私立仁科学園まとめ@ ウィキ

先輩、もし先輩が

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先輩、もし先輩が


「先輩! お昼にします? お風呂にします? それとも、わっ、わ・た、わ、たわし……?」
「恥ずかしがってどもっているフリで自分が混乱してどうする」

 さて。
 仁科学園は昼休みだが、俺の心はどうにも安らぎそうにない。
 チャイムから十数秒、いつもの後輩が影より密やかに俺の背後に出現していたからだ。……この世に暗殺者業
界なんてものがあるとして、もし後継者不足に悩んでいるんだったら、この女あたりを強くお薦めしたい。
 それでもそんな女の不意打ちのハグだかキスだかを躱せるあたり、俺も何だか何なんだろ……。
 教室から石もて逐われる前に中庭に自主避難した俺は、ベンチの端に腰掛けて午後の鋭気を養う。もうすぐ夏
休みという時期で、暑気がひどかった。まだしも涼しげな木陰に移動しようかとも思ったが、季節的にカレハガ
やマイマイガの毛虫がいないとも限らない。ドクガの幼虫には毛を飛ばす種類もおり、えんがちょである。

「先輩、私思うんですけど」

 後輩の思いつきはだいたい唐突だ。俺とは反対側のベンチの端で女の子サイズの弁当を啄ばみながら、退屈凌
ぎになるかならないか微妙な下らない話題を提供してくる。
 俺は行き掛けにパン屋で買っておいたリンゴのデニッシュをがぶりとやりながら、半ばうんざりとした視線で
続きを促してみた。

「もし先輩が留年したら、私と同級生になるじゃないですか」
「……」

 いきなりあんまりな仮定をしてくれましたよこの子は……。

「そしたら、先輩を“先輩”とお呼びし続けるのは、留年を冷やかしているようで、かえって失礼になるのでは
ないでしょうか。『おう先輩。ジュース買ってこいよ』みたいな」
「そういういらんネタを入れるから、話題が支離滅裂になるんだと何度言えば」

 意味不明な局面だが、彼女なりに場の空気を読もうとしているとはいえるだろうかこれは。
 しかしその例文はどう考えてもおかしい。……とツッコんで欲しいのが見え見えなのでそこは華麗にスルーし
ておく。スルー。スルーだいじ。

「でも、だからって、“先崎くん”というのも何かチガウ……。妥当なところでは、やはりさん付けなんかいい
と思います。例えば」

 アホの後輩はそこで咳払いをひとつ。

「『ひゃは、俊輔さんを知らねぇとか、お前この街のモンじゃねぇな?』『あーあ俊輔さんを怒らせちまった。
死んだなあいつ』『さすが俊輔さんマジパネェ』」
「どこの噛ませですか俺は」

 街のならず者の威を借りて大いばりする頭悪めの舎弟みたいな荒んだ声色で、いかがわしい台詞を三連発。
 俺には分かる。後輩はたぶん、最後のを何となく言いたかっただけで女を捨てた。

「――さらにここで――」
「まだ続くのか……」
「――先輩がもう一年留年したとしたら――?」

 あれで終わりかと思ったが、後輩の舌と煩悩はまだまだ滑らか、動きすぎってほどによく動く。
 そこで得意げな顔をする意味はまったく分からんが。ダッシュ(“――”←コレ)まで使いやがって。賭けて
もいい、その勿体ぶった口調は、中身に対して過剰包装だ。

「もはやこの閑花ちゃんが先輩さまです。立場逆転です。頭いいです」

 うっとりと妄想に耽溺するだらしない表情は、とても頭がいいようには見えない。

「後学のために聞くが、もしそういうシチュエーションが実現したとして、その逆転した立場でどんな悪さをす
るつもりだ?」
「まずは襲います」
「襲っ!?」
「……間違えました。パワハラ、セクハラ、ヴァルハラ思うがままです!」
「お前は先輩さまを何だと思ってるんだ」

 ……ヴァルハラ……?

「まあ、とにかく、そういう下剋上なカンケイも倒錯的で燃えそうだよねってことです」
「はは。何の話か分からんな」
「分かってるくせに、もー。このムットゥリスケベさんめっ」
「とろみ付けんな」

 俺ムッツリスケベじゃないし。たぶん。

「そうそう、留年で思い出しましたが、あのオサレソフトクリームみたいな頭をしたドちんぴらも留年していた
んでしたね。恋!人!の!神柚鈴絵先輩の心中はいかばかりか」

 すごい失礼な比喩だが、まあ普通に考えてリーゼントのことかなァと察しはついた。

「というか、え。あの二人って付き合ってるのか?」
「そりゃあもう、見ているこっちが恥ずかしくなるほどラブラブですよ! 付け入る隙がないほどにね!」
「付け入りたいのお前は」

 何でか後輩がキレた。
 「先輩はドントアンダスタン乙女ゴコロです」だの、「不良とスポーツマンとバンドメンはキライだって私言
ったじゃないですか覚えてくれてなかったんですか」だの、「ソフトクリームよりだんぜん、あいすくりんが好
きですもんッ」だの、掴み掛からんばかりの勢いでぎゃーぎゃー喚く。そんなの俺が知るか。

「……まあ、あれです。とにかく。この後輩の見立てでは、あの二人、相性抜群のスーパーカポー(スーパーな
カップル)だと思いますね」
「かもな」

 神柚鈴絵先輩とあの大型台という男との間に、何がしか強い絆があることは、遠目に何度か二人の姿を目撃し
て知っていた。俺たちの関係ほどウェットには見えないが、どこか近しいものを感じたものだ。
 俺の知る限り二人が揃う光景はそれほど頻繁に見られるものではないが、それが恐らくあの男なりの配慮なの
だろう。
 野次馬根性的な意味で、彼らのこれまでに興味が湧かないといえば嘘になった。積極的に詮索するつもりはな
いが、噂話に耳をそばだてるくらいはすると思う。

「というかあの二人は既に、『鈴ちゃんっ』『台ちゃぁんン』って呼び合う仲ですし」
「うんそれは嘘だろ」
「ばれましたか。ほんとはこんな感じ。『おう部長』『おう台先輩、絵の具チューブ買ってこいよ』」
「部長はそんなこといわない」

 ごめん。俺、これはスルーできなかった……。

「しかし先輩。人間、裏では何をやっているんだか。あー恐ろしい……」
「俺はお前が怖いよ」

 何をされたわけでもないのに、ここまで悪意を篭められるのがすごい。そしてそんな美術部部長もちょっと見
てみたいと思ってしまった自分が信じられない。
 呆然とする俺を冷やかすように、どこか間抜けに予鈴が鳴った。
 湿気にへたったリンゴのデニッシュは、半分くらいがまだ俺の手の中にあった。



 おわり


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