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233年

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soutoku

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233年

太和七年→青龍元年 (魏)


皇帝

曹叡(魏)

皇后

毛氏(明悼毛皇后・河內人)


三公

太傅:(空位)

太尉:(空位)
司徒:董昭(前衛尉)
司空:陳群(前鎮軍大將軍)



九卿

衛尉:董昭→


その他の要職

大司馬:(空位)→公孫淵(樂浪公・前車騎將軍)
大将軍:司馬懿(前驃騎將軍)
驃騎大將軍:→
車騎將軍:公孫淵(遼東太守)→

地方官




主な事件

  • 青龍元年春正月甲申、青龍が摩陂の郊の井戸の中に見られた《三国志魏書明帝紀》
  • 二月丁酉、摩陂に 御幸し龍を観る。年を改める。摩陂を改めて龍陂と為す。男子に爵人二級を賜う。独り身の者に今年の租賦を免除する《三国志魏書明帝紀》
  • 三月甲子,公卿に詔して、賢良篤行の士を各一人挙げさせる《三国志魏書明帝紀》
  • 夏五月壬申、詔して故大將軍夏侯惇、大司馬曹仁、車騎將軍程昱を太祖の廟庭に祀る《三国志魏書明帝紀》
  • 五月戊寅、北海王の曹蕤が薨ず《三国志魏書明帝紀》
  • 閏月庚寅朔、日蝕があった《三国志魏書明帝紀》
  • 閏月丁酉、宗室の娘で諸王の女でないものを改封し、皆邑主と為す。詔して、諸郡国の山川で祠典の者がいないのを祠る《三国志魏書明帝紀》
  • 六月、洛陽宮の鞠室が火災《三国志魏書明帝紀》
  • 保塞鮮卑の大人である步度根が叛いた鮮卑の大人である軻比能と私通した。并州刺史の畢軌が上表していうに、軍を出して外に比能に当り、內に步度根を鎮める。帝は上表を省みて「步度根が比能を誘ったところは疑わしい。今畢軌が軍を出し、二部が驚き合一するといかにして鎮めるのか?」と。畢軌に勅使を出して塞を越え出陣することがないように伝えさせた。詔書が到り、畢軌は進軍し陰館に屯する。遣將軍の蘇尚、董弼に鮮卑を追わせた。比能は子に千餘騎を率いさせて步度根の部落を迎えた。そこに與尚﹑弼と相遇したため樓煩で戦う。二將は破れ沒する。步度根の部落は皆塞を出て叛く。比能と合して辺境を略す。驍騎將軍の秦朗に中軍を率いさせこれを討つ。虜にしたり漠北に去る《三国志魏書明帝紀》
  • 秋九月、安定郡の保塞匈奴の大人である胡薄居姿職等が叛く。司馬懿は將軍の胡遵等を遣わして追討し、破り降らせる《三国志魏書明帝紀》
  • 冬十月、步度根の部落の大人である戴胡阿狼泥等は并州に来降する。秦朗は軍を還えす《三国志魏書明帝紀》
  • 十二月、公孫淵は孫權が遣わして来た使者の張彌を斬り、送って来た。首を安んじる。公孫淵を大司馬樂浪公と為す《三国志魏書明帝紀》


誕生者



死没者

  • 曹蕤:北海王
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