181年
光和四年(漢)
皇帝
劉宏(漢霊帝)
皇后
何氏(諱某)
皇太子
(空位)
三公
太尉:劉寛(前衛尉・179~181)→許[有或*](前衛尉・181~182)
司徒:楊賜(前光禄勳・179~181)→陳耽(前太常・181~182)
司空:張済(前太常・179~184)
司徒:楊賜(前光禄勳・179~181)→陳耽(前太常・181~182)
司空:張済(前太常・179~184)
その他の要職
太常:陳耽→
光禄勳:
衛尉:許[有或*]→
大僕:
廷尉:
大鴻臚:
宗正:
大司農:
少府:
執金吾:
光禄勳:
衛尉:許[有或*]→
大僕:
廷尉:
大鴻臚:
宗正:
大司農:
少府:
執金吾:
車騎将軍:何真(追号)※前年娘の何氏が皇后に立てられたことを受けたもの
地方官
交州刺史:朱儁
主な事件
- 春正月癸酉、初めて祿*驥厩*丞を置く。郡国で徴発した馬を受けた。馬の値が高騰し売買に支障が出た。馬一匹二百万に至った《後漢書孝霊帝紀》
- 二月、郡国が芝英草を上した《後漢書孝霊帝紀》
- 夏四月、天下に大赦した《後漢書孝霊帝紀》
- 交阯で刺史の朱儁は交阯郡と合浦郡の烏滸蛮を討ち、之を破る《後漢書孝霊帝紀》
- 六月庚辰、雨雹が降る。注に引く続漢書には雹は大きく鶏の雛ぐらいだったという《後漢書孝霊帝紀》
- 秋七月、河南郡において鳳凰が新城で見られ、之に群鳥が随従していたと言う。新城の令及び三老に力田帛を各々各差をつけて下賜した《後漢書孝霊帝紀》
- 九月庚寅朔、日食があった《後漢書孝霊帝紀》
- 太尉の劉寛が免じられ、衛尉の許[有或*]が太尉となる《後漢書孝霊帝紀》
- 閏月辛酉、北宮の東掖庭にある永巷署に災いがあった。注に引く永巷とは宮中の署の名で、漢官儀に曰く令一人。宦官がなるもので秩六百石、宮の婢侍使を司った《後漢書孝霊帝紀》
- 司徒の楊賜が罷めた《後漢書孝霊帝紀》
- 冬十月、太常の陳耽を司徒と為す《後漢書孝霊帝紀》
- 鮮卑が幽州と并州を侵す《後漢書孝霊帝紀》
- この年、皇帝の劉宏は後宮において列を作り、諸采女に販売をさせ、更に窃盗闘争しあわせた。皇帝である劉宏は商人の服を着て宴を楽しんだ。また西園において進賢冠(注に引く三礼図によれば文官の服で、前高7寸、後高3寸、長さ8尺)を着せた狗で遊び、綬を授けた。また四頭立ての駕を皇帝自らが操縦し走り回った。京師では伝え聞いてまねるものがいた《後漢書孝霊帝紀》
- この年、皇后の何氏の父真を車騎將軍、舞陽宣德侯に追號した。后母を舞陽君と為す《後漢書皇后紀靈思何皇后》
- この年、王美人は皇子劉協を生む。何皇后は美人を毒殺し、霊帝は大いに怒り、廃后せんとするも諸宦官がなだめたので止めた。劉協は董太后に育てられ董侯と号す《後漢書皇后紀靈思何皇后》
誕生者
劉協:漢献帝
死没者
劉元:梁国の敬王。在位16年。子の劉彌が嗣ぐ。
王美人:霊帝の皇后。劉協の実母。
王美人:霊帝の皇后。劉協の実母。