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192年

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soutoku

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192年

初平三年(漢)

皇帝

劉協(漢献帝)

皇后

(空位)

皇太子

(空位)


三公

太師:董卓(前相国・191~192)→(廃止)
太傅:(新設)→馬日磾(前太尉・録尚書事・192~194)

太尉:馬日磾(前太常・191~192)→皇甫嵩(前車騎将軍・192)→周忠(前光禄大夫・192~193)
司徒:王允(前太僕・190~192)→趙謙(前前将軍・192)→淳于嘉(前司空・192~194)
司空:淳于嘉(前光禄大夫・191~192)→楊彪(前光禄大夫・192~193)


その他の要職

録尚書事:
■?→王允(司徒・192)→(死亡)→?
■?→馬日磾(太傅・192~194)
■?→周忠(太尉・192~)

太常:→仲*拂
太僕:→魯旭→趙岐
大司農:→
光禄勳:→
執金吾:→
衛尉:→
大鴻臚:→周奐
将作大匠:→


大将軍:
車騎将軍:→皇甫嵩(前征西将軍)→


地方官

冀州牧:袁紹(191~202)
兗州刺史:劉岱→(死亡)
兗州牧:→曹操(前東郡太守)
司隷校尉:黄苑*→(死亡)
荊州刺史:劉表(190~192)→(空位)
荊州牧:(空位)→劉表(192~201)
揚州刺史:陳温(190?~193)《三国志魏書武帝紀》


主な事件

  • 初平三年春正月丁丑、天下に大赦する《後漢書孝献帝紀》
  • 袁術は将の孫堅を遣わして劉表を襄陽に攻め、孫堅は戦没する《後漢書孝献帝紀》
  • 袁紹と公孫瓚は界橋で戦い、公孫瓚は大敗する《後漢書孝献帝紀》
  • 三年春、曹操は軍を頓丘に置いた。黑山賊の于毒等は東武陽を攻め、曹操は兵を西に引いて山に入る。毒等の本屯を攻める。毒は之を聞いて武陽を棄てて還える。曹操は眭固を討ち、又匈奴於夫羅を內黃において討つ。皆大いに破ぶる《三国志魏書武帝紀操》
  • 夏四月辛巳、董卓を誅殺し、三族を殺す《後漢書孝献帝紀》
  • 司徒の王允を録尚書事、朝政を綜覧する《後漢書孝献帝紀》
  • 張仲*を使者として遣わし、山東を慰撫する《後漢書孝献帝紀》
  • 青州黄巾は兗州刺史の劉岱を東平で殺す《後漢書孝献帝紀》青州黃巾の百萬が兗州に入る。任城相の鄭遂を殺しさらに東平郡に入る。劉岱は之を擊たんと欲す。鮑信はまず固守すべきと諫めたが劉岱は從わず戦い果して殺された。鮑信は州吏の萬潛等と東郡に行って曹操を迎え兗州牧を領させた。《三国志魏書武帝紀操》劉岱がすでに死んでいるのを受け陳宮は曹操に「州に主なく王命は断絶したままです。私が州中を説得してきましょう。ここを天下を治める元手とするべきです」と進言した。陳宮は別駕、治中を説得し鮑信等もまた之に従った。《三国志魏書武帝紀操に引く世語》
  • 東郡太守の曹操は黄巾を寿張において大いに破り、之を降す《後漢書孝献帝紀》兵を進め黃巾を壽張の東に討つが鮑信は力戰ののち死亡する。ようやく之を破る。鮑信の亡骸を求めるも得られず。鮑信の木像を作って祭り慟哭する。黃巾を追って濟北に至り、降伏を願い出てきたので、冬、降伏を受け入れ兵卒三十餘萬、男女百餘萬人を得る。その精銳の者を集めて号して青州兵という《三国志魏書武帝紀操》
  • 五月丁酉、天下に大赦する《後漢書孝献帝紀》
  • 五月丁未、征西将軍の皇甫嵩を車騎将軍と為す《後漢書孝献帝紀》
  • 董卓の部曲の将である李傕、郭汜、樊稠、張済等が謀反し、京師を攻める《後漢書孝献帝紀》
  • 六月戊午、長安城は陥落し、太常の仲*拂、太僕の魯旭、大鴻臚の周奐、城門校尉の崔烈、越騎校尉の王欣*は戦没した。吏民の死者は万余に及んだ。李傕等は自ら将軍を号した《後漢書孝献帝紀》
  • 六月己未、天下に大赦する《後漢書孝献帝紀》
  • 李傕は司隷校尉の黄苑*を殺す。《後漢書孝献帝紀》
  • 六月甲子、司徒の王允を殺し、その族を皆滅ぼす《後漢書孝献帝紀》
  • 前将軍の趙謙を司徒と為す《後漢書孝献帝紀》
  • 秋七月庚子、太尉の馬日磾を太傅・録尚書事と為す《後漢書孝献帝紀》
  • 八月、太傅の馬日磾及び太僕の趙岐を遣わして、節を持たせ、天下を慰撫させる《後漢書孝献帝紀》
  • 車騎将軍の皇甫嵩を太尉と為す。司徒の趙謙が罷める《後漢書孝献帝紀》
  • 九月、李傕は自ら車騎将軍を号し、郭汜は後将軍、樊稠は右将軍、張済は鎮東将軍と為す。張済は弘農に出て駐屯する《後漢書孝献帝紀》
  • 九月甲申、司空の淳于嘉を司徒と為し、光禄大夫の楊彪を司空と為す《後漢書孝献帝紀》
  • 冬十二月、太尉の皇甫嵩を免じ、光禄大夫の周忠を太尉・参録尚書事と為す《後漢書孝献帝紀》

  • 冬、劉表は使者を遣わして奉貢する。李傕は劉表を鎮南將軍、荊州牧と為し成武侯に封じる。假節を授け己の助けと為す《後漢書袁紹劉表列傳》
  • 四月以降で、袁術は袁紹といがみ合い、袁術は公孫瓚に救援を求めた。公孫瓚は劉備を遣わして高唐に、單經を平原に、陶謙を發干に駐屯させて袁紹に迫った。曹操は袁紹と合せて討ち、皆破った《三国志魏書武帝紀操》



生誕者


死没者





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