黒と化するルナ。

私という存在が消えようとしている……。

そんな気持ちがルナの心に芽生えたその時だった。
『諦めるなぁああああっ!』
暗黒空間のどこかから聞こえてくる声……この声……聞き覚えがある……。
最後の力を振り絞り、目を開くルナ。

その目線の先に居たのは……自分と同じ仁科学園の……男子生徒……?

「待って!」
大声をあげるルナ。
その瞬間、彼女の体は暗黒空間と化していた夢の世界から解き放たれ、現実世界に存在する自室のベッドの上へと転移していた。
「……あれは……夢?」
今いる現状を頭の中で確認しつつ、叫びながら起きてしまったために鼓動が早まった心臓を落ち着かせようと深呼吸をするルナ。
そして、数往復ほど肺内の空気を交換させると、彼女は少し離れた場所に置いた目覚ましを手に取る。
「……6時45分……まあ、いいか。」
そう言って、彼女はベッドから降りると、居間へと向かうのであった。

あの変な夢から数時間後……天江ルナは仁科学園中等部の校舎屋上にて、冬の透き通った空を見ていた。
ちょうど昼休みに入ったので、彼女は太陽に近い屋上で昼食を済ませると同時に『あの夢』について整理してみようと考えていた。
「あれは……夢……なのかな?」
自問自答する。

確かに、あんなカオスな世界観は夢以外に何物でも無い。
だが……『カオスな世界観』とは評したものの、妙なリアル感も存在していたのは確かであった。
そして、暗闇の中で聞こえた声……さらには薄らと見えた『男子学生』の存在……。

「自分という存在が消える……自分が自分で無くなる……。」
ポツリと呟くルナ。
そして、そのまま彼女は黙ってしまった……のだが、数秒して彼女の心の中にとある欲求が生まれる。
「……音楽聞こう。」
そう言って、弁当箱を入れていた手さげ袋の内ポケットをガサゴソと探すルナ。
そして、何かを掴んで持ち上げると、彼女の手には密閉型ビニール袋に入ったMP3プレイヤーが握られていた。
本来なら校則違反の代物であるが、ルナは妙な寂しさに襲われると、父から誕生日プレゼントにもらったMP3プレイヤーで時々心を癒していたのだった。
「今日は……これだな。」
そう言って、MP3プレイヤーに登録した曲のうちのひとつを再生するルナ。
その直後、彼女の耳には軽快なエレキギターによるイントロが再生され、曲が彼女の体を包み込む。
「……良い……いつ聞いても良い……。」
しみじみするルナ。
「ギターも良い……歌詞も良い……サックスの音色も……サックス?」
突然、顔色が変わるルナ。

顔色が変わるのも無理は無かった。
何故なら、この曲は彼女が100回近く再生しているお気に入り曲……だからこそ、どんな曲であるかも、何で演奏されているかも知っている。
しかし、今自分の耳には今まで聞いたことの無いサックスの音色……まさか、101回目以降はボーナスで……何て聞いたことが無い。

「え?え?え?」
慌ててMP3プレイヤーのイヤフォンを外すルナ。

本来なら、もう彼女の耳に音楽は入ってこないはずである。
……だが、彼女の耳には『サックスの音のみ』が再生され続けていた。

「何……また夢なの……いや……いや……いやぁああああっ!!!」

「?!」
学園内に響き渡るルナの悲鳴。
その直後、サックスの音は止み、ひとりの女性が彼女のもとへと駆けつける。
「どうした?」
女性の声にハッとし、女性を見るルナ。

……その女性の手には、一台のサックスが握られていた。

「……。」
「……?」
「……すみません、急に取り乱して……って、あれ?高等部の……神柚さん!」
「え……あ~前にあなた、私をパンツ泥棒と勘違いした人ね。名前は……あ……あ……アルテミスちゃん?」
「ルナです、天江ルナです。」
「あら、ごめんなさい。」
「ところで……神柚さんって、確か美術部ですよね?……なのに、何故にサックスの練習を?」
そう言って、神柚鈴絵の手に握られたサックスを指差すルナ。
「これ?ちょっとね……今年の柚鈴天神社例大祭で神事の曲を演奏することになってね……その練習。」
「例大祭……あ~確か、ヒビキさんも言ってたなぁ。『今度、「龍神祭」で和太鼓を高等部の先輩方と演奏するんだぁ』って。」
「あら、天江さんは粟手さんと知り合いなのね……ところで……さっき、どうしたの?急に大声あげて……。」
「あ……いえ……その……何と言いますか……『夢の続き』……みたいだったんで……。」
「……夢?」

鈴絵が問いかけたその時であった。
「ルナちゃ~ん!」
彼女らの後ろから聞こえてくる、何者かの声。
その声に気付き、ふたり同時に声の方向を見ると、その目線の先では先程彼女らの話題に少しだけ登場した粟手ヒビキ本人が手を振っていた。
「どうしたの、ヒビキさ~ぁん?」
ルナが大声で問いかける。
「先生がルナちゃんを探してたよぉ~!この前に提出してもらったプリントに不備があったんだってぇ~!!」
ヒビキも同様に大声で答える。
「ありゃ……神柚さん、私はこれで失礼します。ウチのヒビキさんをよろしくお願いします。」
そう言って頭を下げると、ルナは荷物を手に急いでヒビキの所へと急ぐのだった。

「……どうしたの?」
周りからは誰も居なくなったはずの中等部校舎で声をあげる鈴絵。
その直後、今まで無かったはずの『もうひとりの気配』が現われ、彼女の前に影のような姿を見せる。
「あの子ね……。」
ポツリとつぶやく『影』。
「……ええ、そしてもうひとり……。」
「『御地憑イッサ』……奴はどうする?」
「どうするもこうするも……天江さんの言葉から察するに、危機が迫っているのは確かね。」
そう言うと、鈴絵は『影』に問いかけた。
「ところで、あなたの方はどうなの?」
「予想通りだった……最悪の方の。」
「そう……。」
「今は『用務員の姿を借りている』から何とかなっているけど……それも時間の問題。」
「……Xデーは?」
「知らん。」
「……そんな即答するレベルなの?」
「ええ……確かに、危機は迫っている……でも、今出来るのは『タイミング』まで待つ……ただ、それのみ。」
「そう……。」
「とりあえず……Xデーが来るまで、そのサックスは練習しといてね……アディオス!」
そう言うと『影』は一瞬にして屋上から姿を消すのだった。

天江ルナの夢に現われた、男子生徒の正体とは?
そして、神柚鈴絵と『影』の言う「危機」とは何なのか?!

大きな謎を残したまま、仁科学園中等部で展開される格闘茶道部の物語は、新たな局面を迎えようとしていた……。


第4話

その日の放課後、天江ルナはふたつの気持ちを胸に抱きながら、格闘茶道部の拠点となっている体育館内の茶室へと向かっていた。
彼女が抱く気持ち……ひとつは「また、面倒な部長の気まぐれを相手しなくちゃならないのか……」という『憂鬱』、もうひとつは「そういえば、今日は粟手さんが新作茶菓子を持ってくるって言ってたっけ……それは楽しみかも」という『僅かな希望』。
そんなアンバランスな気持ちを抱いていたからか、彼女の表情は曇りつつも、口角のみは小刻みな嬉しさを表現するのであった。
「……むふ……ハッ、いかんいかん。」
無意識の笑みに気づき、自身の額を軽く叩くルナ。
そして気合いを入れ直し、あえて真面目な表情で茶室へと向かおうとした……その時、彼女の目線の先に見覚えのある学生が二人、さらにルナの知らない女子学生が一人いることに彼女は気づくのであった。
「あれは……ヒビキさん?……それに、粟手さん!」
知った顔と気づき、声をかけようとするルナ。
だが、彼女の声が粟手トリス・ヒビキ姉妹の耳に届く前に、声を荒らげる存在がいた。
「てめぇ!どういうつもりなんだっ?!」
廊下にいる学生全員が振り返る程の音量で叫ぶ、ルナの知らない女子学生。
一方の粟手姉妹は、声の暴力に震えつつも、自分なりの意見を言うのだった。
「……だって……どうしても出来ないんです!何度練習しても……いつも、同じ場所で失敗して……もう……私なんて……才能無いんです!!」
「失敗するだぁ?そんなことで、簡単に何でも辞めちまうのか?!そんなことで、私や神柚さんを簡単に見捨てるつもりなのかよっ?!?!」
「だって……だって……。」
「止めてください、天月先輩!いくら高等部の方とはいえ、妹を泣かして何が楽しいんですか?!」
「何だと?!」
口喧嘩にまで発展する、粟手姉妹ともう一人の女子学生=天月音菜。
そんな光景を見て、ルナはすぐさま仲裁に入ろうとその場へ駆けつける。
「ちょっ……ちょっ……タンマ!ヒビキさんが何を……って、その制服は……。」
「……ぁん?誰だ、お前は??いきなり現われてファッションチェックったぁ……随分とふてぇい野郎だなぁ?!」
「ファッションチェックって……私は『神柚さん』と同じ高等部の制服だなぁって思っただけなのに……。」
ポツリと呟くルナ。
そんな時、一方の音菜はルナの発言の中にあったあるワードに態度を一変させるのだった。
「……お前、『神柚さん』の知り合いなのか?」
「……え……あ……まあ……簡単にはですが。」
「なら、話が早い。」
「……はい?」
突然の展開に、話の流れを掴み切れていないルナ。
一方の音菜は、彼女の思いに気付くこと無く、淡々と『自分が何故、粟手兄弟に迫っていたか?』を語りだす。
「俺は天月音菜、高等部の2年生だ……多分、神柚さんから聞いてるかもしれないが、俺と神袖さん、そして目の前の粟手ヒビキの三人で、再来週に行われる『龍神祭』で神事の曲を演奏する予定だったんだ。」
「ヒビキさんからですが、神事の曲の演奏について大まかな話は聞いてます。何でも、サックスとエレキと和太鼓と……って。」
「ところがなぁ……最近、ヒビキが練習に来なくなってな……んで、聞いたら『和太鼓はもう辞める』とか言い出したんだよ。」
「……え?」
音菜の言葉を聞き、驚きの表情を見せるルナ。
それもそのはず……彼女の知る粟手ヒビキにとって、和太鼓とゴーヤは『自身のフェイバリット(好物)』と称する程の存在であり、特に前者に関しては仁科学園内に和太鼓に関連した部活動が無かったため、地元の公民館で行われている和太鼓サークルへわざわざ入部して練習する程の熱の入れようであった。
そんなヒビキが和太鼓を『辞める』……ルナには到底信じられない言葉であったのだ。
「ヒビキさん、本当なの?あんなに和太鼓好きだったのに……。」
「……うん……私さ、才能が無いんだ……何度練習しても、いつも同じ場所でつまづく……そんな状況で本番なんさ迎えたら……笑い者になるだけだ……。」
「ヒビキさん……。」
ヒビキの言葉に同情心が芽生えるルナ。
だが、音菜の表情は険しいままであった。
「……それだけじゃねぇだろ、ヒビキ……お前、俺にさっき何て言った?」
「……。」
口をつぐむヒビキ。
その返答に、音菜は再度怒りを露わにするのだった。
「てめぇが言わねぇなら、俺が言ってやる!『嫌な思いをして和太鼓を続けるぐらいなら、格闘茶道部でお茶菓子を食べながらお姉ちゃんとのほほんとした方が良い』ってな!!」
「……え?」
「演奏出来なくてつらいのは分かる……何度もつまずいて苦しいのは分かる……だがな、それを理由にして全てを投げだすのは無責任過ぎるだろ!俺や神袖さんへの気持ちが、ヒビキ……おめぇには無ぇのか?!第一、『格闘茶道部』とか訳の分からぇね部活動に変な思いを抱くんじゃねぇ!!!」
「……何と言うか、一応『副部長』という立場なものの……現に変な部活動だしなぁ……まあ……ヒビキさん、あの……天月さん……でしたっけ?」
「おう。」
「天月さんの言う通りだよ。どこぞの歌じゃないけどさ、『諦めたらココが終点』……今はつまずき続けていてもさ、どこかをきっかけに脱却して次のステップへ行けるよ。それにさぁ……格闘茶道部に変な理想を求め過ぎよ。」

