247年
赤烏十年(呉)
皇帝
孫権(呉大帝)
皇后
(空位)
皇太子
孫和
三公(呉)
步騭(前驃騎将軍)→(死亡)→?
その他の要職(呉)
太常:潘濬?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
左大司馬:朱然(前車騎將軍)?
右大司馬:全琮(前衛将軍)→(死亡)→?
大将軍:諸葛恪(前威北將軍)
驃騎将軍:?
車騎将軍:?
衛将軍:?
上大將軍:呂岱(前鎮南將軍)?
右大司馬:全琮(前衛将軍)→(死亡)→?
大将軍:諸葛恪(前威北將軍)
驃騎将軍:?
車騎将軍:?
衛将軍:?
上大將軍:呂岱(前鎮南將軍)?
主な事件
- 十年春正月,右大司馬全琮卒。《三国志呉書呉主権伝》
- 二月、孫權は南宮に住まう《三国志呉書呉主権伝》
- 三月、改めて太初宮を作る。諸將及州郡皆義作《三国志呉書呉主権伝》孫權は詔して曰わく「建業宮は朕が京に移って来て將軍府の寺として作ったものだ。柱材は細く、皆腐朽しており、常に損壞の危険があった。今西へ復すことはないから武昌宮の材瓦を移すべきだ。更に之を繕治する」有司が奏上して言うには、「武昌宮はすでに二十八年が経過し、用いるに耐えないと思われます。宜しく通達を出して材木を伐採させますように」孫權は曰うに「今軍事は止まず賦役も多い。もし更に伐採させれば農桑を損なうだろう。武昌の材瓦を移し、用いるように」《三国志呉書呉主権伝に引く江表傳》
- 夏五月、丞相の步騭が卒す《三国志呉書呉主権伝》
- 冬十月,死罪のものを赦免した《三国志呉書呉主権伝》
- 是歲、孫權は諸葛壹を遣わして偽の投降をして諸葛誕を誘引させた。誕は步騎一萬で壹を高山に迎え出た。孫權は涂中に出て高山に至り、軍を潜ませて待った。誕は悟り退いた。《三国志呉書呉主権伝に引く江表傳》