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257年

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soutoku

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257年

甘露二年(魏)


皇帝

曹髦(魏高貴郷公)

皇后

卞氏(父は卞隆)

皇太子



三公(魏)

太傅:司馬孚(前太尉)

太尉:高柔(前司徒)
司徒:鄭沖(前司空)
司空:盧毓(前尚書左僕射)→(死亡)→諸葛誕(征東大将軍)

その他の要職(魏)

錄尚書事:司馬昭(大将軍)
太常:
光禄勳:
衛尉:→
太僕:
廷尉:→
大鴻臚:→
宗正:→
大司農:→
少府:→



大将軍:司馬昭(大都督を加号)
驃騎将軍:王昶
車騎将軍:→孫壹
衛将軍:

地方官

冀州牧:
幽州牧:
并州牧:
青州牧:
徐州牧:
兌*州牧:
揚州刺史:楽綝→(死去)
雍州刺史:王経
交州牧:→孫壹(侍中車騎将軍)



主な事件

  • 二年春二月、青龍が温県の井中に見られた《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 三月、司空の盧毓が薨ず《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 夏四月癸卯、詔に曰わく「玄菟郡高顯縣の吏民が反乱し、県長の鄭熙を殺した。民の王簡は熙の喪を行う。その忠節を嘉みし、特に王簡を忠義都尉に拝す《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 四月甲子、征東大将軍の諸葛誕を司空と為す《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 五月辛未、帝は辟雍に行幸する。会を開き臣に詩を賦すよう命じたが侍中和逌、尚書の陳騫等は作詩に戸惑った。有司が免官を奏上した。詔に言う「私は暗昧で文雅を愛好す云々」《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 五月乙亥、諸葛誕は徵するに応えず、兵を発して背く。揚州刺史の楽綝を殺す《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 五月丙子、誤って諸葛誕に付いた淮南将吏士民を赦す。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 五月丁丑、詔に曰わく「諸葛誕は狂乱を造り揚州を覆した。黥布、隗囂の故事もあり、威武を奮い輝かす。今、宜皇太后と朕は共に戎に臨み、速やかに平定する」《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 五月己卯、詔に曰わく「諸葛誕は逆乱を造り、忠義の士を脅かす。平寇將軍臨渭亭侯の龐会、騎督偏將軍の路蕃、各左右の将軍は門を突出し、忠壯勇烈、素晴らしい働きを見せた。龐会の爵を進め鄉侯とし、蕃を亭侯に封じる」《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 六月乙巳、詔して、呉の使持節都督夏口諸軍事鎮軍将軍沙羡侯の孫壹が帰属してきたので、侍中車騎将軍、仮節、交州牧、呉侯、開府辟召儀同三司と為す。古侯伯の八命の禮に依り、兗冕赤」《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 六月甲子、詔して、今車駕は項に駐留している。大將軍は天罰を行使し、前に淮浦を臨み、昔の相國大司馬が征討したように皆尚書とともに行くこととする」散騎常侍の裴秀、給事黃門侍郎の鍾會に令して大將軍とともに行かせる《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 秋八月、詔して曰わく「昔、燕が王を刺して謀反をした。韓誼等は諫めて死んだ。漢朝ではその子を顯みて官職を与えた。諸葛誕は凶亂を引き起こし、主簿の宣隆、部曲督の秦絜は節義を守って諌め殺された。絜の子を騎都尉と為し、下賜を加える」《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 九月、大赦《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
  • 冬十二月、吳の大將である全端、全懌等が部族を率いて降ってきた《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》



誕生者




死没者

  • 盧毓(司空)
  • 楽綝(揚州刺史)
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