「いいえ……格闘茶道部こそ、粟手ヒビキさんの求める理想郷ですわ。」

ヒビキを説得するルナの耳へ届く、最も聞きたくない人物の声。
その声の主は、寸分違わず『格闘茶道部 部長』の緒地憑イッサであった。

「うわぁ……面倒な時に……。」
おもわず呟くルナ。
一方のイッサは、何人も近づけさせないようなオーラを放ちながらヒビキの前に立ち、そして彼女の震えた手を握りながら語りだすのだった。
「それで良いのよ、トリスちゃんの妹さん。あなたは自身の欲望に従ったまでのこと……欲望という物は抑えれば抑えるほど、どこかで反発を起こして大爆発を起こす危険な存在……そんな危険物を心から取り除くのが、我らが『格闘茶道部』なのですから。」
「……初めて聞いたんですけど。」
ツッコミを入れるルナ。
しかし、イッサはそれを完全無視して語り続ける。
「トリスちゃんの妹さん、今日はあなたのお姉さんプロデュースによる新作茶菓子発表の日……せっかくなので、あなたもいらっしゃい。そして、欲望を解放させなさい。」
「はい、ぜ……」
「……っって、ちょっと待てぇ!」
『是非に』と言おうとしたヒビキの声を遮る音菜。
そんな様子を見て、イッサは呆れた表情を浮かべながら答える。
「……何ですか、先輩である高等部の方が可愛い後輩の邪魔をするとは……。」
「いや、ツッコまざるを得ないだろ!俺たちはヒビキの欲望からの弊害を……しかも有無を言わさず受け入れろって言うのか?!確かに可愛い後輩だが……限度ってもんがあるだろっ!!第一……。」
「……あんなお祭りのどこが良いのですか?」
「……何だと?!」
「99年目の龍神祭だか何だか知りませんが……そんなどうでも良いイベントの、どうでも良い演奏に付き合わされるぐらいなら……抹茶をすすって心を落ち着かせた方が何十倍・何百倍……いや、何万倍と有意義なことか……。」
冷たい言葉を吐き捨てるイッサ。
その言葉に、音菜の怒りは頂点へと達するのだった。
「ふざけるなっ!俺だけじゃない……神袖さんまで侮辱するようなその言動、俺がこの拳で砕いてやるっ!!」
そう言って、強く握った拳をイッサの頬目がけて振り落とそうとする音菜……であったが、次の瞬間、彼女の体はイッサの目の前から姿を消していた……正確に言うならば、まるで『殴られて吹き飛ばされた』かのように音菜の体は彼女らのいる場所から離れた場所に現われ、また吹き飛ばされたショックなのか、彼女の意識は気絶によって完全消失していた。

……いや……違う。
天月さんは意味も無く吹き飛んだんじゃない……吹き飛ばされたんだ……。

ルナを包む、疑惑の思い。
何故なら彼女は見てしまったのだ……音菜がイッサへと殴りかかった瞬間、イッサの体から『影のような存在』が飛び出し、それが音菜へ逆襲していた様子を……。

突然の事態に黙り込む、ルナを含めた女性三人。
その一方で、イッサは涼しい顔のまま吹き飛ばされた音菜の方へと向かっていく。

「どうやら、あなたにも必要なようね……さあ、『私の物になりなさい』……粟手姉妹のように……。」

気絶して廊下の壁に横たわる音菜の頭へ、自身の手をかざそうとするイッサ。
……だが次の瞬間、彼女の手首を掴む存在が出現した……それは、天江ルナであった。
「副部長……?」
突然の事態に、初めて困惑の表情を浮かべるイッサ。
一方のルナは必死の表情を浮かべていた。

『私の物になりなさい』……その言葉が聞き違いでなければ……あの夢と関係があるかどうかは分からないが……でも、言えることはひとつ……。

この手を……離してはいけない!

その瞬間、彼女は意識を失った。

ルナには分からなかった。
ここがどこなのか……今が何時(いつ)なのか……。
そして……私が……誰なのか……。
暗闇を、まるで水面に浮かぶかのように無力のまま漂うルナ……その様相は、まるで彼女の現状の気持ちを体現したかのようであった。
「私は……何?」
孤独な闇の中でポツリと呟くルナ。
しかし、その言葉に対して返答してくれる存在など居なかった。

「……お前は天江ルナ……唯一無二の存在だ。」

突然、耳に聞こえてくる謎の声。
その声にハッとしたルナが体を起き上がらせると……彼女を包んでいた漆黒の闇は消え去り、その存在は仁科学園の保健室へと転移していた。
「……また……夢?」
「いや、一応は現実だ。」
ルナの言葉に答える謎の声。
冷や汗をかいたまま声の方向へ体を向けると、そこには用務員服を着た女性が立っていた。
一瞬、眼の位置まで伸びた黒髪を見て『天月さん?』と思うものの、髪の隙間から見えていた物が眼ではなく牛乳瓶底のようなメガネだったことから、その女性が自身の知らない人物であることにルナは気付くのだった。
「あなたは……?」
「私は横嶋菜ココロ……仁科唯一の女性用務員で、みんなからは『よーちゃん』って呼ばれてるわ。」
「はぁ……でも、どうして用務員さんが保健室に……ってか、私も何故に保健室に?」
「一応、医師免許持ってるからね、時々保健室の非常勤やってるのよ。あと、あなたは突然倒れて……確か、高等部の……私みたいな髪型の子が運んできてくれたわ。」
「多分、天月さんかな……ふぅ。」
なんとなく溜め息を出すルナ。
「ところで……あなたが天江ルナさん?」
突然、よーちゃんが話を切り出す。
「え……はい……って、あれ?名乗りましたっけ??」
「ううん、あなたのことを鈴絵ちゃんから聞いたのよ。」
「……鈴絵ちゃん?」
「そう、神袖鈴絵ちゃん。」
「神袖さんから……ですか?」
「それでね、ちょっと真面目なお話しをしたいんだけど……あ、ちょっと私の手を見て?」
「???」
言われるがままに、よーちゃんの手のひらを見るルナ。
その瞬間、彼女の手からは閃光のような物が発せられ、次の瞬間には……彼女は先程まで居た夢の世界へと逆戻りしていた。
「……え?」
先程とは違い、漆黒の水面の上で体を起き上がらせるルナ。
しかし、彼女の存在は夢の世界に留まり続けていた。
「ごめんね、天江さん。どうしても、マンツーマンで……かつ、邪魔が入らない場所で話したくて。」
突然聞こえてくる声。
水のように絡む闇を体から払いつつ声の方向へ体を方向転換させると、その目線の先には……この雰囲気には全く似合わない、見事なまでの「黄色っ!」と言うべき『スワンボート』……いや『アヒルボート』、そしてそれを運転するよーちゃんというシュール極まりない光景が展開されていたのであった。
「……横嶋菜さん?」
「ハイ!さあ、乗って!!」
ルナのもとへアヒルボートを横付けし、彼女を引き挙げるよーちゃん。
一方のルナは乗船したは良いものの、全くの理解不能と化していた。
「あのぉ……横嶋菜さん?」
「天江さん……いや、ルナちゃん!何か堅苦しいから『よーちゃん』で良いよ。」
「え……あ……よーちゃん……さん、ここはどこなんです?」
「あなたの夢……と言うよりかは、あなたの心の世界ね。」
「私の……心?この闇の世界が?!」
「……ただ、これに関しては致し方ない『事情』があるのよ。」
「事情?」
「何から話したら良いか……まあ、とりあえず空を見てみて。」
そう言われ、アヒルボートから首を出すルナ。
すると、先程まで何も無かった闇夜には無数の光が存在していた……そして、その光はどれも地球のような形状および色彩を放つのであった。
「いいえ、あれは地球そのもの。」
突然答えるよーちゃん。
「地球……そのもの?」
「ルナちゃんは多次元宇宙論って分かる?」
「……ええ、SF世界で言うパラレルワールドってやつですよね?」
「御名答!この世界は小さな物事から大きな物事まで……とにかく多種多様なきっかけで細分化していき、異なる世界を無限に形成していってる……その結果が、この泡ブクみたいな多次元宇宙って訳。んで……あれを見て。」
そう言って、ある方向を指差すよーちゃん。
その方向には、空間に存在する地球の中で最も大きな形状を呈していた。
「大きい……けど……。」
「どうしたの?」
「何か……違和感を感じる。」
「そこまで分かれば、キミモPerfect Body!」
「……はい?」
「あの地球は他と違うの……まず、動きを見て。」
「動き……!」
ルナはハッとする。

他の地球は、かつて授業で習ったように、自転しながらその存在をアピールしつつ分裂を繰り返している。
しかし、あの大きな地球だけは自転するどころか微動だにしない。
また、死細胞のように分裂もしない……ただただ空間に留まっているのみ……それはまるで……。

「『時が止まっている』……100点よ。」
「!!!」
「……って、ごめんなさいね。先行して答えちゃって……悪い癖ね、他人の思考を勝手に読み取って……しかも言おうとしてたことを先に答えるって。」
頭を掻きながら、反省して無さそうな言動で反省の弁を述べるよーちゃん。
「一体……あなたは?」
「……そういえば、名乗るの忘れてたわね。」
そう言うと、よーちゃんは牛乳瓶底メガネを外して外へと放り投げ、そして髪を両手で掻き上げながらこう答えるのだった。
「時空間を司る魔王の一人……まあ、本名はмуйынравоКって言うんだけど、人間界じゃ発音し難いせいか、『魔王』って呼ばれてるわ……まあ、今は諸事情で『よーちゃん』の姿を借りるから、呼ばれ方はもっぱら『よーちゃん』だけど……。」
ゴムを取り出し、髪をポニーテールへと束ねるよーちゃん。
次の瞬間、彼女らが乗っていたアヒルボートは姿を消し、二人の体も数多くの地球が姿を見せる夜空の中で位置を固定したまま漂っていた。
「よーちゃんが……魔王……?」
理解が追い付かず、混乱し始めるルナ。
一方のよーちゃんは服装を用務員服から、まるでファンタジー小説に登場するかのような白銀の頑丈な鎧へと姿を変え、この世界の真相を語り始めるのであった。
「前提条件の説明は終わったから、次はこの世界の時間が止まった理由なんだけど……何から説明したら良いやら……まあ、まずは根底部分について説明しておいた方が良いか。」
「……根底?」
「ええ、止まった世界を作り出した張本人である緒地憑イッサ……いや、『天江夕子』のことについて。」
「!!!」

『天江夕子』……その言葉を聞いて、険しくなるルナの表情。

それもそのはず……何故なら『天江夕子』とは、行方不明になっているルナの母親の名前であったのだから……。


第5話

その夜、天江ライトは娘である天江ルナに何らかの『異変』が起きていることに気付いた。
いつもなら、ニコニコと笑いながら夕飯に手を伸ばし、そして今日学校で何があったかを楽しそうに語るはず……だが、今日のルナの表情は暗く、また、ただひたすらに無言を貫き通しながら夕飯をゆっくりと食べるのみであった。
「ルナ……何か、学校であったのか?」
声をかけるライト。
しかし、ルナの口から言葉が返ってくることは無かった。
「……。」
「……。」
お互いに黙ることで、虚無な空間が展開される天江家の食卓。
だが、それを打開する策を思いつかないライトは、結局黙ったまま、娘が食事し終わるのを見つめるしかなかったのだった。

一方のルナも黙るしか出来ないでいた。
それもそのはず……彼女が魔王=横嶋菜ココロから聞いた『この世界の真実』は、簡単には受け入れがたい内容であったからだ。

「止まった世界を作り出した張本人である緒地憑イッサ……いや、『天江夕子』のことについて。」
「!!!」
数多くの地球が闇夜にきらめく、天江ルナの深層心理世界……その中を漂うルナとココロ。
そんな二人の間を通り抜けていった『天江夕子』の名前……それは、ルナが物心つく前に失踪したと父から聞いている母の名前であった。
「よーちゃんさん!どうして母の名前を?!それに……母が部長ってどういうことなんです?!?!」
大声をあげるルナ。
一方のココロは、今だに何から説明したら良いか戸惑っているものの、話の方向性について自分の中でようやく決着が着いたのか再び口を開き始めた。
「まず……何故、あなたの母親である天江夕子が緒地憑イッサとしてこの世界に存在しているのか?緒地憑イッサ……あれは天江夕子の肉体を借りているから人間の体(てい)を成してるけど、本当は私と同じ……いや、私なんかよりもずぅううう……っと階級の低いランクの、時空間に住む魔族の一人だったの。」
「魔族……?」
「ええ……んで、その魔族ってのはね、仕事として……今ルナちゃんの空間を描いてる無数のパラレルワールドに関して、時には災いを起こして種の進化を促したり、時には幸いを与えて一時の平和を与えたり……あと、何らかのミスで時空間へと飛ばされてしまった種族を元の世界へ導いたり……んで、私はワタシで、上司の立場から指示や決定したり……ってな感じのを全体でやるんだけど……まあ、働きアリよろしく、中にはこの仕事に嫌気がさす魔族も少なからずいる訳でね……。」
「それが……部長……いや、緒地憑イッサ……。」
「Исса-обладал земли Вместе……あ、ルナちゃんに分かるように言うなら『緒地憑イッサ』ね。奴は『自分だけの世界』を得ようとして、我々魔族から離脱……あるパラレルワールドに侵入して世界を作り替えようとしたけど……奴はある失敗をした。」
「失敗……?」
「『世・界・を・作・り・替・え・る』……と漢字・ひらがな合わせて8文字程度で簡単に片づけてるけど……元となった世界を作るだけでも、その行為には莫大な生命エネルギー……そして、何億・何十億もの年月が必要となる。それを、さらに自分の都合の良いように替えるってなると作った時の何倍もの年月かかるし……しかも、それをたった一人でやろうもんなら、私クラスのタフネスでも2万年経過したくらいで……ばたんきゅ~だわさ。」
「……?待って下さい!でも……。」
「そう、だから緒地憑イッサ程度の低ランクな魔族には自分の世界を作り出すことなど無理なはず……だったの。でも、奴は我々の盲点を突いてきた……天江夕子の肉体を乗っ取るという方法でね。」
「母の肉体を……?」
「奴は、あるパラレルワールドに存在していたあなたの母……天江夕子の肉体を奪い、緒地憑イッサと名乗ることで自らを『その世界の意志のひとつ』となった……さらに、奴は世界に自身の存在を認めさせただけでなく、その世界の意志そのものを完全に乗っ取るため、魔族としての力を解放し、その世界に住む存在へ『自分がこの世界の支配者である』という潜在意識を植え付けようとした……けど、これまた失敗。」
「……え?失敗??」
「うん、失敗……でも、この失敗が『最悪の事態』を引き起こしたのよ。緒地憑イッサの能力解放によって、その世界に住む人々には緒地憑イッサが世界の支配者であるという潜在意識が生まれ、奴自身が世界の意志となった……しかし、奴の不完全な能力解放によって、それは『世界を書き換えた』のではなく『新たなパラレルワールドを形成した』という形で成されたの。それが……『1年』という世界で時間が固定化された不完全な世界。」
「1年で……固定?」
「言うなれば……学園漫画でとかで見る、3月から4月に移行しても進級も進学もしない世界……かなぁ?でも……奴は、1年間限定とは言え『世界の支配者』になった。それと同時に時空間では大きな問題も発生した。」
「大きな問題って……まさか、あの地球の異様な肥大化ですか?」
「イエス……当たり前だけど、どの世界にも『時間』という概念は存在する。でも、緒地憑イッサの行為によって1年という概念しか存在しなくなった不完全な世界は、自身の世界を維持するために他のパラレルワールドも取り込むようになり……現状として、この時空間の中で最も大きな醜態を晒している訳。それだけじゃない……鈴絵ちゃんも……私が肉体を借りている横嶋菜という存在も……そして、あなたが知っている何人かの学生も、本来ならこの世界には存在していなかった。でも、世界間での吸収でこの世界の存在とされ……緒地憑イッサの物となった証として『名前』を奪われた。」
「名前を……?」
「横嶋菜心は横嶋菜ココロに……粟手響は粟手ヒビキに……天月音菜は天月オトナに……。」
「……!天月さんまでも?!」
「鈴絵ちゃんに関しては大丈夫だと思うけど……油断は出来ない。それに、今は数人のみの洗脳に済んでるけど、これを無限に続く1年の中で繰り返されたら……。」
「全ての世界が緒地憑イッサの物に……何か打開策は無いんですか?!」
声を荒らげるルナ。
それに対し、ココロは複雑な表情を浮かべた。
「……よーちゃんさん?」
「……あるにはあるの……ただ……分からないことが多いのよ。」
「分からないこと……?」
「まず……!危ない!!」
突然、ルナを突き飛ばすココロ。
結果、突き飛ばされたことで体勢を崩したルナはそのまま落下し、再び漆黒の水辺へと着水するのだった。
「……ゲホッ……い……いきなり、何……?!」
声をかけようとしたその瞬間、彼女は自らの視界に入った光景を見てただただ呆然とするのみであった。

闇夜に浮かぶ、時間の止まった大きな地球……だが、それは周囲の地球を無尽蔵に吸収しながら肥大化、唯一無二の存在と化しようとしていた。
それだけではない……肥大化する地球を背景にして、居るはずの無い緒地憑イッサがまるで人形を持ち上げるかのようにココロの首を片手で空高く掴む光景もそこにはあった。
「Исса……どうしてここに……?」
「あら、あなたが言ったんでしょう?『この世界に取りこまれて、私の物になった』って。あなたの物は私の物、あなたの聞こえる音は私の聞こえる音……ってね?」
「わざと……泳がしてたのね……うっ……かっ……。」
強まるイッサの手の力、そして締まるココロの首。
その様子を見て、ルナは声を荒らげる。
「止めて!部長……いや、お母さん!!」
「ふふっ……この世界の支配者たる存在に、軽々しく『お母さん』と言えるなんて……さすが私が見込んだことだけはあるわね、副部長……いえ、天江ルナ。」
「肉体の無いアンタは母でも何でも無い!私が母として呼びかけてるのは、その手の意志の持ち主である天江夕子……それだけだ!!」
「肉体が無い……ですって?」
「……ふっ……ルナちゃん……グッジョブよ……ぐはっ?!」
下にいるルナに向けて親指を立てるココロ。
そんな光景に、イッサは怒りを覚えて手の力をさらに強める。
「ならば……天江ルナ、あなたに教えてあげましょう。あなたがこの世界にいる意味の『真実』を。」
「私がいる意味の……真実……?」
「あなたは、本来ならこの世界には存在しない……いえ、正しく言うならば『私の世界の時間』には存在しない。」
「……は?訳の分からないことを……。」
「ならば、噛み砕いて教えてあげる。本来、この時間軸には天江夕子や粟手姉妹……そして、パラレルワールドからの存在として神袖鈴絵や天月音菜、あとこの女もいた……皆、仁科学園の学生やら用務員やらとしてね。でも……あなたは違う。確かに、仁科学園中等部の生徒としてあなたは存在する……ただし、天江夕子とあなたの父である雑津来人が結婚した『未来』での存在としてね。」
「私が……未来からの存在?!」
「そう……私は天江夕子の肉体を手に入れ、緒地憑イッサとしてこの世界を影で支配してきた。でもね、いくら支配者になったとは言え、1年後には経験したことある世界に何度も戻る……そんな経験を753回も繰り返すとね、『最高です』なんて言えない訳。だからね、完全なる世界の支配を目論んだのよ。」
「完全なる……支配?」
「今、私の世界は365日が経過すると最初の1日目に戻ってしまう……でも、もし……366日目以降を知る人物がこの世界に現われたらどうなると思う?」
「……?」
「その記憶は世界の意志のひとつとなる。そして、世界はその意志が正しいことであるとするため、世界にその人物が知る366日目以降の記憶を形成しようとする。すると……?」
「……!その世界は1年で固定されなくなる!!」
「そう、あなたの本当の世界である『未来』を手に入れることでね。だから、私は魔族としての能力を再び使って未来の記憶を手に入れ、それを与えることで『この世界の未来』の形成を現在の時間軸で促した……この肉体の女と将来結ばれることになっていた雑津来人へ『自分は天江夕子の婿養子で、中学生の娘がいる』という記憶をね……その結果、雑津……いや、天江ライトとなった男の記憶からは未来の断片が生まれ、そしてその未来はこの世界の意志として現在の時間に形成された……それが、天江ルナ……あなたなのよ!」
「!!!」
自身が本来なら未来に生まれる存在だったことを知り、衝撃を覚えるルナ。
一方のイッサは、今まで秘密にしていたことをようやく言えた解放感からか笑みを浮かべ、それと同時にココロの首を掴む力をさらに強めるのだった。
「ぐっ……あ……がっ……。」
血の気が失せた苦悶の表情を浮かべるココロ。
だが、イッサはさらに笑みを強めて言葉を続ける。
「そして、これが最終段階!私があなた……つまり、天江ルナの肉体を乗っ取る……そうすれば、この世界の意志は未来を持つ!!私の世界は千年王国となるの!!!」
興奮のあまり、笑いだすイッサ。
だが、ルナにとってその様子は狂気以外の何物でもなかった。
「まず!千年王国設立への前夜祭として花火をお目にかけよう!!目の前の勘違い女が汚ぇ花火と化す姿をその目に焼き付けるがよい!!!」
高らかな声とともにエネルギーが集まるイッサの手。
そんな状況に自らの最期を悟ったのか、ココロがルナへ最後の力を振り絞って話しかける。
「ルナ……ちゃん……。」
「よーちゃんさん!」
「最期に……なる前に……これ……だけは……忘れないで……。」
目を閉じ、最後の力を振り絞って手から紅い光球を放つココロ。
その光はルナを包み込み、そして上空へと舞い上がるのであった。
「よーちゃんさん……よーちゃんさんっ!!」
叫ぶルナ。

その瞬間、ルナの耳にある言葉が響いた。

『未来は他人から奪い取る物じゃない……未来は自らの手で築き上げる物……。』

『どんな暗闇な未来が待ち構えていようとも……それを受け入れて……そして……それを希望へと導いて……。』

二つの言葉を聞き、再び叫ぼうとするルナ。
だが次の瞬間、ココロがいたと思わしき場所では強烈な光を有する大爆発が発生、一瞬にしてルナも……そしてこの世界も閃光に包まれ、それと同時にルナは意識を失うのだった。

次にルナが意識を取り戻したのは、自室のベッドの上であった。
「……!ここは……家?」
汗だくになりながら起き上がるルナ。
すると、タイミング良く父のライトがドアの向こうから現われて問いかける。
「おおっ!ルナ、大丈夫か?」
「あ……お父さん。あれ?私……学校で気を失って……。」
現状を理解出来ないルナに、ライトがこれまでの経緯を説明し始めた。

曰く、学校で気を失ったルナを『天月オトナ』という高等部の学生が付き添いつつ『横嶋菜ココロ』という用務員さんが車で運んでくれたとのこと。
その際、お礼も兼ねて「コーヒーでもお入れしますか?」とライトが聞いたところ、二人は口を揃えて「格闘茶道部での新作茶菓子発表会に参加したいので」と言い、足早に去っていったのだと言う。

「『格闘茶道部』ってルナの部活だよな……名前は変だけど、用務員さんにも一目置かれるほどとはねぇ……どうした、ルナ?」
黙り込むルナを見て、声をかけるライト。
だが、ルナは現状を理解、そのまま黙り続け、最終的には冒頭の夕飯までベッドに潜りこむのだった。

今も沈黙の続く、天江家の食卓。
そんな状況下、ルナは半分以上ご飯の残ったお茶碗を目の前にして沈黙を貫き続け、一方のライトも娘に対する最善策が分からず、同様に黙ってしまっていた。
しかし、ルナが「……ごちそうさま」と力無く言って立ち去ろうとした瞬間、ほんの少しだけ沈黙が破られたことをきっかけに何かが芽生えたのか、彼は娘へと話しかける。
「え……あ……ルナ!今日は妙に元気が無いじゃないか……いつもだったら『おかわりっ!』って元気に言ってるじゃないか!!……ねぇ?」
妙に大声をあげて話すライト。
しかし、ルナはやはり沈黙を続ける。
「……ルナ、ひとつだけ良いか?」
恥ずかしそうに頭を掻きながら、ライトはある言葉をかけた。

「『諦めるな』……そして『どんな暗闇な未来が待ち構えていようとも受け入れ、それを希望へと導け』。」

ライトの言葉を聞き、ハッとするルナ。
『諦めるな』……それはルナが夢の中で聞いた、あの男子学生の言葉……『どんな暗闇な未来が待ち構えていようとも受け入れ、それを希望へと導け』……それは、自身の深層心理世界が消滅する瞬間に聞いた言葉……。

「……お父さんが学生時代、いつも心に抱いてた言葉……それが『諦めないこと』だった。どんな壁も諦めずに……しつこいぐらいに挑み続ければ越えられる……それが信念だった。でも、ある人と出会ってその考えも少し変った……それがお前の母さん……天江ユウコの『どんな暗闇な未来が待ち構えていようとも受け入れ、それを希望へと導け』だった。」
そう言って、ライトは昔話をし始めた。

それは、天江ライト……いや、雑津来人がまだ仁科学園中等部に属していた頃だった。
かつての彼は、今のルナ同様に剣道をやっており、仁科学園の剣道部に所属することでその地位と名声をさらに高めようと画策していた。
だが、その計画はある存在をきっかけに白紙と化した……それは天江夕子であった。
練習や外部との試合を重ね、『斬撃の強者』へと成長した来人。
だが、一方の夕子も剣道の腕を上げ、3年次にはまさに『強き竜の者』と評される存在と化しており、また来人にとっては『唯一勝てない相手』となっていた。
『自らの越えるべき壁』……そんな思いを抱き、機会があれば夕子へ一対一の勝負を挑んでいた来人。
しかし、何度挑戦しようとも……いや、何十・何百と挑戦しようとも、彼は夕子に勝つことが出来なかった。

「……ま……まだだっ!もう一本勝負を!!」
夕刻の体育館……息も絶え絶えになりながら、再び竹刀を構えようとする来人。
一方、試合相手の夕子も疲労困憊の表情を見せながら、迷惑過ぎる彼からのエンドレス・チャレンジに呆れ果てていた。
「雑津くん……いい加減にしてよ、私だって……そんなタフネスじゃないんだから……。」
「……駄目なんだ……天江さんは俺の……越えるべき最後の壁!あなたを超えて……俺は本当の最強に……なる!!」
「最強を目指すのは結構だけど……いい加減諦めてよ……私だって、見たいテレビがあるのに……だったら、これでほんっとぉおおおお……に!最後にしてねっ!!ラスト・ワンよ!!!」
「……分かった……勝負!」
お互いに竹刀を構え、短時間で決着をつけようと全速力でぶつかろうとする二人。

だが、その試合は意外な展開を迎えた。

夕子の面へと叩きこまれる来人の竹刀。
一方の夕子は、胴を狙ったと思われる水平打ちが来人の体を捕えることなく、まるでタイミングを外したかのように空を切っていた。

「……。」
「……あなたの勝ちね、雑津くん。」
そう言って、その場を去ろうとする夕子。
だが、来人は気付いていた。
「天江さん……どうしてワザと負けたんです?!」
「何言ってるのよ、どう見てもあなたの勝ちじゃない。」
「じゃあ……これは何だ?!」
そう言って、床から何かを拾い上げる来人。
それは、縦に真っ二つとなったスズメバチの死骸であった。
「あなたは、僕らに間に割って入ったスズメバチ退治を優先した!いくらスズメバチが危険だからって……僕との勝負を捨ててまでなのか?!」
詰め寄る来人。
そんな彼を見て、夕子が優しく答える。
「いいえ……私は勝負を捨ててはいないわ。」
「止めてくれ!そんなウソは……。」
「確かに、私は割って入ってきたスズメバチに気付き、スズメバチを斬った。でもね……水平切りの動作からすぐに突きの構えへと入ろうとしたけど、今までの疲れで動きが遅れて……結果はご覧の通りよ。」
「……でも!そんな偶然に左右された試合結果なんて……天江さんは何で納得してるんですか?!」
「雑津くん……未来ってのはね、何が来るか分からない暗闇の存在なの。確かに、あなたのような『諦めない精神』でそんな未来を光に無理やり変えることも必要だけど……私の場合は、あえてその暗闇を受け入れることが必要だと考えてるのよ。」
「暗闇を……受け入れる?」
「ええ、今の場合ならスズメバチの乱入……それに自分の肉体疲労……これらの要素が加わったことであなたとの試合に負けた。でも、そこでブーブー文句言っても仕方が無い……必要なのは、負けた要因に対して対策を検討し、それを次に生かす……悪運的なことに関してはちょっと考えつかないけど、まずは体を鍛える必要があることが分かったし……ね?それでまた、次の機会に雑津くんと勝負して、勝てれば万々歳……ってとこ。」
「……でも!もし、僕が天江さんとの勝負をもし拒否したら……?」
問いかける来人。
それに対し、夕子は額の汗をぬぐいながら嬉しそうに答えるのだった。
「そうしたら……剣道に関してはそれまでだけど、諦める気は毛頭無いわよ……あなた同様にね。全校テストなり、体育祭なりで無理やりにでも勝負を挑むから問題無いわよ。」

諦めないだけじゃない……。
負けたとしても、それを糧に新たな未来を切り開く……。

「……それが、彼女の強さの秘密であり、彼女の魅力だった。だから俺は……彼女を……ユウコを好きになったのかもな。」
黙り続けるルナへ、話しかけるライト。
一方のルナは……目から溢れんばかりの涙を流していた。

諦めない気持ちを抱き続けた父……。
同様に諦めない気持ちを持つだけでなく、柔軟な発想を持つことで精進していった母……。
そんな二人の時間が、自分勝手な怪物によってめちゃくちゃにされ、さらにはこの世界全ての時間をも狂わせようとしている……。

今、この事実を知っているのは私だけ……そして、この事態を打破できる可能性を持っているのは……。

「……お父さん。」
涙を拭いながら、ルナが言う。
「……私、お父さんとお母さんのこと……知れて良かった。」
「……そうか。」
「……お風呂……入ってくるね。」
そう言って、ルナはその場を後にした。

次の日の朝……。

朝食を作るため、完全に起きていない頭で台所へと向かうライト。
いつもなら、まず朝の寒さで冷えた台所の空気が彼の顔を刺してくる……のだが、今日に限って彼の顔を包んだのは、温かい味噌汁の香りであった。
「……ん?これは……ん?」
少し前に作られたと思われる味噌汁の鍋の近くに置かれた、一枚の手紙とMP3プレイヤーに気付くライト。
その紙には、娘であるルナの文字でこう書かれていた。

『自分の未来を確かめに行ってきます。』


第6話

「……そう。」
夕陽から放たれる太陽光線により橙色へと染まりつつある仁科学園の体育館。
その片隅に設置された茶室には、自ら入れた抹茶を口にする緒地憑イッサの姿があり、対面には剣道の道着に身を包んだ天江ルナ、そしてその側には見届け人のようにこの場を見守る『格闘茶道部員五名』の姿もあった。
「ルナちゃん……何で格闘茶道部辞めるとよ?」
粟手ヒビキが問いかける。
だが、ルナは黙ったままであった。
「そうよ、こんなに楽しい部活動は無いじゃない!」
「俺もそう思うな……名前は変だが、十分楽しいぜ?」
粟手トリスと天月音菜……いや、天月オトナも声をかける。
「……天月ルナさん、あなたがこの部活を辞めると言うならば……それだけの代償を払える覚悟はおありなのですね?」
問いかけるイッサ。
「……部長、『賭け』をしませんか?」
「賭け?」
「ええ……かつて、あなたが私を入部させた時のように……私とあなたが剣道で勝負する。私が勝ったら、退部を許可する……私が負けたら、私を永久副部長として如何様にでも……。」
「あなたにしては、随分と大胆かつ無謀な提案ね。じゃあ、さっそく……。」
「ただし!」
「……うん?」
立ち上がろうとするイッサを止めるルナ。
「今回は三本勝負とし、先に二回勝った方が勝者……というルールはいかがです?」
「三本勝負……あなた、完璧超人にでもなったつもりなの?まあ……いいわ、そのルールであなたを完膚なきまでに倒してあげる……あなたの母親の肉体を存分に使ってね……。」

剣道用の防具を着け、体育館の中央で互いに竹刀を構えるルナとイッサ。
その光景を見て、格闘茶道部の部員たちはイッサを応援する。
「部長!頑張って!!」
「ファイト!部長!!」
一人として聞こえてこない、ルナを応援する声。
そんな孤独な空間の中で、ルナの戦いが始まろうとしていた。
「いざ……勝負!」
声と共に、体当たりせん勢いでイッサへと突っ込むルナ。
しかし、次の瞬間に彼女の質量はルナの前から失せ、その存在はかつての戦い同様にルナの後ろへと瞬間移動していた。
「この間から強くなったかと思いきや……またしても10秒で片がつきそうね。それじゃあ……スタートアップっ!」
体育館内に響き渡るイッサの声。
その瞬間、低レベルながらも時空間を司る魔族としての能力が発揮され、彼女の体は今の時間概念を超えた超高速移動を実現させるのだった。
「ふふっ……スリー!」
イッサの一撃によって宙に飛ぶルナの竹刀。
「ツー!!」
間髪入れず、彼女の防具へと叩きこまれる『胴』の一閃。
その一撃に、ルナは思わず膝を立てて体勢を崩す。
「ワン!!!」
トドメの一撃と言わんばかりに炸裂する、頭部への『面』の一撃……のはずだった。
「……何?」
完全にルナの頭頂部へと振り下ろされていた竹刀。
だが、その竹刀から彼女の頭を守る存在があった……それは、宙に吹き飛ばされたはずの竹刀であった。
「何て運の良い……でも、胴での一本でまずは私の勝ち。もう一本取れば……。」
「フフフ……くっくっくっ……はぁっハッハッハ!!」
突如、防具越しに大笑いしだすルナ。
この光景にイッサだけでなく、他の部員たちも困惑するのみであった。
「……ど……どういうつもり?!」
「……。」
今まで見せたことのない、焦りの声をあげるイッサ。
だが、ルナは無言のまま第二試合へと突入する構えを見せる。
「……くっ、スタートアップっ!」
再び高速移動でルナの懐へと飛び込むイッサ。
そして、間髪入れずに彼女の持つ竹刀をまたしても吹き飛ばそうとする……が、常人の目には見ることのできない程のスピードで動いているイッサの目の前からルナの姿はすでに消えていた……いや、その姿はイッサを上回るスピードで彼女の背後へとすでに移動していたのだった。
「何?!……!そこかっ!!」
背後の気配にようやく気づき、竹刀を振るイッサ。
だが、その一撃もルナにブロックされ、先ほどの戦いとは逆にイッサのほうが追い込まれていた。
「そんな……人間ごときが……。」
「十秒過ぎたようね。さあ……ショータイムだっ!」
叫び声と共に、今度はイッサの懐へと飛び込むルナ。
一方のイッサは竹刀を構えるが、超高速移動を失った今ではただの人間でしかなく、ルナの気迫のこもった力押しにただただ押し込まれるのみであった。
「うぉおおおおっ!!」
「くっ……う……うわっ?!」
力比べに負け、バランスを崩すイッサ。
その瞬間、彼女の『胴』は無防備と化していた。
「胴っ!」
時空をも斬らん勢いでイッサの防具へと炸裂するルナの一撃。

その力は、一撃の強さを物語るほどの亀裂を防具に与えるほどであり、ルナがイッサに初めて勝利したことを証明するには十分すぎる物証となっていた。

「部長が……負けた……。」
「これで……互いにイーブン!」
ざわめきだす部員たち。
一方のイッサも、予想していなかった『自らの敗北』に冷静さを失っていた。
「こんなこと……受け入れられない!私は負けない……私は負けない!!」
「……どうやら、その表情を見ると……『現実を受け入れられない!』とか言ってる感じね?」
そう言って、面を外すルナ。
「ひとつ言っておくわ……私、体育館に入る前からこれを付けてたの。」
そう言うと、ルナは両耳に指を置き、何かを取り出すのであった。

それは、耳栓であった。

「部長……いや、緒地憑イッサ……私はある実験のためにこんな戦いを挑んだの。」
「実験……だと?」
「ひとつ……かつて、私はあなたに負けた。その原因は、あなたのその超高速移動能力もあるけど……一番の要素は、あなたの軽口に乗っかったことで冷静さを失ってしまった私。だから、あなたの口車に乗らないために、こんなお芝居じみたことをわざわざした訳。それともうひとつ……私なりに、今居る『偽りの未来』とあるべき『本当の未来の姿』を再確認したかったの。」
「……偽り?……本当の……姿?」
「あなたは言ったはず……私は、あなたが一年しか存在しない世界に『未来の記憶を持つ者』を呼び込むことで、未来の記憶を世界の意志のひとつとさせ、未来の時間を持った世界に変える……と。」
「……それがどうしたって言うの?!」
「そのためにお父さんは、あなたにとっての『都合の良い未来の記憶』を植えられ、その記憶から私はこの世界に誕生させられた……でもね?私、思ったの……人の記憶って結構曖昧な存在なの。だから……もし、自分にとって都合の良い記憶……つまり、自分の『想像』が世界の意志のひとつとして時間の中に取り入れられた時、その意志が結果……つまり『未来』へと変化するんじゃないか……ってね?」
「……まさか!では、私の攻撃を全て受け止められたのは……あなたの『想像』がこの世界の未来へとなった結果だとでも言うの?!」
「そうね……一回目に関しては耳栓をしていたから『面へ強烈な攻撃が来たら困る』と思ったの。その結果、吹き飛ばされた竹刀が狙い澄ましたように背面に落下し、偶然にもあなたの攻撃を阻止した。そして、二回目……無音の中で、空気の動きを感じつつ『敵に背後から攻撃を仕掛けられる前に、こちらが背後へと回るには?』『このあたりから攻撃が来るかも?』という想像を働かせながら戦った結果……私はあなたを上回る移動能力を一時的に得られ、そしてあなたからの攻撃も面白いように私の意図通りとなった……ってこと。アンダースタン?」
「嘘だ……嘘だ……嘘だぁああああっ!私は……この世界の支配者……こんな女の手の平に転がされるような……存在ではないっ!!」
大声をあげるイッサ。
だが、その言葉にルナは耳を貸さなかった……いや、貸す気など毛頭無かった。
「ようやく理解してくれたようね、自分の行ってきたことが人に及ぼす悪魔のような影響力を……だから、私はもう想像の力を使わない……これ以上、偽りの未来には留まらない!そう……ここからは私の……いや、『私たち』のステージだぁああああっ!!」
竹刀を構え、再びイッサの懐へと飛び込もうとするルナ。
一方のイッサも、冷静さを失いながらもルナの攻撃に答えようと突撃を試みる。
体育館の中央で激突せんとする二人の剣士。
だが、その二人の間を割り入るように乱入しようとする存在があった……それは、一匹のスズメバチであった。
「……!あ……危ない!!」
スズメバチの存在に気づき、声を荒らげるトリス。
しかし、ルナとイッサのスピードは一切減速する事無く、ついにはスズメバチを挟み込む形で体育館の中央で激突するのだった。

無音の体育館内に響き渡った、竹刀が防具を弾く音。
その瞬間、ルナとイッサの戦いに終止符がついた……が、外野からはどちらが勝者か判別できずにいた。
「どっちが勝った?!」
「……!」
何かに気づき、何かを指さす者。
その指先に示されていたのは……真っ二つとなったスズメバチの死骸、そしてその一閃が放たれたと推測される方向の延長戦にあったのは……。
「……何故……私が……。」
「……かつて、私のお父さんとお母さんが剣道勝負した際、今みたいにスズメバチが乱入してきたそうなの。その時、お母さんはスズメバチを撃退し、そこからお父さんへ攻撃しようとしたけど……残念ながら負けてしまった。」
語りだすルナ。
それと同時に、ルナから放たれた一閃を二度も喰らい、強度を失ったイッサの防具は崩壊を始めていた。
「もし、お母さんの敗北が『過去』とするなら……今の戦いが、自分なりの『未来』……『諦めない精神』……『どんな暗闇な未来が待ち構えていようとも受け入れ、それを希望へと導く』……そして、『強くなる』……それが私の未来だ!!想像の力で作られた曖昧な時間の流れではない、強硬たる真の未来の姿がこれだ!!!」

スズメバチを挟む形で二人が激突した瞬間、ルナは胴への一閃をする形でスズメバチを引き裂いた……だが、彼女の攻撃はこれで終わりでは無かった。
彼女は一閃の勢いそのままに己の体を回転させ、胴への再攻撃……その結果、ルナは新たな『未来』を手に入れたのであった。

「……私の……せ……か……。」
バラバラとなるイッサの防具……いや、防具だけでなく彼女の体自体も崩壊を始め、粉々となったイッサの体からは一人の『女性』が倒れこむように出現するのだった。
竹刀を放り投げ、女性を抱え込むルナ……彼女には女性の正体が既に分かっていた。
「……お母さん……おかえり……。」
「……ルナ……あなたが……未来の娘なのね……。」
涙をこぼす天江夕子。
そして、ルナも母親にようやく会えたことへの嬉しさから泣きそうになっていた……が、彼女らの背後に突如現れた、只ならぬ気配に表情を変えるのであった。
「……そんな……まさか!」
母親を抱えたまま竹刀を右手で構えるルナ。
その竹刀の先に居たのは……先ほどまで応援団と化していたトリスやヒビキたちであった……いや、違う……姿形は彼女らであったが、そこから発せられるマイナスエネルギーは完全に緒地憑イッサと酷似していた。
「『まだ、勝負は終わってないわ……天江ルナ。』」
「『この世界は私の物……無論、この者たちも私の物……。』」
「『例え、天江夕子の体を失おうとも……私の代わりはいくらでも存在する!』」
「……さあて……どうする?」
「このまま、軍門へと下るか?」
天江親子を囲む五人の格闘茶道部員たち。
その光景に、夕子も竹刀を手に構えようとするが、意識を取り戻したばかりの体には戦う力などほとんど残っていなかった。
「ルナ……あなたは逃げて……。」
か細い声で娘を守ろうとする夕子。
「お母さん!そんな体じゃ無理よ!!」
「『諦めない精神』……それが、雑津くん……いや、あなたのお父さんのポリシーであり……あなたのポリシーでもあるはず……そして……私のポリシーでもあるの……。」
「……でも……でも!」
「緒地憑イッサに体を奪われながらも……私はあなたの戦いを見てた……そして……あなたは自分なりの未来を掴んだ……それを確認できれば……それだけでお母さんは……この人生に感謝よ……。」
「!!!」
「『何をごちゃごちゃと……念仏なら、私に囚われた後にでも唱えていろ!!』」
一斉に襲い掛かる格闘茶道部員たち。
一方の夕子も娘を守るために竹刀を構えるが、手の力が入らず、そのまま己の体を盾のようにしてルナの前に立ち尽くすのだった。

振り下ろされる五本の竹刀。
全ての攻撃は標的を天江夕子に捕え、躊躇なく振り下ろされた。

……だが、彼女らの攻撃は夕子の体に当たる直前で止まっていた……いや、止められていた。

「……!ルナ!!」
右手の感覚に気づく夕子。
その手は後ろに構えるルナによって夕子の手ごと竹刀が構えられ、またルナ自身も左手に竹刀を構え直すことで親子共同による二刀流を作り出し、5本の竹刀から天江親子の体を守っていたのだった。
「お母さんも知ってるはずよ……私のポリシーは……『強くなる』こと!!」

響き渡る、ルナの魂の叫び。
その瞬間、彼女の声を合図としていたかのように、一曲の歌が体育館のスピーカーから流れだす。

それは、ルナがMP3プレイヤーで聞いているあの曲……そして……。

「これは……『英雄の詩』?」
「……!ルナ……あれ!!」
指さす夕子。
その目線の先では、音楽を聴いて苦しみだす格闘茶道部員たちの姿があった。
「『な……何だ……この歌は?!』」
「『私が……私で……無くなる……。』」
「『た……助け……て……。』」

「ルナ!夕子!!」
スピーカーから聞こえてくる男の声……それはルナの父である天江ライト……いや、本来の姿、そして本当の記憶を取り戻した雑津来人であった。
「お父さん?!どうしてここに……?」
「お前の残してくれたMP3プレイヤーだ!あれに、この『英雄の詩』が入っていただろう?」
「うん……でも、それが……?」
「あの曲は柚鈴天神社に古くから伝わる神事の曲であると同時に、偶然にも全く同じコードで発表された未来の曲でもあるんだ!『過去』と『未来』の両面を持つあの曲……それを偶然聞いたことで、自分自身の過去と未来を取り戻したんだ!!」
「あの曲に……そんな意味が……。」
「そんなことより!早く、緒地憑イッサに止めを!!」
「でも……どうやって?!」
「『あれが……苦しみの元凶か……。』」
割って入るトリス……いや、緒地憑イッサ。
「『ならば、あいつを……。』」
「『私の世界から……消す!』」
「……そうされちゃあ困るんだけどなぁ。」
「『……何?!』」
体を反転させ、粟手姉妹と天月オトナの体を抑え込む二人の影……それは、格闘茶道部員にされた神柚スズエと横嶋菜ココロ……いや、神袖鈴江と魔王=横嶋菜心であった。
「『?!何故だ……貴様は私に消滅させられたはず!それに……どうして、お前は私の物とならない?!?!』」
「Исса……あなたに良いこと教えてあげる。」
「『……?』」
「『魔族と巫女さんは一日にしてならず』……ってね?」
「よーちゃん!何適当なこと言ってるのよ、『精神を支配されてたフリして、反撃の機会を待ってた』ってだけじゃない!!それよりも早く三人を!!!」
珍しく、鈴絵がツッコミを入れる。
「リフレエクトゥ!レディ……オゥケェエイ!!リフレェエック!!!」
人の運命(さだめ)を勝手に決めそうな勢いのハイテンションで、三人の体へとエネルギーを送る魔王。
その瞬間、三人の体からは黒い結晶のような物が飛び出し、彼女らを元の姿である粟手トリス、粟手響、天月音菜へと戻すのだった。
「……あれ?私は何を……??」
「……!おい、何だありゃ?!」
「……!ルナちゃん!!」
叫ぶ三人……その目線の先には、人の形となった黒い結晶がルナと夕子に襲い掛かる光景が展開されていた。
「あれが……緒地憑イッサの正体……。」
つぶやく鈴江。
「くそっ……俺たちも天江を助けに行くぞ!」
「でも……どうやって?!」
「え……あ……えぇっと……とにかく、どうにかすんだよっ!」
「方法はあるわ。」
魔王が言う。
「どうやって?!」
問いかけるトリス。
その言葉に、今度は鈴絵が答える。
「粟手さん、天月さん……私たちが竜神祭に向けて練習してきた『英雄の詩』は、天江さんのお父様が言ったように『過去』と『未来』の音楽……その曲をあの悪魔にぶつければ、奴の中で固定化された時間は失われ、その存在は崩壊するはず!」
「な……何だって?!」
「でも……太鼓もギターもここには……。」
不安そうに話す響。
だが、魔王には秘策があった。
「チチンプイのぉ~パッ!……ってね?」
指先で魔力を解放させ、何かを空間から呼び出す魔王。
それはサックス、エレキギター、和太鼓……まさに彼女らの『武器』であった。
「これは……あんたは何者なんだ?!」
「その説明は後!早く演奏準備、演奏準備っ!!」
「お……おう。」

一方、ルナ親子の立ち回りは今だ続いていた。
『体……世界……私の……。』
スピーカーから流れていた音楽が終わり、体育館内に響き渡る怨念のような声。
その声の主である、悪霊と化した緒地憑イッサが襲い掛かってくるのに対し、ルナと夕子も竹刀を手に攻防を続けるが、いくら相手が体を失ったことで弱まっているとは言え、彼女らの耐久力は限界に近づいていた。
「何て……タフネスなの……。」
「よーちゃんさんが……言ってたわ……お母さん……魔族は……タフなんだって……。」
「……だからと言って……私たちが……諦める理由には……。」
「ええ……ならないわ……。」
「ルナ!夕子!!」
彼女らに助太刀するように飛び込む影……それは来人であった。
「お前たちはいったん退け!ここはお父さんに任せろ!!」
「そんなこと言われても……。」
「……!もしかして……雑津くん、『アレ』の場所が分かったの?!」
驚きの声をあげる夕子。
だが、来人の表情は少し曇っていた。
「いや……まだなんだ。だけど、『アレ』を探すタイミングは今しかない!俺があの悪霊を抑えてる間に……彼女らが演奏を終えるまでに!」
そう言って、後ろを指さす来人。
その先には、エレキギターを構える音菜、サックスを構える鈴江、そして和太鼓のバチを構える響の姿があった。
「よっしゃ!行くぜぇ!!」
エレキギターのサウンドを合図に展開される『英雄の詩』の生演奏。
その音を受け、再び悪霊は苦悶の声を発しながら狂ったように宙を舞いだす。
「お父さん、『アレ』って何なの?!」
叫ぶルナ。
その言葉に、代わりに夕子が答える。
「緒地憑イッサ……奴は自分の世界からこの世界へ移動する際、『時空転移装置』のような物を使ったらしいの。今、奴が別の世界で自分の存在を維持できているのはその装置があるからこそ……それを破壊できれば、あの悪霊を完全に倒せるはずなの。」

『水玉パンツは「繊細」』

突然、ルナの脳裏に響く緒地憑イッサの言葉。
「……まさか!?」

「よし、これでフィニッシュだ!」
『英雄の詩』の演奏を完了させようとする音菜たち。
だが、曲の終盤に入ろうとした瞬間、それまで調和を保っていた音から和太鼓の音が消える。
「……!天月さん、ストップ!!」
「どうしたんです?!」
「……ダメです……どうしてもダメなんです!いつもここで間違える……どうしても演奏出来ない!!」
「粟手!しっかりしろ!!天江の親父さんが耐えてる間に、もう一回だ!!!」
「でも……でも……。」
臆病になる響。
だが、そんな彼女に割って入る存在があった。
「響ちゃん!」
「……お姉ちゃん?」
「私に任せて!あなたの練習を差し入れでサポートしてきた分、どこでどう間違えるか熟知してるつもり……だから、あなたの苦手な個所を太鼓の反対側からサポートしてあげる!!」
「なるほど!そいつは良い考えだ!!」
「でも……でも……。」
「ルナちゃんとルナちゃんのお母さんがコンビネーションを見せたなら……私たち姉妹もそれ以上のコンビネーションを見せるのがお返しってもの!やろう、響ちゃん!!」
「……分かった!私だって……強くなれる!!」
「おい!演奏はどうしたんだ?!」
聞こえてくる、来人の焦り声。
「……時間が無いわ。これがラストチャンスよ。」
「「「はいっ!」」」
号令をかける鈴江。
こうして、『英雄の詩』の演奏が再開された。

「……あった!」
夕子、魔王と共に、茶室内にて『時空転移装置』を捜索するルナ。
捜索開始から数十秒ほどして、ルナの思い当たる『物』が彼女の目の前に姿を現した。
「ルナちゃん……本当に信用して良いの?」
母親とは言え、ルナの今回の提案に対して若干の不安を感じ、心配な声をあげる夕子。
だが、一方の魔王は真面目な表情を見せていた。
「確かに……もう時空を転移するほどのエネルギーは残ってないけど、この世界には存在しない波動を感じる……でも、どうして『これ』がそうだと?」
「『水玉パンツは「繊細」』……あの言葉が奴の妄言で無ければ……。」
「なるほど……よぉ~し!魔王、こいつを暴走させちゃうぞぉ~!!」
「「……え?」」
困惑する二人を余所に、『時空転移装置』にエネルギーを込める魔王。
その瞬間、『時空転移装置』に散りばめられた水玉模様は毒々しい光を発しながら、今にも爆発しそうな様相を呈していた。
「あとは……よし!竹刀に巻きつけて……完成!!頼んだわよ、ルナちゃん!!!」
「……ちょっと不安だけど……私、行ってきます!」

「もうすぐ演奏の前半が終了だ!ルナの親父さん、大丈夫か?!」
音菜が演奏しながら叫ぶ。
「ぐっ……まだ……何とか……。」
「しかし……まずいわ。天江さんのご両親が言う『時空転移装置』が破壊できなければ、あの悪霊はまだ倒せない……この歌はあくまでも封印のためであって、完全破壊するには……!天江さん!!」
ギターソロパート中に休憩していた鈴江が、竹刀に何かを括り付けたルナの姿に気づく。
「ルナ!……って、何だ?!そのパンツ括り付けた竹刀は?!」
『パンツを括り付けた竹刀』というRPGでも見たことが無いような『武器』を手に持つルナを見て、ギターを演奏しながらツッコミを入れる音菜。

だが、その『パンツ』……いや、『水玉パンツ』こそ『時空転移装置』であった。

「お父さん!今から、その悪霊ごと装置を破壊する!!スリー、ツー、ワンで悪霊を空中に放り投げて!!!」
「分かった!頼むぞ、ルナ!!」

「私たちももうすぐフィニッシュだ!響!!あと、響の姉ぇちゃん!!!準備は良いか?!」
「「ハイッ!」」

「「スリー!」」
これまで悪霊を抑えていた力を抜き、わざと相手の体勢を崩させる来人。

「「ツー!」」
その直後、垂直に立てた竹刀を悪霊の下に潜り込ませ、来人は勢いまかせに竹刀を上へと突き上げる。

「「ワン!」」
突き上げた竹刀を再び床へ垂直に立てる来人。
それと同時にルナは走りだし、竹刀を足場に天高く跳ぶ。

「これで最期だっ!!!」
跳び上がった勢いそのままに、天高く竹刀を構えるルナ
構えられた竹刀は悪霊へと突き刺さり、その体内へ暴走した『時空転移装置』が乱暴にねじ込まれたことで、悪霊の体内では火花が散りだすのであった。

「お姉ちゃん!」
「響ちゃん!!」
響の失敗箇所をトリスがカバーしながら続けられる『英雄の詩』の演奏。
一方の音菜によるギター演奏、鈴江によるサックス演奏も終わりを迎えようとしていた。
「これで……フィニッシュ!!!」
ついに完成する、完璧な『英雄の詩』の演奏。
その瞬間、演奏完成への充実感に浸る間も無く、自分たちの居る地面の下から『何か』が飛び出そうとしている気配に鈴江は気づく。
「これは……まさか、この世界の……意志?」
演奏を終えると同時に、黄金のような光に包まれる4人の学生たち。
その光は一つの塊となり、そして空中で火花を散らしていた悪霊を包み込む。
『やめろ……やめ……ろ……や……め……。』
光に包まれ、その力を失う悪霊。
また、聞こえていた怨念のような音も次第に弱まり始め、そしてついには現れた光と共にその存在を失せるのだった。

こうして、緒地憑イッサと名乗る悪霊はこの世界から消えた。
それが、天江ルナの知る『格闘茶道部』の記憶であった……。

「……さぁ、着いたわ。」
それから十数年後の世界……仁科学園の剣道部顧問となったルナは、老朽化した体育館が壊されるのをきっかけに、一人の教え子へ『格闘茶道部』の思い出を自宅へ送るついでに話していた。
「先生……それって、本当の話なんですか?申し訳ないんですが……何だか創作っぽいなぁと……。」
教え子である仁科学園の生徒が答える。
「……『残念ながら本当の話よ、雑津ルナ……いえ、「天江ルナ」さん?』」
「……え?」
「『あのね、確かに「私」は……あの時、水玉パンツの暴走エネルギーで体の維持機能を失い、さらに変な歌に呼び寄せられた力で存在を失った。でもね……バックアップはちゃんと用意してたのよ、「天江ルナ」という存在を使ってね?』」
「先せ……!」
声をかけようとする雑津ルナ。
だが、彼女は気づいた……目の前に居る天江ルナ先生の姿に混じって、何者かの影が存在していることに……。
「『私は、雑津来人に未来の記憶を埋め込んだ際、自分の記憶も埋め込んだ……そして、天江ルナであり、緒地憑イッサでもある存在としてこの体を作り上げた。』」
今置かれている状況に恐怖し、車のドアを開けようとするルナ。
だが、ドアにはロックがかかっており、車は閉鎖空間と化していた。
「『そして、私は決めたの……もう、1年だけの世界で良い……もう未来なんて要らない……再び、あの世界を取り戻す……だから……未来の存在であるあなたを……消す!!!』」

「……はぁ~い、それまでよ。」
突然、車内に響き渡る金属をノックするような音。
ルナ……いや、緒地憑イッサが音の方向を振り向くと、そこには二人の婦人警官の姿があった。
「そこの女教師さん、車に押し込んで子供をいじめるのは犯罪ですよぉ~。」
「……ちょっとぉ~、聞いてますかぁ~?」
「『……フン。』」
車の窓ガラス越しに聞こえてくる、気の抜けた声。
しかし、イッサは無視し、ルナへと襲い掛かろうとする。
「……あのさぁ、『人の話はちゃんと聞く』って学校で習わなかったの?……って、魔族と妖怪には学校が無いっけ。こりゃ、うっかり。」
再び聞こえてくる声……だが、それは窓ガラス越しではなく、だれも居ないはずの後部座席からであった。
「『……!』」
声の方向を再び見るイッサ。
その方向には、先ほどまで外で気の抜けた声で話していた婦人警官の一人がくつろぐかのように後部座席に座る光景が展開されていた。
「『ど……どうして?……まさか、お前は!』」
「ふっふっふ……ある時は美人用務員!また、ある時は美人警官!!その実態は……。」
「『くそっ!』」
「ちょ……まだ、名乗り終わってないわよ!!」
謎の婦人警官の口上を半ばに、車から逃げ出すイッサ。
だが、その逃走をもう一人の婦人警官が、竹刀片手に引き留める。
「待ちなさい!『娘』の体を奪った窃盗容疑で逮捕よ!!」
「『何だと……貴様らは?!』」
「その前に……ルナちゃん!」
「『何……?』……待ち続けて早十数年……待ってましたよ、この瞬間を!『……!そ……その声は……。』」
意図しない言葉を放ち、慌て出すイッサ。
だが、『体の持ち主』である天江ルナが全身に力を込めると、彼女の体からはまるで蒸気が噴き出すかのように緒地憑イッサの正体である悪霊の生き残りが現れるのだった。
「夕子ちゃん!お願い!!」
車の窓から顔を出し、大声をあげる婦人警官=魔王。
その言葉を受け、もう一人の婦人警官に扮していた天江夕子は一枚の『紙』を取りだし、悪霊に向けて放り投げる。
『な……何だ?!……!わ……私の……か……ら……。』
水を吸い込むかのように、紙に吸い込まれる悪霊。
そして、紙に全てのエネルギーが吸い込まれたのを確認すると、魔王はその紙を拾い上げるのであった。
「ふぅ……さすが、柚鈴天神社の悪霊退散のお札ね。グンバツの効果だわ。」
ポツリとつぶやく魔王。
その後、何が起こったのか理解できない表情をした雑津ルナが車の外へと現れ、彼女らへと問いかける。
「……お母さん……その恰好……何?」
「ちょっとね……まあ……コスプレ?でも、ちょっとカッコいいでしょ?逮捕しちゃうぞ!……ってね。」
「……。」
年甲斐も無くポーズを決める天江夕子……いや、雑津夕子。
しかし、ルナは特に返答することなく、今度は天江ルナへと問いかける。
「先生……あなたは本当に……天江先生ですよね?」
「ええ、今はね。外見も中身も天江ルナ……確かに奴の言うとおり、私の体には『緒地憑イッサ』としての因子が残っていることが後になって分かった。そして、奴は未来を奪うため、本来の『未来の私』であるあなたを消そうと画策していた。」
「でもね……そこを私が裏で手助けしてたって訳!」
魔王が話に割って入る。
「奴を倒した後、わずかながらルナちゃんの体から奴の波動が感じられたんだけど、状態としては冬眠に近かったから、あえて泳がし、なおかつルナちゃんの意識が支配されないよう、私のエネルギーを少なからずルナちゃんに送ってた。そして……今に至ると。」
「先生……私は……本当に『天江先生の未来』なんですか?」
「いいえ……確かに、あなたは母である天江夕子、父である雑津来人の娘として生まれた……ただし、私の知っている世界と違って、お父さんは婿養子にはならなかったみたいだけど。だから……あなたはあなた。『パラレルワールドの私』ってな言い方もできるけど……教え子に難しい説明をするのは野暮よね。だから、あなたはあなた!それで良いじゃない?」
「先生……。」
「来月、あなたは仁科学園の中等部に進学し、その過程で部活動を探すはず……でも、もうあの時のように『格闘茶道部』は存在しない……昔の私のように剣道部を探すも良し、別の部活動を探すも良し、あえて帰宅部になって勉強に専念するも良し……何にせよ、自分流の道を探しなさい。」
語りかける天江ルナ。
そして、自分の伝えたかったことを雑津ルナに伝え終えると、魔王と共に車へと乗り込むのだった。
「先生……どちらへ?」
「さぁね……一応は、自分なりの世界を探してくるわ。でも、その前に……ね?」
「ええ、この悪霊を封印したお札を時空間の奥底にでも押し込めてくるわ……もう二度と、こんな面倒な事件が起きないためにもね。」
そう言いながら、助手席のシートベルトに手をかける魔王。
「ルナちゃん……。」
「……お母さん、本当の私を……お願い。」
母と言うべき存在であった雑津夕子の言葉を聞き、車のエンジンをかけながら答えるルナ。
「じゃあね!」
夜の闇の中で、ルナの精一杯な明るい声が響く。
「さて、行きますかね?」
「そうね……あ!その前に明治時代の柚鈴天神社に行かなくちゃ!!今に至るまでの歴史を作るために、この『英雄の詩』を鈴絵ちゃんの曾お爺さんに伝えてこないと!!!」
そう言って、手元に握られたルナのMP3プレイヤーを振りながら見せる魔王。
「そうね……了解ぃ!それにしても、未来の記憶の中に存在してた曲が過去の曲でもあった理由が私とよーちゃんのせいだったとはね……。」
闇夜に大きく響く車のアクセル音。
しかし、その音もすぐに消え、車の姿もあっという間に暗闇の中へと消えるのだった。

「私の……本当の……未来。」
「……行こう、ルナちゃん。お父さんも、お腹を空かせて待ってるから。」
「……うん!……でも、その前に良い?」
「何?」
「……あんまり、人前でコスプレとかしないでね。何と言うか……娘として、恥ずかしい。」
「え~、いーじゃない~……アヌビス星人ドギー・クルーガー!ジャッジメント!!でぇ~でぇえええん!!!……なんてね?」
「……。」

それから一か月後、雑津ルナは仁科学園に新たに設置された仮設体育館の前に居た。
「……ここ……だよな?」
左手には竹刀、右手にチラシ、そして右肩には道着と防具が入った袋をかけた出で立ちで、体育館の前に立つルナ。
「『剣道部員求む』……か。村の剣道大会で優勝経験のある私にとっては願ったり叶ったりの部員募集ね!……とは言うものの?」
部員募集のチラシを再確認した後、チラシを左手に持ち替えて、体育館の戸をゆっくりと開ける……が、時間的にはどこも部活動を行っている時間にもかかわらず、体育館の中は静寂を保っていた。
「『剣道部 水曜夕方と土曜午後より体育館で絶賛練習中』……って、全く人の気配が無いんですけど。」
チラシにツッコミを入れるルナ。
『とりあえずは教職員に確認を取ろう』と考え、体育館を後にしようとした…その時であった。
「……!」
いきなりの出来事に対し、彼女は『気配』をまるで『殺気』のように感じ取ってしまい、おもわずルナはチラシを投げ捨てて竹刀を構える。
「誰?!」
誰も居ないはずの体育館に響き渡る彼女の大声。
しかし、その『気配』は彼女の問いかけに一切答えることは無かった……が、自身がどこに存在しているかについては強いプレッシャーで彼女に伝えていた。
「……!あそこか。」
プレッシャーが発せられている方向を見るルナ。
その目線の先には……。

                                                                             おわり



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